解答者
WTW シニアディレクター
Employee Experience(EX) 統括
平本 宏幸
従業員エンゲージメントに関する投資家の質問例と取締役会に求められる対応
人的資本と企業価値向上との関連性を示す代表的な非財務指標が「従業員エンゲージメント」です。近年は、投資家との対話の際に、従業員エンゲージメントに関する質問を受けるケースが増えています。そこで以下、従業員エンゲージメントに関して想定される投資家からの質問と、取締役会に求められる対応等について解説します。
従業員エンゲージメント : 「企業が目指す姿や方向性を、従業員が理解・共感し、その達成に向けて自発的に貢献しようという意識を持っていること」を指し、組織の目指すゴールに対する「自発的貢献意欲」とも言い換えることができる。従業員エンゲージメントは「従業員満足度」と混同されがちだが、実は両者は同義ではない。所属する組織、職場の状況、上司、自身の仕事などについて、「従業員が自身の物差し」で評価をするのが従業員満足度であるのに対して、「会社が目指す方向性や姿を物差し」として、それらについての自分自身の理解度、共感度、行動意欲を評価するのが従業員エンゲージメントとされる。(文責:上場会社役員ガバナンスフォーラム)
想定される質問(1)
「従業員エンゲージメントをどのように測定しているのか。それは企業価値向上とどのように関連しているのか。」
従業員エンゲージメントには様々な概念や調査方法がありますが、投資家の関心は従業員エンゲージメントがいかに企業価値向上に貢献しているかという一点にあります。したがって、従業員エンゲージメントを測定する際には、企業業績との明確な関連性がある指標(例えば仕事への熱意)を用いることが重要になります。取締役会は、客観性が検証された適切な指標が用いられているかとともに、それが対外的に説明可能な状態となっているかを確認しておく必要があります。
他社との比較も欠かせません。絶対値や自社における過去からの変化だけを見ても、現在の水準が「課題」として捉えるべきレベルなのか、あるいは良好な結果であるのかを判断することは困難です。他社の水準と比較してどれくらい差があるのかを示すことで、自社が他社よりも魅力的であることや、人材に十分な投資をしていることなどを説得力をもって説明することができます。
グローバルに事業を展開している企業であれば、国別のベンチマークを取得し、各国の基準を踏まえた拠点別の従業員エンゲージメントの状況を把握しておくことも求められます。通常、従業員エンゲージメントのスコアは各国の文化や価値観等に大きく左右されるため、ある国では高いスコアであっても、それが他の国の基準では低いということが考えられるからです。
ベンチマーク : 何かを評価・比較する際の基準のこと。例えば、「業界の平均値」は典型的なベンチマークである。
想定される質問(2)
「従業員エンゲージメントを向上させるうえでの課題は何か。課題解決のために経営サイドはどのような取り組みを進めているのか。」
投資家は、従業員エンゲージメントのスコアそのものよりも、むしろスコアを上げるうえでどのような点が課題になっているのか、経営サイドがそれを解決していくためのPDCAサイクルを回すことができているのか、そして、それが結果として企業価値向上につながっているのかに関心を持っています。したがって、取締役会としては、単に調査を実施して結果を説明するのみならず、課題の把握と解決に向けた取り組みを執行サイドがどのように進めているのか、取り組みの結果として人的資本の質は高まっているのか、取り組みを進めるうえでのボトルネックとその解消方法などを投資家に対して説明できるようにしておく必要があります。
例えば、経営戦略・計画に、従業員エンゲージメント調査により明らかとなった課題の解決を取り込むというプロセスを恒常的に実施している企業もあります。従業員エンゲージメント調査を「人事部によるアンケート調査」にとどめることなく、経営戦略・計画と連動した「人的資本向上のための全社的な取り組み」と位置付けることができれば、投資家に対してもその経営的な意義をより伝えやすくなるでしょう。
併せて、経営陣の評価や報酬との連動性を明確にすることも考えられます。従業員エンゲージメントのスコアを開示するだけでなく、スコアを経営目標として、経営陣の評価や報酬に反映する仕組みとすれば、従業員エンゲージメントに対する経営陣のコミットメントを示すことができます。非財務的な指標を経営陣の評価・報酬に反映する実務は日本企業でも進展が見られますが、従業員エンゲージメントはダイバーシティ等の指標と並んでよく用いられる指標となっています。
想定される質問(3)
「貴社のカルチャーはどのような特徴を有しているか。企業価値向上に資するような企業カルチャーとなっているか。」
従業員エンゲージメントに関連するテーマとして取締役会が取り組むべき重要なテーマが「企業カルチャー」です。不正・隠蔽・情報操作・ハラスメントなど問題が生じにくい健全なカルチャーを有しているかどうかは目に見えにくいものの、中長期的な企業の競争優位性と成長に大きな影響を及ぼすだけに、取締役会はモニタリングしていく必要があります。
