<解説>
政治と経済は別物?
経済分野での中国の存在感が年々高まる中、米中の覇権争いが激化しています。それとともに、経済安全保障の観点から、華為技術(ファーウェイ)などの中国の政府系企業に対する米国政府による締め付けが厳しくなっています。米国では以前から「サイバーセキュリティー」の観点からファーウェイ製の通信製品の使用制限を実施していますが、トランプ政権の末期からはファーウェイへの半導体の供給を断つことにも注力しています。
米中の摩擦においては、最近では「サイバーセキュリティー」だけではなく、「人権侵害」もテーマにされるようになりました。米国は、中国の新疆ウイグル自治区における強制労働や人権侵害(イスラム教徒が多いウイグル人を拘束し“中国化”の洗脳教育、女性に対する避妊・堕胎強制など)に関与しているとして太陽電池に用いるシリコンを製造する「合盛硅業(ホシャイン・シリコン・インダストリー)」や綿を生産する「新疆生産建設兵団」からの輸入を禁止する措置の実施に踏み切りました。カナダや英国なども歩調をあわせています。一方、中国共産党は、「中国で商売をしたいのであれば、人権問題に口を出すな」というスタンスです。
国家レベルで対中包囲網に取り組む中、問われるのが「企業の姿勢」です。たとえば、新疆ウイグル自治区における強制労働により製造された綿を使っているとして、2021年1月に米国より輸入禁止処分を受けたのがユニクロです。同社は、使用している新疆綿は強制労働により製造された綿ではない(こちらのリリースを参照)として、その後も米国以外で新疆綿を使った製品の販売を続けています。2021年4月に当該問題につき記者から質問を受けたファーストリテイリング(ユニクロの親会社)の柳井正会長兼社長が「これは人権問題というよりも政治問題」「われわれは政治的に中立」としてコメントを控えたことは、新疆ウイグル自治区における人権侵害を追認しているに等しいとして強く批判されました。柳井正ファーストリテイリング会長兼社長の発言の前提となっている「政治と経済は別物」という考えは、グローバル企業にとってはもはや古い考えといっても過言ではありません。軍事対立がメインであった米ソ対立構造のもとでは対立構造もシンプルであり政治的に中立という日本企業の姿勢も十分に成り立つものでしたが、軍事対立だけでなく経済対立や価値観の対立(人権侵害)も加わった米中対立構造のもとでは、もはや日本企業がグローバルにおいて「中立」であり続けることには無理があると言わざるを得ません。
また、西側民主主義国家では「人権侵害」は政治を超えた普遍的な価値観への挑戦であると考えられており、「新疆ウイグル自治区における人権侵害は政治問題に過ぎない」と問題を矮小化してしまうと、「人権問題への感度が鈍い」「人権保護より商売優先」として批判を集めるにとどまらず、ESG投資が全盛を極める中で企業価値を貶めることにつながりかねません。実際に、ファーストリテイリングの株価は2021年3月2日に11万500円という上場来最高値を付けたものの、その後じりじりと下がり2021年6月25日の終値は82,710円と一時の勢いは完全に失われています。同じく新疆綿を使った製品を販売し批判を浴びた無印良品を運営する良品計画の株価も2021年3月18日に2,829円の高値を付けた後、6月21日には2,002円と2,000円を割り込む手前まで値を下げました。機関投資家が「ファーストリテイリングや良品計画が新疆ウイグル自治区の人権問題にどう対応するのか」を様子見しているものと思われます。
ESG : 「Environmental(環境)」「Social(社会)」「Governance(企業統治)」の頭文字を組み合わせたもので、近年、特にグローバル機関投資家の間で、企業の投資価値を測る評価項目としての地位を確立している。
そういった時代の変化を見誤ると、日本企業は想定していなかったリスクにさらされることになります。たとえば、領土問題やウイグル問題などでの日中の対立が先鋭化すれば、日本企業が中国に有する工場や店舗は瞬時に中国のデモ隊の攻撃対象になりえます。逆に中国に肩入れをすることで、米国から輸入禁止の措置を受けたり、機関投資家から投資不適格と判断されたりして株価が下落する可能性もあります。中国に限らず、国家間の摩擦が激化した結果、特定国との輸出入が突然停止されたり、当該国の法律が突然変わり工場が接収されたり、現地社長が逮捕されたりといった企業価値を大きく損なうような事態が起きる可能性があります。
