スチュワードシップ・コードが再改訂されて3年、コーポレートガバナンス・コードが再改訂されてから間もなく2年となる。これまでの改訂が3年に1度のサイクルで行われてきたことから、そろそろスチュワードシップ・コードの改訂(前回の改訂は2020年3月24日)されるはず、との見方が強まっている。また、コーポレートガバナンス・コードについては、前回の再改訂の内容が細かすぎるとの批判があるほか、もう一段の改訂を求める声も上がっている。しかし、当フォーラムの取材によると、現時点では政府内に今春においていずれかのコードを改訂しようという動きはない。
それにもかかわらず、政府外での議論が先行している原因は、岸田総理の言動にある。周知のとおり、岸田総理は自民党総裁選に出馬する際、「新しい資本主義」を掲げ、これまでのアベノミクスの成長重視の考え方の修正を図り、「分配なくして次の成長なし」として、成長と分配の好循環を目指している。要するに、経済全体のパイが拡大すれば国民1人ひとりの取り分が増えるとの考え方への偏重を是正し、格差是正など“パイの切り分け方”(分配政策)も重視するということである。
新しい資本主義 : 岸田総理が重要施策に掲げる「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」をコンセプトとした資本主義のこと。
この考え方を主張するする急先鋒が、岸田政権の「新しい資本主義」の政策作りにも関与したとされる「公益資本主義」を唱える原丈人 アライアンス・フォーラム代表理事や、「適正分配政策」を唱えるスズキ トモ早稲田大学教授らだ。例えばスズキ教授は、「過去20年間、利益と株主還元が増加しているが、従業員給与やR&Dがその犠牲になっている」と指摘している。また、経済界では、関西経済連合会が、松本正義会長を先頭に「四半期開示制度は短視眼的な経営を助長する」とし、四半期開示制度の義務付け廃止を主張、四半期開示制度の見直しにつなげた(四半期開示の見直しについては2022年11月25日のニュース『四半期開示に関する議論が事実上決着、「四半期決算短信を任意に」は誤解』参照)。これら論者は、現在のコーポレートガバナンス・コードが形式主義に陥り、ガバナンスの形や開示による負担を企業に押しつけるだけだと批判している。
公益資本主義 : 会社は従業員、顧客、株主、仕入先、地域社会、さらには地球といった、いわゆるステークホルダーに支えられて成り立っており、経営陣はこれらステークホルダー全体に持続的に利益還元するために収益を上げるべく、中長期的視点にたって経営すべきとの考え方。公益資本主義の下で行う事業においては、利益分配は株主だけに重きを置くのではなく、すべてのステークホルダーに対する「分配の公正性」を達成することが重視される。公益資本主義は、一握りの富裕層に富が集中して中間層が没落する格差の拡大を防ぎ、中間層を基盤とする民主主義を守ることを目指しており、米国型の株主資本主義でも中国型の国家資本主義でもない新しい社会経済システムとして提唱されている。
適正分配政策 : 「利益」とは損益計算書を通じて確定する「株主に帰属する付加価値」に過ぎず、成熟経済社会において「利益」を最大化しようとすれば、株主以外のステークホールダーの付加価値が犠牲となるとの前提の下、全てのステークホルダーに帰属する付加価値の合計と、その適正な分配を通じた持続的な発展を政策目標とすべきとの考え方。
R&D : 「Research and Development」の略称で、「研究開発」と訳されるのが一般的。自社の競争力を高めるための技術調査や技術開発、事業領域に関する研究といった活動を指す。
一方、岳野万里夫 日本証券業協会副会長・専務理事や齋藤芳充 野村資本市場研究所研究員は分配政策のあり方について、「労働分配率はほぼ横ばいであり、人件費のウェイトが低下したのであれば、問題の本質は、パイの切り分け方ではなく、パイそのものが縮小しまっている点にある」と、スズキ教授らの主張に反論している(証券レビュー 第62巻第5号「ステークホルダー資本主義」参照)。
