M&Aの目的は「時間の節約」と「リスク軽減」
あらゆる事業にはライフサイクル(導入期、成長期、成熟期、衰退期)があると言われます。製品やサービスの導入期から成長期にかけては、市場拡大に応じて売上高は順調に伸長し、事業規模拡大とともに高い収益性を確保できるようになります。しかし、成熟期に入ると市場拡大が鈍化・停滞し、収益性こそ安定するものの、さらなる事業規模の拡大は難しくなります。遅くともこの段階で新たな事業分野を確立しておかないと、既存事業はやがて衰退期に入って十分な収益を上げることができなくなる可能性が高いだけに、企業の存続が危うくなりかねません。
<ライフサイクル>

従来、企業が新規事業を開発・育成する場合には、成長期~成熟期に獲得した潤沢なキャッシュフローを原資に、技術開発や市場開拓のための投資を実行し、長い時間をかけて事業構造の転換を図るというパターンが一般的でした。しかし、技術革新やインターネットによる需要創出のスピードアップ(ドッグイヤー化)などにより、あらゆる事業のライフサイクルは短くなる一方です。このような環境下、自前(オーガニック)による事業育成にこだわっていたのでは、いたずらに時間を浪費するだけで、投資した資金を回収する機会を逃すリスクを高めることになりかねません。こうした中、時間を節約するとともにリスクを軽減し、新規事業を成功に導くための有効な手段の一つとして期待されるのがM&A(merger and acquisition=企業の合併・買収)です。
新たな事業分野への進出にM&Aを活用するということは、自社に足りない経営資源をオーガニックで育成するのではなく、外部から調達することで「時間を買う」ということに他なりません。「ヒト・モノ・カネ」のすべてがそろわなければ新規事業を開始し、成長させることは困難ですが、そのうち1つないし2つしか自社の中に備わっていない場合、M&Aを活用して「足りない経営資源」を外部から取り入れることにより、直ちに事業化に着手できます。
例えば経営資源のうち「ヒト」、すなわち質の高い従業員はそろっているとします。しかし、既存事業の成長性が近い将来頭打ちになることは目に見えており、それに伴い余剰人員が発生する可能性が高いという場合、少しでも早く新規事業を立ち上げてそこに人員を移管できなければ、大規模な解雇や待遇の引き下げが避けられなくなってしまいます。そこで、既存事業と親和性のある別のビジネス(例えば、既存事業が飲食店チェーンならば、別業態の新興チェーン)を買収し、人的リソース(従業員)を抵抗感なく(少なく)買収事業に注ぎ込むことで、企業としては「ヒト(質の高い従業員)」という経営資源を損なうことなく、新たな事業のライフサイクルを獲得することができます。
あるいは「モノ」、すなわち新しい製品やサービスの基盤となる技術やノウハウは、既存事業における研究開発などから派生的もしくは偶発的に得られているとします。しかし、新しい製品やサービスを展開する顧客基盤を持っておらず、また、それに取り組むのに必要なスキルを持った従業員もいなければ、せっかくの魅力的な新規事業も思ったように伸ばすことができません。そこで、新規事業を展開する能力を持った他社(例えば、新製品の販売を得意とする専門商社)を買収して顧客網および営業スタッフを確保すれば、一気に拡販に乗り出すことが可能になります。
最後の「カネ」、すなわち余剰資金のみ潤沢に保有しているケースこそが、実は経営陣としては最も警戒するべき状況と言えるかもしれません。資金が潤沢であれば、M&Aの仲介業者などから案件がどんどん持ち込まれてきますし、また上場企業であれば株主から資金の有効活用を強く求められるため、えてして「M&Aすること自体」が重要視され、まさに“自己目的化”してしまう可能性が多分にあります。このようなケースでは、M&Aの対象を精緻にデューデリジェンスして高値づかみしないことは当然ですが、それ以前に「そもそもなぜM&Aするのか」、そして「なぜその事業なのか」を、自らに何度も問い直すことが不可欠です。
M&Aの成否を左右する対象事業の見極め
M&Aの成否は、ターゲットとする事業分野の選択に大きく左右されます。単に「進出しやすいから」という理由で分野を選んでいるようでは、成功する確率は決して高くありません。
どの分野を選ぶかという経営判断において重視しなければならないのが、自社のビジョンとの親和性と、既存事業とのシナジーです。ビジョンとの親和性がなければ全社一丸となって新規事業に取り組むことはできませんし、既存事業とのシナジーが得られなければ、他社に対する競争優位を築くのは難しいからです。
まず「ビジョン」について説明しましょう。
