役員報酬開示強化への対応 初年度における実態
コロナ禍の中、賞与を期初に決めた条件どおりに支払えないなど多くの上場会社がイレギュラー対応を迫られる中で、2021年3月1日以降に末日が到来する事業年度の事業報告(3月決算会社であれば、2021年6月に開催する定時株主総会の事業報告)からは、改正会社法に基づき役員報酬開示の強化が図られ、各社からは“ダブルパンチ”との声も聞かれました。
今回の開示強化の狙いの一つが、日本の上場会社で広く行われてきた「代表取締役等への個人別の報酬額決定の一任」という慣行の再考を促すことにあります。そのため、個人別の報酬額の決定を代表取締役等に委任する場合には、委任した権限が適切に行使されるようにするための措置などの開示が求められることとなりました。上場会社に求められることとなった主な開示事項を、上から工程順に「報酬ガバナンス(報酬の決定プロセス)」「報酬方針(事前の方針)」「報酬実績(事後的な実績)」の3つに分類すれば下表のとおりとなります。
役員報酬開示の枠組み(2021年施行改正会社法ベース)
| 工程 |
検討事項 |
開示事項 |
報酬ガバナンス
(報酬の決定プロセス) |
・誰がどのような根拠を基に妥当性を検証したのか。
・運用の客観性、透明性は担保されているか。 |
■構成メンバー
■役割・権限・責任
■年間の活動内容
■決定方法(代表取締役等への一任の有無、ある場合はその理由・詳細・権限が適切に行使されるようにするための担保措置)
■報酬方針と適合すると判断した理由 |
報酬方針
(事前の方針)
報酬方針の改定を行った場合は、報酬実績算定の基となった旧報酬方針と新報酬方針を併記して記載する必要がある。
|
・報酬制度はどのような内容か。
・企業の戦略と整合性はとれているか。
・企業価値向上に向けたストーリーを支えるものとなっているか。 |
■基本フィロソフィー
■報酬水準
■報酬構成
■インセンティブ報酬の詳細
✓KPIの選定理由等
■その他
✓ベネフィット
✓株式保有ガイドライン
✓マルス条項 、クローバック条項
■非業務執行役員(社外取締役、監査役)の報酬方針
株式保有ガイドライン : 株主との持続的な利害共有のため、経営幹部に一定基準の株式の保有を義務付ける規程。「役員就任後、○年以内に基本報酬の×倍の金額の株式を保有する」といった内容のほか、「権利確定後の株式を△年間(あるいは保有基準達成まで、または、退任後まで)保有し続ける」といった継続保有要件をあわせて定めることも多い。
マルス条項 : 主に中長期インセンティブを「支給前」に減額、あるいは消滅させる取り決め。一見するとクローバック条項(例えば業績に連動し支給された報酬を、業績結果の修正に伴い強制的に返還させる取り決め)と似ているが、クローバック条項が既に支給済の報酬を返還させる仕組みであるのに対し、マルス条項は最終的な支給が留保されている(=まだ支給されていない)報酬を対象としている。このため、クローバック条項が対象とする報酬は既に本人に費消されていることなどにより返還の実現が困難な場合があるが、マルス条項の対象となる報酬はまだ支給されていないため、減額・消滅が容易であるという特長がある。
|
報酬実績
(事後的な実績) |
・報酬方針に基づいてどのような額を払ったのか。
・それはペイ・フォー・パフォーマンスの観点から見て妥当か。
・報酬方針は有効に機能したか。 |
■総額開示、個別開示(1億円超)
✓報酬要素別
✓単年度分のみ
■インセンティブ報酬のKPIと実績
✓ESG等主要な非財務指標を含む |
しかし、会社法の施行が2021年3月1日と、2021年3月決算会社の定時株主総会の直前だったため、役員報酬の決定プロセスを変更する時間がなかったという会社、あるいは、代表取締役が最も俯瞰的に個々の役員の職務内容や会社への貢献を見ているため、報酬額の決定も代表取締役に任せるのがベストであるとして、「代表取締役等への一任」という従来のやり方を基本的には変えなかった会社も、特に時価総額の大きいところで目に付きました。また、十分な開示ができなかった会社の中には、これまで個々の役員を評価する明示的な基準を持っていなかったというところや、KPIも特段決めていなかったというところもありました。
今回の役員報酬の開示強化は基本法である会社法で規定され、違反すれば善管注意義務等に問われかねないことから、上場会社側でも重く受け止められていた一方、施行直後ということでプラクティスも固まっていない中で、会社法に抵触しないためには少なくどこまで開示しなければならないのかの見極めがままならず、法律事務所にドラフトの作成を依頼する会社も見受けられました。
