著者の業務上の都合により、解答の掲載が通常より遅くなったことをお詫び申し上げます。
東証による要請における指標例
2023年3月、東証がプライム市場およびスタンダード市場上場企業に対し「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請したのは周知のとおりです。本要請では、企業が現状分析に用いる指標として下記のものが挙げられています(3ページ参照)。
資本コスト : 「資金提供者(債権者+株主)に対するリターン」のこと(なお、株主に対するリターンには、配当のほかキャピタルゲインも含まれる)。資金提供者に対するリターンが適切にできなければ、債権者は会社に資金の返還を求め、株主は株式を売却(=株価が下落する)せざるを得ない。したがって、会社にとって資本コストは「資金提供者に対するリターンの目標値」と言える。
資本収益性 : ROE(事業に投下された株主資本に対してどれだけの利益が創出されているかを示す指標)、RIOIC(事業に投下された有利子負債と株主資本に対してどれだけの「税引後営業利益」が創出されているかを示す指標)、ROA(総資産に対してどれだけの利益が創出されているかを示す指標)などが代表的な資本収益性の指標である。
WACC :「Weighted Average Cost of Capital=加重平均資本コスト」の略であり、要するに「資本コスト」である。WACCは文字通り負債コスト(金利)と株主資本コスト(配当+キャピタルゲイン)を加重平均して算定される。
ROE : Return On Equity=株主資本利益率(当期純利益/株主資本)
PBR : Price Book-value Ratio=株価純資産倍率(株価÷1株当たり株主資本)。株価が1株当たり純資産(BPS:Book value Per Share)の何倍まで買われているか(=1株当たり純資産の何倍の値段が付いているか)を指す。PBRが1.0を大幅に下回る場合、投資家が企業の将来性に疑問を持っていたり、減損リスクのように潜在的な資産の含み損が多額にのぼる可能性が株価に織り込まれていたりすることを示唆する。
PER : Price Earnings Ratio=株価収益率(株価/1株当たり純利益)
「要請の背景」では、「プライム市場の約半数、スタンダード市場の約6割の上場会社がROE8%未満、PBR1倍割れ」と、上場企業のROEおよびPBRの低さに言及していることを踏まえると、この2つの指標については明確に改善が求められていると言えますが、どの指標を用いるかは企業に任されており、各社が「投資者ニーズ等を踏まえ検討」することになります(3ページ 各指標例の下の※参照)。
役員報酬への反映という観点からも、投資者のニーズを踏まえた各社の経営戦略や企業価値創造ストーリーに即した指標を選択することが重要であるため、上記の指標を候補としつつ、自社に合った指標を選択することも十分考えられます。
資本収益性指標、株価指標の役員報酬への反映状況
東証の要請の影響により、日本の上場企業においては、資本収益性指標および株価指標を役員報酬に反映する動きが進んでいます。世界的な人事コンサルティングファームWTWの調査によると、資本収益性に関する指標を役員報酬に反映している企業の割合はTOPIX100構成企業で43%(うち63%がROEのみ、26%がROICのみ、残りの11%がROEとROICの両方を採用)、株価に関する指標を適用している企業の割合は29%(うち79%はTSR、17%が株価・時価総額、4%(1社のみ)がPBRを採用)となっています。
資本収益性に関する指標を役員報酬に反映している企業が比較的多い理由としては、伊藤レポート(6ページ参照)などにより、早い段階で日本企業にROEの向上を目指す方向性が示されたことが挙げられます。一方、株価に関する指標が資本収益性に関する指標ほど普及が進んでいないのは、株価に関する指標を役員報酬に適用する前の段階で、役員に対して株価への意識付けや株主との利害共有を図る観点から、株式報酬の導入が先行して進んできたことによるものと考えられます。株式報酬の導入が一巡しつつある中、今後は株価を意識した経営を実現するための施策の一つとして、役員報酬に株価に関する指標を反映する企業が増加していくことも予想されます。
以下、資本収益性に関する指標(資本収益性指標)、株価に関する指標(株価指標)それぞれについて、役員報酬に反映する際の論点について解説します。
役員報酬に反映すべき資本収益性指標の種類
上記東証の指標例やWTWの調査結果が示すように、資本収益性指標としては、ROE、ROICの2つが一般的に活用されています。ただし、投資家の中には、ROEは財務レバレッジの調整により企業側がコントロールできる余地があるためROICを重視すべきという指摘がある点、留意が必要です(財務レバレッジの調整によるROEのコントロールについては2021年11月11日のニュース「ROICではなくROEやROAではダメなのか?」参照)。