ビジョンとは、企業のミッション(自社が社会にいかに貢献するかのイメージを表現するもの。理念、社是などもこれに類する)を前提として、自社がおおむね10年程度先の将来において実現したい目標です。「10年先」と言っても、ビジョンは夢物語ではありません。企業が独自に持つ強み(コアコンピタンス)をはじめ、事業環境およびリスクの合理的な予測、展開するべき事業ドメイン、目標とする業績水準を考慮した上で設定する「実現可能な目標」である必要があります。
コアコンピタンス : 企業経営上、核となる能力や得意分野のこと。例えば、技術力やノウハウ、製品開発力などを指す。他社に対する競争優位性を保持する源泉となる。
もっとも、いかに自社のビジョンと親和性(整合性)があったとしても、資本効率が低い事業であれば、進出には慎重であるべきです。この「ビジョンとの整合性」を縦軸、「資本効率(ROE、ROIなど)」を横軸にとり、事業のポテンシャルを表わすのが、ボストン・コンサルティング・グループが考案した「バリューポートフォリオ」です(下図参照)。
資本効率 : 調達した資本の運用効率のことであり、代表的な指標としてはROE(資本利益率)やROA(総資産利益率)、ROI(投下資本利益率)がある。
ROE : Return On Equity=自己資本利益率(当期純利益/自己資本)
ROI : Return On Investment=投下資本利益率(純営業利益/投資額)
<バリューポートフォリオ>

図中の円は事業に投下した資本の大きさを示しています。これらのうち、上場企業が取り組むべき理想の事業分野が、ビジョンと資本効率が両立している「本命事業」です。この分野で新規事業を立ち上げることができれば、成功する確率は高いでしょう。
ビジョンには合致していても資本効率が低い「課題事業」は、経営資源の投入の仕方次第で大きく育つ可能性があり(例えば「顧客基盤を持つ同業他社を買収する」「差別化を促進するために有望な技術パテントを持つ同業他社を買収する」など)、まさにM&Aの活用を検討することが有効です。一方、ビジョンには整合しないものの資本効率が高い「機会事業」については、ビジョンに合致しない以上、本来は安易に手を出すべきではありません。しかし、これを機にビジョン自体を再考するなど企業が“変革のタイミング”にあるならば、大胆なM&Aによる新規参入も考えられるでしょう。
一方、ビジョンとの整合性も資本効率も低い「見切り事業」への参入は基本的には控えるべきです。
ビジョンと資本効率から判断して参入する意義がある事業でも、既存事業とのシナジーが大きいか小さいかによって、進出後に競争優位性を迅速に築けるかどうかに差が出てきます。このシナジーの有無を判断するのに役立つのが、経営戦略の父と言われるイゴール・アンゾフ
が提唱した「成長マトリックス」です。これは、縦軸を市場、横軸を製品とし、それぞれを既存と新規に分けるマトリックスを用いて、元々は「製品戦略」を決定するのに活用されるものですが、既存事業と新規事業のシナジーの有無をイメージするのにも応用することができます。
<成長マトリックス>

例えば既存事業と製品・市場を同じくする新規事業であれば、いわゆる市場深耕・浸透戦略(マトリックスの左下)をとることになり、既存事業との大きなシナジーが得られます。もっとも、このカテゴリーは既にある程度開拓されているため、飛躍的な成長性の向上は望めないかも知れません。
これに対し、既存製品を新しい顧客に販売する市場開拓戦略(マトリックスの左上)や、既存顧客に新しい製品を販売する新商品開発戦略(マトリックスの右下)は、既存事業とのシナジーを活用して新たな成長性を獲得するポテンシャルを持っています。前者であれば、例えば日本国内でシェアの高い自社製品をアジアで販売するため現地の商社を買収する、後者であれば、例えば日本国内で築いた強固な顧客網に新しい製品を販売するため近接分野のメーカーを買収する、といったM&Aが考えられます。
一方、製品・市場のいずれも既存事業と関連が薄い分野で新規事業に乗り出すということは、いわゆる(無関連)多角化戦略(=コングロマリット展開。マトリックスの右上)をとるということです。多角化戦略は潜在的な成長ポテンシャルは決して小さくないものの、シナジーを期待できないリスキーな戦略と言わざるを得ません。
以上、M&Aのターゲットとする事業分野を選ぶ際に役立つ2つの方法を紹介しましたが、どのような事業であっても新規に展開する以上、大なり小なりリスクは存在します。したがって、その事業に乗り出すか否かの決断は、最後は自社の「リスク許容度」の問題だと言えるでしょう。特にM&Aによって新規事業への進出を図る場合、自社と買収相手となる企業との相対的な規模格差、自社の収益力および資金力、自社はリスクに挑戦する社風かどうかなど、買収相手に対するデューデリジェンス以前に、まず「自社のデューデリジェンス」を精緻に行うことこそ、望ましい新規事業分野を見つけるための大前提となります。