役員報酬開示の土台となる報酬ガバナンス
もっとも、役員報酬の決定プロセスや報酬方針等について「こうすべき」という標準的な“型”は存在しません。また、特に時価総額が大きい会社の中には、教科書的な役員報酬制度から逸脱した制度を持つところが少なからず存在しています。
「基本報酬+賞与のような短期インセンティブ+株式報酬のような中長期インセンティブ」の組み合わせを教科書な役員報酬制度とすると、例えば国内で時価総額がトップクラスのあるメーカーでは、賞与と株式報酬の区分があまり明確ではありません。このメーカーでは、最初に総報酬額を決定し、総報酬額から基本報酬額を差し引いた「残り」を短期で支払う賞与と、株式報酬に分けています。また、やはり時価総額が国内トップクラスの別のメーカーの譲渡制限付株式報酬(リストリクテッド・ストック) も独特の仕組みとなっています。通常の譲渡制限付株式報酬は、将来の企業価値向上へのコミットメントと、アラインメント(株主との目線合わせ)を目的に、業績と関係なく毎期必ず株式を付与していきますが、同社の譲渡制限付株式報酬は、毎年の評価の結果として、後で株式を付与するという形をとっています。いわば“賞与の株式払い”のような形であり、年次の評価が著しく悪いと賞与がゼロになることがあるように、譲渡制限付株式報酬もゼロになることがあります。このように、役員報酬制度は会社によって異なることが珍しくなく、また、どのような制度が適しているかは会社によって様々と言えます。
譲渡制限付株式報酬(リストリクテッド・ストック) : 一定期間の譲渡制限が付された株式報酬で、企業が株式を無償取得することとなる事由(没収事由:例えば所定の期間勤務を継続しないなど)が定められているものを指す。「リストリクテッド・ストック」という呼び方も定着している。
裏を返せば、どのような役員報酬制度を作るのかは各社の自由ということになりますが、その分、上場会社は役員報酬についてアカウンタビリティ(説明責任)を果たす必要があります。具体的には、上表で示した「報酬ガバナンス(報酬の決定プロセス)」「報酬方針(事前の方針)」「報酬実績(事後的な実績)」の3つの観点から開示を行う必要があります。この“3点セット”に基づき開示を行うということは、かねてから有価証券報告書でも求められており、会社法改正後の事業報告でもこの枠組み(フレームワーク)が求められています。欧米の開示も基本的にこの3つの枠組みで構成されています。
この3つのうち、役員報酬開示の土台という意味で最も重要なのが「報酬ガバナンス(報酬の決定プロセス)」です。上述のとおり、役員報酬制度の形は会社によって異なることがあり得るものであり、それが自社のフィロソフィーに合っている、あるいは企業価値の向上という投資家のニーズも満たしているということであれば、たとえそれが教科書的な役員報酬制度から逸脱した制度であったとしても、必ずしも否定されるわけではありません。ただ、投資家に対しては、なぜその制度を選択したのか、「誰が」「どのような議論をして」そのような制度になったのかといったプロセス、言い換えれば報酬決定までの「手続」の客観性、透明性を、エビデンスとともに示す必要があります。
今年は“時間切れ”で「代表取締役に一任している」と書くしかなかったという会社にとっては、代表取締役への一任の是非も含め、この点への対応が来年の事業報告開示に向けて最大のアジェンダになるでしょう。
取締役会に委任する場合のボトルネック
では、報酬ガバナンス、すなわち報酬決定までの手続の客観性、透明性を確保するためには、具体的にどのような対応が求められるでしょうか。
上述のとおり、今年は「代表取締役等に一任」としている会社も目に付いたものの、投資家の間では、上場会社は報酬決定のメカニズムを開示するべきという意見が大勢を占める中で、代表取締役等への一任には、議決権の反対行使を受ける等のリスクがあることは否定できません。この点を踏まえると、上場会社がとるべき選択肢は以下の2つのいずれかとならざるを得ないと考えられます。
一つ目は、原則どおり取締役会で個々の役員の報酬額を決定するということです。実際、会社法改正を受け、報酬の決定権限を代表取締役から取締役会に戻したという会社も見受けられました。
もっとも、それは決して多数派とはなっていません。なぜなら、個人別の報酬額を取締役会で決定することとなった場合、個々の役員の報酬額が取締役会で共有されてしまうからです。例えば、取締役Aと取締役Bのどちらの評価が高かったのかが、当事者のいる前で数字とともに白日の下に晒されることになります。そのため、取締役会への委任については、「投資家への説明云々以前に、社内のマネジメントがやりにくくなるから避けたい」と考える経営トップは少なくありません。
