エンゲージメント・レターの見落としに要注意
エンゲージメントは、投資家から上場企業に送られるエンゲージメント・レターから始まります。エンゲージメント・レターの宛名は「取締役会メンバー」となっていることがほとんどですが、IR部長名も併記され、通常はIR部に送られてきます。ただし、直接CEO宛に送られることもありますので注意が必要です。
いずれにせよまず重要なのは、エンゲージメント・レターが送られてきたという事実を把握することです。見落とし等により、レターが送付されてきたこと自体が認識されなかった場合は大きなリスクとなります。投資家は、その企業がエンゲージメントを受けない姿勢であるとみなし、株式を売却することがあります。あるいは、議決権行使に訴える可能性があります。さらに、その企業が「エンゲージメントを受けない企業」であるという噂が広がることも十分考えられます。このような噂が広がることは、企業のレピュテーション上、大きな問題となります。他の投資家も同様の認識を持ってしまうリスクがあるからです。
後述するように、送り主が良く分からない名称の場合、広告郵便や迷惑メールだと判断してしまいがちなので要注意です。また、送り主が海外投資家の場合、日本語や日本のビジネス慣習に不慣れのため、送り先が分からず、全く関係のない部署にエンゲージメント・レターを送付してしまうこともあります。これは企業の責任ではありませんが、先方が「送った」という認識である以上、問題が起こる可能性があります。企業としてはこういった事態が起こりうることも念頭に置き、エンゲージメント・レターの到着を決して見落とさないようにしてください。
送り主が小さな組織でも、背後に巨大な投資家がいるケースも
エンゲージメント・レターが送られてきたという事実を把握したら、次はレターの送り主が誰なのを確認する必要があります。
投資家は「アセットオーナー」と「アセットマネージャー」に分かれます。アセットオーナーとは自己資産の運用者であり、自らの投資方針に従ってエンゲージメントを行います。年金、財団、大学基金、ソブリン・ウェルス・ファンド(政府系ファンド=政府が出資する投資ファンド)などです。特に欧米の巨大年金などがエンゲージメントに積極的です。
アセットマネージャーとは運用会社のことであり、アセットオーナーから資金の運用を受託しています。アセットマネージャーも自身の運用方針に基づきエンゲージメントを行います。顧客であるアセットオーナーの指示を受けて行動することもありますが、周知のとおりほとんどのアセットマネージャーは議決権行使基準を開示していますので、エンゲージメントもこの基準に沿ったものとなります。アセットマネージャーからエンゲージメント・レターが届いた場合、エンゲージメントの前に当該議決権行使会社の議決権行使基準をチェックしておくことは必須となります。
このほか、アセットオーナーやアセットマネージャーといった投資家ではない団体名でエンゲージメント・レターが送られてくることもあります。例えば、PRI(Principles for Responsible Investment=国連責任投資原則)、ICGN(International Corporate Governance Network==国際コーポレートガバナンスネットワーク)、ACGA(Asian Corporate Governance Association=アジア・コーポレート・ガバナンス協会)といった国際団体です。このような団体からエンゲージメント・レターが届いた場合、それぞれの団体に加盟しているアセットオーナーやセットマネージャーが「協働で」エンゲージメントを行ってくることになります。ただし、すべてのメンバー投資家が協働エンゲージメントに参加するのではなく、個々のエンゲージメントのテーマや内容に賛同したメンバー投資家だけが参加することになります。そのため、通常、レターにはメンバー投資家名が記載されています。協働エンゲージメントでは複数の投資家の持株が合算されますので、1つの投資家だけによるエンゲージメントと比較して、企業に対する影響力は極めて大きくなります。ただし、1企業あたりのエンゲージメントのテーマは相対的に少なくなります。テーマが多いと、メンバー投資家のコンセンサスがとれないからです。
PRI : 国連)PRIとは「(United Nations) Principles for Responsible Investment」の略で、機関投資家に対し、投資判断プロセスにESGを反映することや、投資対象企業にESGに関する情報開示を求めることなどを提唱するESG投資の世界的なプラットフォーム。PRIに署名した機関投資家は、国連に投資の状況を報告する義務が生じるため、ESGを重視した投資を実践せざるを得ない。
ICGN : グローバル機関投資家や年金基金などが参加する団体であり、ICGNの意見はグローバル投資家の意見を最も色濃く反映していると考えられている。
ACGA : 英語の正式名称は「Asian Corporate Governance Association」で、香港を拠点とし、アジアに投資するグローバルな機関投資家の団体である。ACGAの会員となっている機関投資家の資産総額は40兆米ドルに達しており、日本の規制当局に対しても強い発言力を持っている。ACGAによるアジア諸国の「コーポレートガバナンス・ランキング」を含むコーポレートガバナンスに関する調査結果「CG Watch」には、資本市場関係者や規制当局も高い関心を持っている。