当の岸田総理は、昨年(2022年)5月にロンドンのシティで、9月にはニューヨーク証券取引所で「インベストイン・キシダ(Invest in Kishida)」を掲げて演説。ニューヨーク証券取引所では、「とても大切な政策の1つは、コーポレートガバナンス改革だ。…日本企業の行動は大きく変わった。企業のROEは顕著に上昇し、ほぼ全ての会社に独立社外取締役が入った。女性や、外国人のボードメンバーへの登用も増えていくだろう。ノンコア事業の切り出し、新分野へのピボットといった大胆な企業変革を行う企業も出てきている。近々、世界中の投資家から意見を聞く場を設けるなど、日本のコーポレートガバナンス改革を加速化し、更に強化する」と述べている。
ROE : Return On Equity=株主資本利益率(当期純利益/株主資本)
ピボット : 企業経営の方向転換や路線変更
この総理の演説を受けて、金融庁では「ジャパン・コーポレート・ガバナンス・フォーラム」を設置し、海外投資家から意見を聞いた。海外投資家らからは、日本のコーポレートガバナンス改革の遅れや資本効率の悪さなどについて指摘があったという。こうした声を受け、東証の「市場区分の見直しに関するフォローアップ会議」は本年(2023年)2月、コーポレートガバナンス・コード原則5-2の「自社の資本コストを的確に把握した上で、収益計画や資本政策の基本的な方針を示すとともに、収益力・資本効率等に関する目標を提示し、その実現のために、事業ポートフォリオの見直しや、設備投資・研究開発投資・人的資本への投資等を含む経営資源の配分等に関し具体的に何を実行するのかについて、株主に分かりやすい言葉・論理で明確に説明を行うべき」との記述を根拠に、「PBRが1倍を割れているなど、十分な市場評価を得られていない場合には、その要因」などを分析して、改善に向けた方針や目標・計画期間、具体的な取組みについて開示するよう要請し、関係者に衝撃を与えた(同フォローアップ会議の議論については2023年1月26日のニュース『東証・市場区分の見直しに関するフォローアップ会議が「対応案」の修正案を公表』参照)。
資本効率 : 資本効率とは、投資家から見れば「出資額に対するリターン(配当、キャピタルゲイン)の割合」を意味し、会社側から見れば「投下した資本に対して生み出された利益の割合」を意味する。たとえ利益が出ていても、資本効率が悪ければ、投資家から評価を得ることはできない。
資本コスト : 「資金提供者(債権者+株主)に対するリターン」のこと(なお、株主に対するリターンには、配当のほかキャピタルゲインも含まれる)。資金提供者に対するリターンが適切にできなければ、債権者は会社に資金の返還を求め、株主は株式を売却(=株価が下落する)せざるを得ない。したがって、会社にとって資本コストは「資金提供者に対するリターンの目標値」と言える。
PBR : Price Book-value Ratio=株価純資産倍率(株価 ÷1株当たり株主資本)。株価が1株当たり純資産(BPS:Book value Per Share)の何倍まで買われているか(=1株当たり純資産の何倍の値段が付いているか)を指す。PBRが1.0を大幅に下回る場合、投資家が企業の将来性に疑問を持っていたり、減損リスクのように潜在的な資産の含み損が多額にのぼる可能性が株価に織り込まれていたりすることを示唆する。
資本コスト、PBRを重視すれば、増配や自社株買いといった考え方に傾きがちになるが、それは分配政策を重視する岸田総理が主張する「日本のコーポレートガバナンス改革の加速化」ではないだろう。株主以外のステークホルダーへの分配を増やしながら、これをどう成長へとつなげ、パイ全体の拡大による分配の拡大につなげるのか。この考え方がしっかりと説明され、浸透するまで、スチュワードシップおよびコーポレートガバナンスの両コードの改訂は小休止ということになりそうだ。