ただし、役員報酬制度が定量評価のみで、財務数値に完全に連動しており、定性評価は一切入っていないという場合、個人別の報酬額を隠しようがないため、取締役会で決定することへのハードルは低くなります。また、定性評価よりも定量評価の方が簡単であるという点から、定性評価をやめることを検討している上場会社もあります。
しかし、報酬制度はある程度定性的な部分がないと正しくワークしないというのが通説となっており、「定性評価の結果を見せたくないからやめてしまう」というのは本末転倒と言えます。特にコロナ禍の状況では、業績のみに基づく定量評価がワークしにくく、その分、余計に定性評価の重要性がクローズアップされることとなりました。また、近年はESGの要素を定性的な評価に入れるケースも増えています(この点については後述)。
このように定性評価が必須となっている中で、個人別の報酬額の決定権限を取締役会に戻すのは容易ではないと言えますが、その難易度はボードの形態、構成によっても異なります。指名委員会等設置会社のほか、監査役会設置会社等でもモニタリングボードに近い取締役会を有しており、社内取締役はCEO、COO、CFOなど2〜3名のみという上場会社もあります。このような場合、例えば異なる事業部門を管掌する取締役が取締役会におり、2人の定性評価の差が分かってしまうといったことはあまり起きません。逆に言えば、監査役会設置会社等であっても、自社の取締役会をモニタリングボード化することにより、個々の役員の報酬の決定権限を取締役会に移しやすくなると考えられます。
モニタリングボード : 経営陣の監督を主たる役割・任務とする取締役会
マネジメントボードと定性評価を継続するなら報酬委員会への委任が選択肢に
以上のとおり、取締役会への委任が問題となるのは、大部分が業務執行取締役で構成される典型的なマネジメントボード型の取締役会を有し、かつ役員個人別の定性評価を取り入れている会社です。
マネジメントボード : 重要な業務執行の「決定」を目的とした取締役会のこと。
このような会社がマネジメントボードを継続し、役員個人別の定性評価も取り入れながら、さらに役員個人別の報酬についてプライバシーを確保したいと考える場合には、任意の報酬委員会(以下、報酬委員会)への一任が選択肢となります。通常は3〜4人で構成される会議体である報酬委員会で役員個人別の報酬額が明らかになるとしても、その数人の中での情報の共有にとどまるため、プライバシーの保護という観点からも、役員個人別の報酬額の決定を報酬委員会に一任する会社が増えています。なお、法務省は、取締役個人別の報酬等の内容の決定を「任意の」報酬委員会を構成する各取締役等に委任できるとの見解を明らかにしています(会社法の改正に伴う法務省関係政令及び会社法施行規則等の改正に関する意見募集の結果について 23ページ㉒参照)。ただし、委任する報酬委員会の委員が取締役ではない場合、会社法上の善管注意義務を負う者が存在しない会議体に役員報酬の決定を委任してよいのかという論点もあるので注意してください。
役員個人別の報酬等の内容の決定を報酬委員会に一任することとなった場合、報酬委員会の体制を整備する必要があります。今年(2021年)6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードの補充原則4-10①は、監査役会設置会社または監査等委員会設置会社であるプライム市場上場会社に対し、指名・報酬委員会の構成員の過半数を独立社外取締役とし、その委員会構成の独立性に関する考え方・権限・役割等を開示することを求めています。できれば委員長も社外取締役としたいところです。報酬委員会の体制を整え、運用していかなければ同原則が求める開示にも耐えられないうえ、プライバシーの問題にも対応することはできません。
また、上表で示したとおり、事業報告では報酬決定プロセスに関する年間の活動内容も開示の対象とされており、会社は十分な時間と客観的材料に基づいて役員報酬の内容等を議論したということを投資家に示す必要があります。例えばある会社は「何月何日」に「誰が」集まって「どういう審議をしたか」を、リストにして開示しています。報酬委員会の開催回数も活動内容の重要な要素となります。年に1回しか開催していないことを開示している会社も見受けられましたが、役員報酬というガバナンスの中心に位置付けられるテーマについて、わずか年1回の会合で結論が得られるとは思えません。投資家が納得感を得られるよう、時間をかけて議論したというエビデンスを示す必要があります。
