企業に複数の異なる非財務開示ルールが適用される恐れが出て来た。
既報のとおり、非財務開示ルールのグローバルな“ベースライン”を策定すべく、IFRS財団はISSB(International Sustainability Standards Board=国際サステナビリティ基準審議会)を設立し(2021年12月1日のニュース「IFRS財団におけるISSBの設立と日本の対応」参照)、今年(2022年)中にも気候変動に関する非財務開示基準をファイナライズ(最終化)し、来年早々にも公表する方向となっている(当初は年内公表とされていたが、若干スケジュールが遅れている模様)。さらに、今後は生物多様性、水資源、人権、人への投資など、様々なテーマの非財務開示基準の策定が見込まれており、年内にも「次のアジェンダ」のコンサルテーションの実施を予定している。
一方、日本では、金融庁・金融審議会のディスクロージャーワーキング・グループ(DWG)が6月13日に確定させた『「ディスクロージャーワーキング・グループ報告」-中長期的な企業価値向上につながる資本市場の構築に向けて-』(以下、DWG報告)を受け、間もなく改正開示府令案が公表されるが、今回の改正開示府令は非財務開示の“大枠”を定めるものに過ぎない(2022年9月12日のニュース「非財務情報開示のルール化、今後の流れ」参照)。今後、日本で非財務開示のルールを定めるのがSSBJだ。周知のとおり、IFRSを策定してるのは、IFRS財団に属する独立の会計基準設定機関であるIASB(The International Accounting Standards Board=国際会計基準審議会)であり、その“日本版”と言えるのが、日本における会計基準の設定主体であるASBJ(Accounting Standards Board of Japan=企業会計基準委員会)だが、このIASBとASBJの関係と、ISSBとSSBJの関係はパラレルとなっている(2021年9月28日のニュース『気候変動など非財務の「開示基準」の行方』参照)。「IASBとASBJ」「ISSBとSSBJ」の関係で大きく異なるのは、IASBが策定するIFRSは「単一のルール」とされており、そこに何らかのルールや文言をプラスしてもマイナスしても「IFRSに準拠している」とは言えなくなるのに対し、ISSBの非財務開示基準は「ブロック・ビルディング方式(いくつかの構成要素を積み上げる方式)」を採用しており、グローバルな“ベースライン”を示すものに過ぎないため、このベースラインに乗っていれば、詳細は各国が自国の実態に合わせて作成することが許容されている(=その場合でも、「IASBの非財務開示基準に準拠している」と言える)という点だ(ブロック・ビルディング方式については2021年6月22日のニュース「サステナビリティ開示の将来像」の図参照)。
SSBJ : 日本における非財務開示の基準を作成する団体。IFRS(国際財務報告基準)の母体であるIFRS財団が「国際サステナビリティ基準審議会(ISSB=International Sustainability Standards Board)」を設立し、非財務開示の国際的な基準「サステナビリティ報告基準」を策定することを受け、日本では財務会計基準機構(FASF)が母体となり、IFRS財団におけるISSBに相当するSSBJ(Sustainability Standards Board of Japan)が設立された。
企業等からは、何をもってベースラインに乗っていると言えるかについて、ISSBにガイダンスの策定を期待する声が挙がっているが、いずれにせよ、具体的にどのような非財務開示のルールを作るかはSSBJに委ねられる。ただし、有価証券報告書で開示を求める内容をSSBJが決めるとなると、SSBJを法令上の枠組みとして位置付ける必要がある。そこでDWG報告では、いわゆる財規および連結財規により「ASBJが作成したルールに則って財務報告を行うよう」定めているのと同様の建付けのデュープロセス(法令に基づく手続き)をSSBJについても設けることを示唆している(DWG報告15ページ最終段落および注釈36参照)。
SSBJが非財務開示のルールを策定することとなった場合、上記のとおりISSBの非財務開示基準をベースとするのがSSBJの設立経緯からしても自然だが、ここに来て、ISSBの非財務開示基準がグローバルなベースラインと言えるのか、雲行きが怪しくなっている。