財務レバレッジ: 株主資本(自己資本)を1とした場合、その何倍の総資本を有しているかを示す数値。「総資産/株主資本」によって計算される。財務レバレッジ(=テコ)が大きい会社とは、借入金の大きい会社である。財務レバレッジが高ければ、株主資本よりも大きな取引を行うことができる。ただし、その反面、有利子負債が増加して、金利負担、返済負担が増加し、会社の収益性が下がったり、財務リスクを抱えたりする可能性がある。
また、その他想定される指標としては、 ROAや金融機関におけるROTCEなどが考えられます。それぞれの指標の特性を踏まえたうえで、自社のパフォーマンスを適切に測ることができると考えられる指標を選択することが重要です。
ROA : Return On Assets =総資産利益率(利益/総資産)。ROAは利益を総資産で除して求めるため、分母である総資産の増加はROAの低下をもたらす。実務上、ROAの利益には「営業利益」もしくは「事業利益」を使うことが多い。これは、総資産に対応する利益は、営業利益あるいは事業利益であるという考え方による。
ROTCE: return on tangible equity(有形自己資本利益率)。普通株式や利益剰余金等で構成される有形自己資本(TCE=tangible common equity)で生み出せる利益がどのくらいあるかを示す指標。普通株式や利益剰余金のような安定度の高い有形自己資本によって稼げる利益率を見ることで、金融危機が起きた場合における金融機関の健全性を推測する際に用いられる。
資本収益性指標を役員報酬に反映する場合、他社との比較結果を考慮すべき?
ROEやROICといった資本収益性指標は各社の業務内容や経営環境、経営戦略、企業の成長ステージなどに応じて目標値が異なるのが通常であるため、これらの指標を役員報酬に反映する場合に、他社との比較結果を考慮する必要性は基本的にありません。あくまで自社の結果のみを報酬に反映させるべきと言えます。
資本収益性指標の評価期間
自社のROEやROICなどの資本収益性指標については、単年度の評価結果を「年次賞与」に反映させるのか、あるいは複数年度の評価結果を「中長期インセンティブ」に反映させるのか、という論点があります。
単年度の評価結果を年次賞与に反映させる場合、複数年度の資本収益性の評価結果が考慮されないことから、「中長期的な資本収益性の向上」や「持続的な資本収益性の維持」という視点が、評価の枠組みから外れてしまうことになります。これは、役員報酬制度に中長期的な成長シナリオに関するメッセージが含まれていない状態とも言えます。
そこで、この点については、投資家等に向け追加的なメッセージを出すことが望ましいでしょう。例えば、各年度の役員報酬に係る目標設定において、中期経営計画等の中長期的な戦略とのリンクを説明する、あるいは単年度の業績を積み上げていくことによって中長期的な資本収益性の維持向上を実現するというポリシーを説明することにより、単年度の評価の枠組みを中長期的な企業価値向上に活用していることをアピールすることができます。
一方、複数年度の資本収益性指標の評価結果を「中長期インセンティブ」に反映させるのであれば、例えば中期経営計画などの中期目標と役員報酬をダイレクトに連動させることができます。ただし、その反面、単年度の評価結果のインパクトが相対的に弱くなることから、年次賞与のウエイトや評価指標など役員報酬全体の構成を再点検し、短期および中長期のインセンティブの実効性をともに確保するよう努める必要があるでしょう。
資本収益性指標の評価の考え方
単年度評価における評価については、特段大きな論点はありません。一般的には、期初に公表する業績予想に基づき算出される数値を目標値として設定します。上述のとおり、中期的な経営戦略にリンクさせることを目的に、中期経営計画などに示される業績に基づいて目標値を設定することも可能ですが、単年度評価には、その時点における経営環境や状況を反映できるというメリットがあるため、中長期的な経営目標から逆算するのではなく、毎期の足元の状況を踏まえつつ、単独で行うべきです。
複数年度における評価を行う場合には、大きく分けて2つの方法が考えられます。1つは、「評価期間終了年度」における結果のみをもって評価する方法です。すなわち、評価期間中の指標の動向にかかわらず、評価期間終了時点(例えば3年後)において目標をどの程度達成しているかを評価し、役員報酬に反映します。資本収益性は中期的な目標値を達成するにあたり、事業のフェーズに応じて一時的にやむを得ない低下が想定されものです。そこでこの手法を活用することにより、評価期間の途中経過にかかわらず、中期的な目標の達成に強いコミットを引き出すことが可能となります。