報酬委員会に委任する場合のオペレーション上の工夫
つい最近までは、会社のことを熟知しているわけではない社外取締役に報酬や指名を任せてもよいのかとの懸念が根強く残っていました。これは、指名委員会等設置会社が普及しなかった最大の理由でもあります。また、社外取締役側からも「そこまで重い責任は負いたくない」という声も聞かれました。
しかし現在は、運用上の工夫によりこのような懸念も解消されつつあります。例えば社外取締役だけで構成される報酬委員会を有するある会社では、同委員会の委員ではないCEOが役員報酬の内容等の起案者として同委員会に参加し、提案を行う機会を設けています。すなわち、社外取締役は役員報酬の内容等をゼロから判断するのではなく、CEOの説明を聞いたうえでそれが納得できるものとなっているかということを客観的にチェックするという形をとっています。このような運用であれば、社外取締役がCEOの起案に対してノーと言うことはあるとしても、最初から的外れな報酬案が出てくるということはまずなくなります。このほか、CEOが、過半数を社外取締役が占めている報酬委員会の委員になっている会社も多く、また、全員が社外取締役の報酬委員会であっても、CEOをオブザーバーとしたり、役員個人別の報酬額(評価)を決定する重要な場面ではCEOが同席したりといったケースもよく見受けられます。要するに、「報酬委員会に一任」とは言っても、実質的にはCEOが役員個人別の報酬の決定に間接的に関与しているということです。実質的には、これまでの「社長一任」に、報酬委員会の活用により客観性、透明性を付加した形と言えそうです。
なお、CEOの報酬については、報酬委員会が主導的に決定することとしている会社が多く、CEO自身は起案もしないのが一般的です。
「説明できる報酬制度」を持つことが開示の充実につながる
役員個人別の報酬等の内容の決定プロセス(役員報酬ガバナンス)が固まったら、次は「報酬方針」「報酬実績」の開示の充実に取り組んでいくことになります。
報酬方針と報酬実績、すなわち「報酬プログラムの妥当性」と「その運用の結果」のいずれの説明責任を重視するかは会社によって違いがあります。まず標準的な日本企業、具体的には報酬水準があまり高くなく、固定報酬が多い報酬体系から変動報酬(インセンティブ報酬)の割合を増やしつつある段階にある会社では、重要度は「報酬方針」の説明の方が高くなります。事業報告における新たな役員報酬開示のルールでは、例えばKPIの選定理由や目標、報酬との連動性など詳細な制度設計の開示が求められますが、2021年3月決算会社の事業報告では、こうしたものが一切存在せず、開示に苦労した中堅企業も相当数見受けられました。
こうした会社が最優先で取り組むべきは、「説明できる報酬制度」を持つことです。例えば変動報酬を増やすことで、固定報酬と変動報酬のウェイトを標準的なレベルまで引き上げる、さらに変動報酬には賞与など「短期インセンティブ」と株式報酬など「中長期インセンティブ」を導入することで中長期インセンティブのウェイトもある程度高め、中長期の企業価値向上にコミットしているということが報酬体系から見て取れるようにする必要があります。どのような報酬制度があるかを明確に説明できるようになれば、投資家からの信頼も高まるはずです。
一方、既に先進的な報酬方針・報酬制度を持っている会社は、報酬実績の開示の充実に取り組むべきです。投資家は、特にインセンティブ報酬のウェイトが高い会社に対しては、どのような評価・根拠に基づきその金額がはじき出されたのかに高い関心を持っています。しかし、例えば報酬額を左右する目標の設定が甘く、報酬額算定のフォーミュラ(算式)通りに報酬額を計算したら予想外に高い金額になってしまった、そもそもKPIの選定がペイ・フォー・パフォーマンス を担保するうえで適切でない、株式報酬のベスティングが他の会社に比べて短いなど、報酬実績について納得のいく説明がしにくい会社が少なくないのが現状です。
ペイ・フォー・パフォーマンス : 会社の業績と報酬の実支給額が見合っているか、という考え方。業績連動型のインセンティブ報酬の普及している欧米においては、インセンティブの有用性を担保する観点からも重要視されている。
ベスティング : 権利を付与されてから権利行使可能になるまでの期間のこと。ベスティング(vesting)とは「権利確定」という意味である。