こうした国際的な団体の中には、一つの産業に特化したエンゲージメントを行うところもあります。例えば、FAIRR(Farm Animal Investment Risk and Return)は食品会社に特化したエンゲージメント、ATMI(Access to Medicine Foundation)は医薬品会社に特化したエンゲージメントを行っています。食品セクターや医薬品セクターに属している企業は、これらの団体の存在を認識しておく必要があります。
協働エンゲージメントは、民間の企業・団体でも行われています。その中には、聞いたことのない名称のところも少なくありません。このため、それがエンゲージメント・レターであることを認識できないという問題が生じる可能性がありますので、注意が必要です。知名度がほとんどなくても、またいかに小さな組織であっても、その背後にいる投資家が巨大であることは珍しくなく、その場合、影響力は極めて大きいものとなります。
エンゲージメントのプロセス
投資家からのエンゲージメントにはプロセスがあります。株主総会で企業にとって不利な議決権行使が行われないようにするためには、それぞれのプロセスにおいて適切な対応をとる必要があります。
投資家からエンゲージメント・レターが送られてきたら、まず社内でエンゲージメントの内容について検討します。そのうえで、投資家とミーティングを行います。エンゲージメントの内容によっては賛同できないものがあるかもしれませんが、だからと言ってミーティングの設定を拒絶するのは得策ではありません。対話を行うことで何らかの気付きが得られることもあるので、原則としてミーティングの設定依頼には応じるべきです。ミーティングでは、エンゲージメントの内容について投資家と議論することになります。ミーティングの機会が数回にわたることも珍しくありません。仮に投資家の提案を受け入れた場合、目標達成までの期限が設定され、投資家はその期限まで、目標達成に向けた企業の動きをモニタリングすることになります。
一方、企業が投資家からの提案が受け入れなかった場合、あるいは目標達成の期限までに目立った進展がなかった場合には、投資家は議決権行使へと進みます。しかし、その場合であっても、企業が適切な対応をとるかどうかで結果は変わってきます。何よりも、内容に賛同できない理由をロジカルに説明する必要があります。もちろん、その理由は企業価値、株主価値の向上に資するものでなければなりません。
エンゲージメントの具体例
投資家とのエンゲージメントに備えるために、最近よく見られるエンゲージメントのテーマ・内容を挙げておきます。
(1)不採算事業からの撤退またはその売却
事業の中に、赤字事業、または赤字でなくても利益率(投下資本に対する利益率:ROIC)が資本コストを下回っている事業があれば、投資家は当該事業からの撤退または当該事業の売却を求めてきます。
資本コスト : 「資金提供者(債権者+株主)に対するリターン」のこと(なお、株主に対するリターンには、配当のほかキャピタルゲインも含まれる)。資金提供者に対するリターンが適切にできなければ、債権者は会社に資金の返還を求め、株主は株式を売却(=株価が下落する)せざるを得ない。したがって、会社にとって資本コストは「資金提供者に対するリターンの目標値」と言える。
企業側が、「当該事業の低迷は一時的なものであり、今後改善していく」と考えるのであれば、その根拠を投資家に説明することになります。「歴史的に自社を支えてきた事業である」といった理由は、投資家には受け入れられません。
撤退または売却に同意した場合には、その期限についても話し合うことになります。「これから検討していく」という回答では投資家は納得しません。
(2)財務戦略
企業が事業を行っていくうえで必要な資金以外に、過大な現金預金、有価証券、不動産等を有している場合、投資家からそれらの削減を求められます。同時に、増配や自社株買いを要求してくるでしょう。
ここで注意しなければならないのは、既存事業の拡張や新規事業への投資などに資金が必要である場合、増配や自社株買いに同意する必要はないということです。なぜなら、設備投資による収益拡大の方が、増配や自社株買いよりも企業価値、株主価値の拡大に貢献するからです。ただし、設備投資による収益が資本コストを上回っていることが前提になります。こうした理由を投資家に説明すれば、通常の投資家であれば納得すると考えられます。
一方、自社株買いによる一時的な株価上昇を機に保有株式を売り抜くことを目的としている短期投資家は同意しないかもしれません。しかし、他の多くの長期投資家が納得すると思われますので、短期投資家は無視しても構わないでしょう。
(3)コーポレートガバナンス
指名委員会、報酬委員会、監査委員会の3つの委員会を設置した指名委員会等設置会社への移行を求められる可能性があります。
もっとも、日本の上場企業で指名委員会等設置会社となっている企業は極めて少ないため、強硬なエンゲージメントは稀と思われます。ただ、指名委員会等設置会社には移行しないまでも、任意の指名委員会および報酬委員会の設置は求められることになります。また、任意とはいえ、両委員会とも独立社外取締役が過半数を占め、委員長にも独立社外取締役を選任することが必要です。