ISSBは米国のSASBなど乱立していた非財務開示のフレームワークの設定主体を合併し、非財務開示ルールの設定主体としてデファクトスタンダードとなりつつあるように見えるが(2021年6月22日のニュース「サステナビリティ開示の将来像」の図参照)、EUや米国SEC(米国証券取引委員会)は独自の非財務開示ルールの策定にとりかかっており、EUに進出している日本企業や米国で上場している日本企業は、これらのルールの適用対象となる可能性がある。SECのルールは、米国で上場している場合のみが対象となるが、EUのルール(企業サステナビリティ報告指令(CSRD=Corporate Sustainability Reporting Directive))は、たとえEUで上場していなくても(非上場でも)一定の要件を満たせば適用対象となり得る。
SASB : Sustainability Accounting Standards Board(サステナビリティ会計基準審議会)の略称で、2011年に米国サンフランシスコを拠点に設立された非営利団体。企業の情報開示の質向上に寄与し、中長期視点の投資家の意思決定に貢献することを目的に、将来的な財務インパクトが高いと想定されるESG要素に関する開示基準を設定している。2018年11月、11セクター77業種について情報開示に関するスタンダードを作成し、公表した。その後、 IIRC(International Integrated Reporting Council=国際統合報告評議会)と合併し、VRF(=Value Reporting Foundation )となった。
TCFDが開示を求めている「ガバナンス」「リスク管理」「戦略」「指標と目標」の開示のベースとしているという点(詳細は2021年7月7日のニュース「TCFD開示の4要素のうち有報での開示が必須となりそうな2要素とは?」参照)ではどれも変わりはないものの、例えばISSBの非財務開示基準とEUのCSRDではシングル・マテリアリティとダブル・マテリアリティいずれを志向しているかという点で決定的な違いがある。具体的には、ISSBの非財務開示基準は“投資家目線”のシングル・マテリアリティを志向しているが(2021年1月20日のニュース『高まる「ダブル・マテリアリティ」の開示圧力』の3段落目参照)、EUのCSRDは“(市民社会等を含む)マルチステークホルダー目線”のダブル・マテリアリティを志向しており、その結果、求められる開示内容も異なる。
TCFD : 主要国の金融当局(中央銀行、金融監督当局、財務省)やIMF(国際通貨基金)、世界銀行、BIS(国際決済銀行)、OECD(経済協力開発機構)などで構成される国際的な金融システムの安定を目的とする組織である金融安定理事会(FSB)が設置した組織。TCFDとは「Task Force on Climate-related Financial Disclosures」の略である。TCFDが2017年6月に公表した最終提言は、気候変動リスクに関する情報開示のフレームワーク(枠組み)のグローバルスタンダードになっている。
シングル・マテリアリティとダブル・マテリアリティ : マテリアリティとは「重要性」を意味するCSR用語であり、マテリアリティを開示する目的は要するに「自社にとって重要な課題は何か?」を明らかにすることにある。シングル・マテリアリティとは企業が環境や社会から「受ける」影響を示す“投資家目線”のマテリアリティであるのに対し、ダブル・マテリアリティとは、これに企業が環境や社会に「与える」影響を示す “(市民社会等を含む)マルチステークホルダー”目線のマテリアリティを統合したものを指す。
仮に、SSBJがISSB策定のベースラインに沿った非財務開示ルールを作り、有価証券報告書ではそのルールに基づく開示が求められるとともに、EUに進出している企業にはこれとは別にCSRDに基づく開示が、さらに米国で上場している企業にはSECのルールに基づく開示が求められることになれば(しかも求められる開示内容は異なる)、企業の負担は甚大なものとなる。
現時点では、非財務開示ルールの設定主体としてのデファクトスタンダードをどこが取るか分からない状況であり、ISSBは、EUやSECとの対話も視野に入れている模様。その結果次第では、有価証券報告書における非財務開示のルール作りにも影響が及ぶ可能性がありそうだ。