こうした会社は、報酬実績の開示のクオリティを上げるよう、現在の報酬制度(方針)を改善する必要がありますが、ここでも鍵となるのは定性評価です。上述のとおり、報酬制度は、ある程度定性的な部分、いわば“遊び”の部分がないと正しくワークしません。そして、定性評価のペイ・フォー・パフォーマンスを担保するのは、やはり報酬ガバナンスです。今年の事業報告開示を見ても、ある程度先進的な報酬制度を有する会社で、コロナで業績が乱高下したことによる報酬の定性的な調整のプロセスについての議論が十分でなかったためにダイナミックな調整ができず、報酬実績の開示における説明にも苦労するという事例がありました。結局、報酬実績開示の問題の根幹は、報酬ガバナンスにあるということです。
ESG評価の導入の有無など、欧米企業とは大きな差
ここまで述べてきたとおり、多くの日本企業では、役員報酬開示の充実以前に、役員報酬制度自体についてもまだ改善の余地があると言えます。
役員報酬を巡るグローバルな議論として、現在一番のホットイシューとなっているが役員報酬制度におけるESG評価です。経営陣はESGに目を向けるべきという世界的な潮流の中、ESG評価を報酬制度に組み込むことは正当化される一方、最近はグリーンウォッシングが問題化しており、ESG評価を役員報酬制度に組み込む場合には高度な客観性、透明性が求められます。報酬制度に組み込むESG目標は自社のESGのマテリアリティ(重要性)に沿って適切に選ばれているか、例えばE(環境)に関する目標について長期的なロードマップを引いて毎年マイルストーンを設け、今年は何をしなければいけないのか、どこまで達成できたのかといったことを社内で管理する体制がないと、おいそれと報酬制度に組み込むことはできません。また、ESGに関する指標は財務指標とは違って比較可能性が低く、業種ごとに何が重要なのかも異なります。特にEやSが企業価値の向上にどう繋がっているのか、それをどのように報酬制度(評価)に落とし込めばフェアなのかは極めて難しいテーマと言えます。欧米のトップ企業の7〜8割はESG評価を経営者報酬制度に組み込んでいますが、日本企業の場合は昨年の段階で15%ほどと、欧米企業と比較すると圧倒的に少なくなっています。この差は、ESGに関する指標を経営陣の評価に使用する体制が整っていない、あるいは使用したとしても説明責任を担保する体制が整っていないことに起因すると考えられます。
グリーンウォッシング : 環境に配慮していることやエコを想起される「グリーン」と、上辺だけを飾ることを意味する「ホワイトウォッシュ」を掛け合わせた造語であり、一見すると自社の商品やサービスなどが(実際にはそうではないにもかかわらず)環境に配慮しているかのように見せかけ、環境意識の高い消費者や投資家への訴求効果を高めようとする行為を指す。
ESG評価にとどまらず、経営者報酬開示全体を通じて、日本企業は欧米企業に後れをとっている感は否定できません。
欧米企業では、例えば定量設計部分については、期初の目標と期末の着地が示され、目標達成率に応じて何%のインセンティブ報酬が支払われたのかが開示されています。それ以上に日本企業との差が大きいのは、定性評価部分です。会社の戦略を踏まえた定性的な目標を立て、その目標に対して経営陣が1年間どのようなことをやったかが詳細に記述され、さらに、経営陣がやったことに対する報酬委員会のスコアリングが明示されています。
今回の改正会社法に伴う役員報酬開示強化に関するパブリックコメントへの法務省の回答でも、非財務指標を一要素としている報酬等も業績連動報酬等に該当するとの考えが示されており(21ページの⑲参照)、既に事業報告にも定性評価に関する開示の枠組みは存在しています。しかし、現実には、事業報告に細かく書くほどの検討がされていないため、定性評価やESG評価の導入をペンディングしているという会社も少なくありません。日本企業は、報酬制度の高度化に向け、欧米企業の取り組みも参考にしながら、定性評価やESG評価について議論を深める必要があるでしょう。
さらに、報酬委員会の活動内容に関する開示でも大きな差があります。日本では、指名委員会等設置会社については会社法で報酬委員会の権限が法定されていますが、任意の報酬委員会の場合、どのような権限を持っているのかが必ずしも明確ではありません。今回の役員報酬の開示強化では、報酬の決定に関する役割・権限・責任の開示が求められていますが、例えば、形式的には取締役(会)が報酬委員会に報酬内容等を諮問し、取締役(会)が報酬委員会の答申を受けるという仕組みを作っても、結局、答申の内容を取締役(会)が覆すことができてしまうというケースが少なくありません。このような場合、果たして報酬委員会が実効的に機能していると言えるかは疑問です。取締役(会)が報酬委員会と異なる決定を行うには、報酬委員会への差し戻し、あるいは異なる決定をする理由を取締役(会)が報酬委員会に説明しなければならないことなどを、報酬委員会の内規で定めている日本企業もありますが、欧米では報酬委員会の役割・権限・責任等について規定した内規(「チャーター」と呼ばれる)を取引所規則等で開示することが義務付けられています。