また、ダイバーシティ促進の観点から、女性取締役比率の増加もエンゲージメントの対象となります。現状、社外取締役に女性を選任して女性取締役比率を高めている企業が多くなっていますが、本来的には「社内取締役」に女性を選任するべきです。これを実現するためには、将来の取締役候補となる女性管理職の登用が重要となります。
さらに、スキルマトリックスの開示への関心も年々高まっています。スキルマトリックスでは、例えばCEOがすべての分野に精通しているようなことは求められていません。重要なのは“全体のバランス”であり、弱い分野を皆で補い合っている状態が理想です。
さらに、近年は、独立社外取締役が機能しているかをチェックするために、独立社外取締役とのミーティングを求める投資家も増えてきています。
コーポレートガバナンス関係のエンゲージメントは、企業側で対応できるものが多くあります。逆に言えば、企業としては、投資家に提案されたエンゲージメントに反対する理由を見つけるのは難しいということです。
(4)環境・社会関係
ESG投資の拡大とともに、環境・社会関係のエンゲージメントが増えてきています。
「環境」関係のエンゲージメントでは、温室効果ガス(GHG)の排出削減計画を示す必要があり、そのうえで、毎期その削減量をモニタリングされることになります。将来的には、サプライチェーンを含めたスコープ3をベースとした削減計画が求められると考えられるため、企業としては今のうちから準備を進めておく必要があります。
スコープ3 : スコープ1 : 事業者自らによる温室効果ガスの直接排出のこと。 スコープ2 : 他社から供給された電気、熱、蒸気の使用に伴う温室効果ガスの間接排出のこと。 スコープ3 : 事業者自ら排出している温室効果ガス(二酸化炭素等)であるScope1、Scope2以外の間接排出、具体的には「事業者の活動に関連する他社」による温室効果ガスの排出のこと。
昨今は、生物多様性についてのエンゲージメントも徐々に増えてきていますので(生物多様性については(新用語・難解用語)TNFD 参照)、対象となる産業に属する企業では対応を迫られる可能性があります。
「社会」関係のエンゲージメントでは、従業員をテーマとしたものが多くなっています。具体的には、従業員の安全や、仕事への満足度などがトピックスとなります。前者については、従業員の労働環境等に関する種々の規程の導入が求められます。後者については、昨今、日本の上場企業は、給与や働きがいなどの面で、従業員の仕事満足度を上げる施策を積極的に打ってきていますので、投資家への説明は比較的容易であると考えられます。
(5)ディスクロージャー
投資家は企業に様々な情報のディスクロージャーを求めてきます。しかし、そのすべてに同意してしまうと、競合他社に対し機密情報を開示するようなことにもなりかねませんので、慎重な対応が求められます。
また、機密情報とまではいかなくても、投資家の要求にすべて応えるのは、コスト上も問題となります。そのため、投資家と「なぜその情報の開示が必要なのか」議論する必要があります。ただ、財務KPIや非財務KPIなどの開示は、投資家だけでなく企業にも、目標を明確化させることにより大きなメリットをもたらす可能性がありますので、開示を検討する価値はあります。
投資家と“物別れ”に終わったら?
投資家とのミーティングで双方の意見に隔たりがあり、エンゲージメント項目について合意できなかった場合、投資家は次のステージに進みます。株式の売却か現在の取締役の再任を認めないとする議決権行使です。ここでは、議決権行使に至った場合を想定してみましょう。
対処方法はいたってシンプルです。IRを通じて他の投資家とコミュニケーションをとることです。ただ、これは、エンゲージメントの合意がなされなかったから行うのではなく、常日頃から様々な投資家、特に長期投資家とはコミュニケーションをとっておく必要があります。日頃から(エンゲージメント・レターを受け取る以前から)そのようなIR活動をしておけば、たとえエンゲージメントを求めてきた投資家が取締役再任決議に反対したとしても、他の多くの投資家が賛成に回ると考えられます。
これに対し、エンゲージメントが不調に終わったからといって、議決権行使に対抗するため、突然現れたコンサルタントの助言に従って買収防衛策を導入するなどといった対処方法には賛成できません。エンゲージメントの失敗から敵対的買収に移る投資家は少数ですし、買収に至らなくても投資家は議決権行使で経営者を一掃できます。それよりも、こうした形での買収防衛策の導入は他の投資家の評価も下げてしまい、議決権行使で彼らも反対に回ってしまう危険性の方が高いと言えるでしょう。
おわりに
以上、投資家からのエンゲージメントにいかに向き合うかについて解説してきました。繰り返しなりますが、エンゲージメントに関係なく、常に投資家、特に長期投資家とコミュニケーションをとっていることが極めて重要です。そうすれば、エンゲージメント・レターを受け取っても慌てる必要はありません。レターを送ってきた投資家とミーティングでも、堂々と対話することができるでしょう。