- M&Aの手法は最適か
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M&Aのターゲットとする事業分野の選択と並び、M&Aの成否を左右するのが、M&Aの手法(どのような組織形態、グループマネジメントを採用するのか)です。
短期的には、お互いの組織における軋轢やビジネス上の支障を最小限に抑えるため、あえて分離度合いの大きい枠組み(役員の兼任を最少限にとどめた子会社化など)を採用したり、あるいは、業績不振に陥っている他社を自社の一部門として完全に吸収し、厳しい規律の下で意識改革を図るなど、個別の事情や狙いが優先されることもあるでしょう。しかし、少なくとも中期的には、既存事業とM&Aの対象事業との関連性やシナジーの大小によって決定されるべきです。
上記の成長マトリックスを参照しながら、シナジーの大小に応じたM&Aの手法を検討してみましょう。
製品と市場の両方が「既存分野」に属する事業のM&Aであれば、あらゆる経営資産を共有してシナジーを徹底追求すべきなので、吸収合併によるワンカンパニー体制を採用するのが有効です。両組織の人事マネジメントも可能な限り融合させるべきです。事業内容がほぼ同一である新日鐵と住友金属の経営統合において合併が選択されたことは、極めて当然の帰結と言えます(合併後は新日鐵住金)。
既存の製品を「新規の顧客」に販売するため、もしくは、「新規の製品」を既存の顧客に販売するためのM&Aの場合、前者であれば例えば「(被買収企業の)海外の顧客管理ノウハウ」、後者であれば例えば「(被買収企業の)新製品の製造プロセス」を尊重しつつ、どこまでシナジーを得られるかを慎重に判断する必要があります。既存の経営資源(前者では「製品」、後者では「顧客」)を持つ買収側の企業が明確にリーダーシップを発揮することが適切ならば、被買収企業を直接の子会社として支配下に置くのが理にかなっています。武田薬品工業による米ミレニアム・ファーマシューティカルズの買収、アステラス製薬による米OSIファーマシューティカルズの買収など、製薬メーカーでは完全子会社化の手法を採用するケースが目立ちますが、これはR&Dにおける“自律性”を保証したうえでシナジーを最大限に得るため、独立した事業会社としつつ本社との関係を明確にしたものと考えられます。
R&D : 研究・開発業務、あるいは研究・開発部門のこと。Research&Developmentの略。
一方、被買収側の企業に独立性や自律性を十二分に持たせた方が、買収した経営資産のポテンシャルを最大化できるのであれば、純粋持株会社の下で既存事業と買収事業を並列の子会社として配置し、イコールパートナーとしての位置付けを与えることが望ましいでしょう。KADOKAWAとドワンゴの経営統合においては、事業規模ではKADOKAWAが圧倒的に勝っているうえ、事業分野はともにコンテンツ系と共通している以上、KADOKAWAによる子会社化も考えられたところです。しかし、将来の事業展開をイメージした場合、ネットビジネスに強いドワンゴの果たす役割が極めて大きいと判断、上下関係をつけることは相当ではないとして、純粋持ち株会社体制を選択したのではないでしょうか(統合後はKADOKAWA・DWANGO)。
製品も顧客も共通していない多角化タイプのM&Aであれば、持株会社体制による経営統合を選択するのが最も自然です。個々が独立した企業として自律的に事業を展開することが望ましいからです。この場合における持株会社は、事業ポートフォリオに「カネ」を最適配分して利益を最大化する、ファンドマネージャー的な役割を果たすことになります。このようなコングロマリット戦略をとる場合には、事業の売却も含め、ポートフォリオの機動的な入れ替えが求められます。米ゼネラル・エレクトリック(GE)では、カリスマCEOだったジャック・ウェルチが大きく育てたプラスチック事業がコモディティ化したとして、ジェフリー・イメルト(ジャック・ウェルチ引退後のGEのCEO)がこれを売却しました。このような早いサイクルでの新陳代謝をM&Aによって実現することも、成長性を維持するための1つの方策であることを経営陣は認識しておくべきでしょう。
コモディティ化 : 各社の製品の機能・品質などが均質化すること。消費者にとっては、どの会社の製品を購入しても大差がない状態。
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