また、報酬委員会の活動内容の詳細な開示という点でも欧米企業が先行しています。特にCEOについては、どういう点をどのように評価したということが詳細に開示されているほか、株主からのセイ・オン・ペイ(経営者報酬の支給方針、支給額に対する株主投票)に関しても、株主からの質問内容や、それを受けてどのように報酬制度を変えたかなどが開示されています。
極めつけは、社外の報酬委員長が、今年1年間の活動を適切に遂行したことを宣誓したレターの添付です。レターには報酬委員長のサインが入っており、報酬委員会として、客観性、透明性のある経営者報酬の実現にコミットしたことを示しています。
下表は、経営者報酬開示の要素について、日本と欧米のルールを比較したものです(赤字部分が欧米企業で上乗せして開示されている部分)。日本企業が欧米企業並みの経営者報酬開示を実現するまでにはもう少し時間がかかることが予想されますが、特に外国人投資家の投資対象となっている日本企業は、欧米企業の経営者報酬開示の水準を参考にしたいところです。
<経営者報酬開示の要素:日本と欧米の比較>
| 工程 |
日本企業の報酬開示の枠組み(21年施行改正法ベース) |
欧米企業の報酬開示の枠組み |
報酬ガバナンス
(報酬の決定プロセス) |
■構成メンバー
■役割・権限・責任
■年間の活動内容
■決定方法(代表取締役等への一任の有無、ある場合はその理由・詳細・権限が適切に行使されるようにするための担保措置)
■報酬方針と適合すると判断した理由
|
■構成メンバー
■役割・権限・責任
■年間活動内容(CEOの報酬評価に対する判断経緯、制度改定を行った場合の改定経緯等)
■株主エンゲージメントの状況
■適切な審議を行った旨の委員長声明(Letter of Chair)
■報酬委員会内規(Charter) |
報酬方針
(制度面 事前の方針) |
■基本フィロソフィー
■報酬水準
■報酬構成
■インセンティブ報酬の詳細
✓KPIの選定理由等
■その他
✓ベネフィット
✓株式保有ガイドライン
✓マルス条項、クローバック条項
■非業務執行役員(社外取締役、監査役)の報酬方針
|
■基本フィロソフィー
✓“Do / Don’t do”
■報酬水準
✓ピア・グループ構成企業名、目標水準の位置づけ
■報酬構成
■インセンティブ報酬詳細
✓KPI選定理由、算式、評価基準、プロセス等
■その他
✓ベネフィット
✓株式保有ガイドライン
✓マルス・クローバック
✓セベランス等の個別契約条件
■非業務執行役員の報酬方針
■委員手当、委員長手当、筆頭手当、取締役会議長報酬、等
“Do / Don’t do” : 報酬方針において「行うこと( do)」と「行わないこと( don’t do)」を示すこと。近年では、例えば「do」としては「非財務指標に基づく評価も行う」、「don’t do」としては「(経営陣が短期的な利益追求をしないようにするため)過度な年次インセンティブは支給しない」などが見受けられる。これらを明確に示すことで、報酬議案の賛成率を高めるという狙いもある。
ピア・グループ : 業界、ビジネスモデル、企業規模(売上等)が類似するいわゆる競合他社群のこと。米国の大手企業ではピア・グループ(10~20 程度)を設定し、開示するのが一般的となっている。
セベランス : 退任する際の追加退職金等
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報酬実績
(制度面 事後的な実績) |
■総額開示、個別開示(1億円超)
✓報酬要素別
✓単年度分のみ
■インセンティブ報酬のKPIと実績
✓ESG等主要な非財務指標を含む
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■エグゼクティブオフィサーの個別開示(米:報酬額Top5)
✓報酬要素別
✓直近3年分
■インセンティブ報酬のKPI目標と実績、支給率
✓ESG等主要な非財務指標の評価の内容を含む
■CEO報酬(および主要幹部)の評価詳細
✓株式報酬等のべスティング状況
✓ベネフィット等の支給状況
✓株式保有ガイドラインの遵守状況
✓ペイ・フォー・パフォーマンス分析(TSRと報酬の相関)
■非業務執行取締役(社外取締役)の個別報酬開示
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