英国FRC(財務報告審議会)が策定したGuidance on Board Effectivenessには、取締役会の役割として「カルチャーのモニタリング」が明記されています。そこには、健全なカルチャーの特徴として、オープンであることや、リスペクト、信頼性、挑戦を許容する姿勢、目的の共有などが例示されています。また、このようなカルチャーが維持されているかを見極める情報源として、離職率、健康・安全等に関するデータとともに、従業員へのサーベイが挙げられています。
英国FRC(財務報告審議会) : 英国における会計基準設定主体。監査やコーポレートガバナンス・コード等も管轄している
日本のコーポレートガバナンス・コードにも、「ステークホルダーとの適切な協働やその利益の尊重、健全な事業活動倫理などについて、会社としての価値観を示しその構成員が従うべき行動準則を定め実践すべきである」(基本原則2)、「取締役会は、行動準則が広く実践されているか否かについて、適宜または定期的にレビューを行うべきである。その際には、実質的に行動準則の趣旨・精神を尊重する企業文化・風土が存在するか否かに重点を置くべきであり、形式的な遵守確認に終始すべきではない」(補充原則2-2①)とあります。日本企業にとっても、企業文化・風土は取締役会がモニタリングすべき重要なテーマと言えるでしょう。
具体的な取り組みとして、まずは従業員エンゲージメント調査などから社員の声を集め、自社がどのようなカルチャーを有しているのかを「言語化」することから始めます。「オープンではあるが、新たなチャレンジに対して保守的な傾向がある」「トップダウンで物事が決まり、従業員が声を上げることや自発的に取り組むことは奨励されない」「社員一人ひとりを尊重する姿勢に欠け、心理的安定性を保ちにくい」といったカルチャーの特徴が明確になることは、中長期的な企業価値の向上に向けた課題やリスクのあぶり出しにもつながります。
企業のカルチャーは、財務業績や企業戦略とは異なり、明文化、定量化して議論することが難しい領域ですが、自社のカルチャーを従業員エンゲージメント調査等を通じて客観的に把握したうえで、それが健全なものであるか、健全性を損なうような懸念がないかを定期的にモニタリングし、場合によっては議論の俎上に載せることは、取締役会が保持すべき重要な機能と言えるでしょう。
想定される質問(4)
「どのような点が貴社のカルチャーにおけるリスクファクターなのか。また、それにどのように対応しているのか。」
上述のとおり、企業カルチャーを把握することは、自社が潜在的に有しているリスク要因を明らかにすることにつながります。上記英国のGuidance on Board Effectivenessでは、以下のような事象が不健全な企業カルチャーを生む可能性があるとしています。
・縦割りの風潮
・支配的なCEO
・傲慢なリーダーシップ
・極端に高い数値目標達成への圧力
・情報へのアクセス不足
・経営層と従業員の結びつきの弱さ
・チャレンジに対する許容度の低さ
・短期志向
従業員エンゲージメント調査により上記のような事象の存在を取締役会が早期に把握しておくことは、リスクマネジメントの観点から重要になります。
企業カルチャーの問題については、どうしても定性的で掴みどころのない議論となりがちであり、自社のカルチャーを体感していない外部のステークホルダーに対して分かりやすく説明する難しさもあります。そこで、従業員エンゲージメント調査により、自社のカルチャーへの従業員の適応度や満足度などをスコア化し、定量的かつ定期的に企業カルチャーに関するリスクを把握するということも考えられます。さらに、スコアがリスクの存在を示唆している場合、問題の発生を未然に防ぐため具体的にどのようなアクションをとっているかを対外的に説明できるようにしておきたいところです。
ただ、上記に列挙したような不健全な企業カルチャーの予兆が見えても、そのことを積極的に取締役会に共有しようというインセンティブは働きにくいのが一般的です。このような場合には、執行サイドではなく社外取締役が中心となって情報共有を働きかけることが、株主に対する説明責任を果たすことにつながります。ネガティブな情報こそオープンにすべきということを取締役会が率先して進められるかどうかは、健全な企業カルチャーを体現することに他ならないと言えます。
第三者機関が従業員エンゲージメント調査の結果を取締役会に報告する事例も
以上、従業員エンゲージメントに関しての投資家から想定される質問と取締役会の対応について解説しましたが、最近はWTWのような第三者機関が従業員エンゲージメント調査の結果を取締役会に報告する機会も増えてきています。
客観的な視点を入れて現状を把握し、課題解決に取り組み、また、企業カルチャーについての正確な理解とモニタリングを進めていくことは、投資家・ステークホルダーの人的資本に対する関心の高まりに対応するためにも益々重要となってい