また、複数年度の平均値を目標として、その達成結果を報酬に反映させる手法もあります。この場合には、その評価期間において持続的に資本収益性を維持・向上させる点にフォーカスが置かれます。中期的な経営戦略において、資本収益性の維持や安定的な成長を目指している場合には、こうした評価方法がマッチしていると言えるでしょう。
役員報酬に反映すべき株価指標の種類
上記WTWの調査では、役員報酬に反映する株価指標として、TSR、株価・時価総額、PBRの3つが挙げられていました。東証の要請では、さらにPERも指標の1つに挙げられていましたが、PERは当期純利益の状況に応じて大きく数値が変動することから、純粋にマーケットからの評価を図る指標としては活用しづらい側面があります。
TSRおよび株価・時価総額はいずれも基本的に株価に準じて算出される指標であり、その本質的な違いは配当が含まれるか否か、という点に限られます。株価の上昇によるキャピタルゲインのみならず、配当によるインカムゲインが含まれるTSRの方が投資家にとっての利益により連動するという点からは、TSRを採用する方が望ましいでしょう。
PBRは、株価のみならず、純資産の観点が含まれるため、上記2つの指標とはやや特性が異なります。東証や投資家などからPBRの向上が強く求められる中で、役員報酬の指標としてPBRを採用することも考えられますが、PBRの向上そのものが投資家の利益と直接的に連動しているわけではないという点や、一般的に、PBRの向上は株価の上昇を通じて実現することが期待されている、という点には留意が必要です。
株価指標を役員報酬に反映する場合、他社との比較結果を考慮すべき?
株価指標としてTSRや株価・時価総額を役員報酬に反映する場合には、他社または特定のインデックスとの比較結果を用いて評価を行うことが多くなっています。これは、投資対象として投資家に高い評価を得ているかという観点からは、自社の株価等のみならず、自社以外の投資対象と比較すべきという趣旨によるものです。
一方、自社の株価やTSRに目標を設定しその達成度を評価することもありますが、その場合には、一定の成長率を目標として、当該目標に対する達成度を評価するのが一般的です。この場合、他社の動向や他社との優劣ではなく、自社の企業価値を継続的かつ着実に成長させているかということが重視されます。
いずれも実在する事例として見られる類型であり、企業価値向上に向けた取組みに対するインセンティブとして機能することが想定されています。
株価指標の評価期間
日本企業では、役員報酬に株価指標を反映する際の評価期間に関する考え方は必ずしも統一されていません。多くの場合、役員報酬制度における中長期インセンティブの評価期間に合わせます。一方、一部の企業においては、年次賞与の評価指標として1年間の株価等を用いる事例も見られます。
両者の違いは、株価等のパフォーマンスをどの程度のタームで捉えているかという点にあります。例えば、3年間の株価等のパフォーマンスを中長期インセンティブに反映している場合には、自社が中期的なタームで株価等の上昇を目指しているというメッセージとなります。これに対し、単年の株価等のパフォーマンスを年次賞与に反映している場合には、株価等を単年ごとに確実に上昇させていくシナリオを描いている、というメッセージとなります。株価等を役員報酬に反映する際には、報酬制度のみならず、自社の成長シナリオや企業価値創造ストーリーに照らして評価タームを検討する必要があるでしょう。
まとめ
周知のとおり、東証は2023年10月26日、「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を開示している企業の一覧表を2024年1月15日から公表し、毎月更新するとの方針を打ち出しています(2023年10月18日付のニュース『東証、年明けから「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」開示企業一覧公表へ、10月中に要請の趣旨等を再周知』参照)。こうした後押しの中で、資本収益性指標や株価指標の役員報酬への反映もさらに普及が進むことが予想されます。
とはいえ、上述のとおり、例えば株価指標を役員報酬に反映する前の段階で既に株式報酬を導入している場合などには、必ずしも拙速に役員報酬制度を改革する必要はありません。自社の足元の経営状況等を踏まえつつ、東証の要請に対してどのように取り組んでいくことが可能か、またその取組みの一環として役員報酬制度をどのようなタイムラインでいかに変えていくべきか、自社の企業価値創造ストーリーに矛盾しない形で、検討していくことが求められます。