キリンのミャンマーでのビール事業に暗雲
注意を払うべきは米国と中国の関係、日本と中国の関係だけではありません。軍事政権や独裁国家についても特に注意を払う必要があります。そのような国で「政治と経済は別物」という理屈で軍事政権や独裁者との関係が深い企業とのビジネスを優先することは、市民への弾圧に間接的に協力している企業との烙印を押されかねないからです。実際に、キリンホールディングスは、アムネスティ・インターナショナルの報告書で、同社がミャンマーで国軍と取引関係のあるMyanma Economic Holdings Public Company Limited(MEHPCL)との合弁で作ったビール会社(Myanmar Brewery LimitedおよびMandalay Brewery Limited)からの配当が国軍の軍事目的に使用されているのではないかとの疑いをかけられていました。キリンホールディングスは、デロイト トーマツファイナンシャルアドバイザリー合同会社を起用して調査を実施したものの当該懸念を払しょくできない(2021年1月7日のキリンホールディングスのリリース「当社ミャンマー事業に関する進捗報告」を参照)でいたところ、国軍が2021年2月1日にクーデターを起こし市民への弾圧を始めたことから、キリンが関与するミャンマーでのビール事業で儲けた資金の一部が配当を通じて市民への弾圧に使われたのではないかとして批判を浴びています。キリンホールディングスは2021年2月5日のリリースで、国軍と取引関係のあるMEHPCLとの合弁事業の提携自体は解消せざるを得ないとしていますが、その後の動きは現時点では明らかになっていません。
改訂「投資家と企業の対話ガイドライン」に経済安全保障が追加される
米中の摩擦の激化に伴い危機感を強めた自民党の一部議員が、金融庁の「投資家と企業の対話ガイドライン」の改訂にあたり、下記の赤字の文言を挿入させました(経緯については2021年6月11日のニュース「速報 改訂CGコードおよび対話ガイドラインが確定、対話ガイドラインに重要な変更」を参照)。
| 1-3. ESGやSDGsに対する社会的要請・関心の高まりやデジタルトランスフォーメーションの進展、サイバーセキュリティ対応の必要性、サプライチェーン全体での公正・適正な取引や国際的な経済安全保障を巡る環境変化への対応の必要性等の事業を取り巻く環境の変化が、経営戦略・経営計画等において適切に反映されているか。また、例えば、取締役会の下または経営陣の側に、サステナビリティに関する委員会を設置するなど、サステナビリティに関する取組みを全社的に検討・推進するための枠組みを整備しているか。 |
上場会社に経済安全保障への対応を求めることが明記されたのは「投資家と企業の対話ガイドライン」であり、コーポレートガバナンス・コードではありません。よって、コーポレート・ガバナンス報告書でコンプライorエクスプレインの対応を迫られているわけではないのですが、だからと言って上場会社の経営者は経済安全保障を軽んじるべきではなく、「投資家と企業の対話ガイドライン」に経済安全保障の文字が盛り込まれたことを「潮目」の変化としてとらえておく必要があります。すなわち、上場会社では平時から「経済安全保障」について備えておくことがマストになったと考えるべきです。
上場会社に平時から求められる経済安全保障の内容
軍事上の安全保障は、軍事力を用いて国家の安全を確保し領土・領海・領空への侵犯を排除するというものであり、国家が「どの国と同盟を結ぶのか」「仮想敵国はどこか」「どういった軍事シナリオが想定されるか」「それに備えてどういった軍備を有するか」「軍備は自国で開発するのか、同盟国から輸入するのか」といった意思決定を行い行動に移すこととなります。これに対して、経済上の安全保障は軍事力を伴わずに国家や企業の経済的安定を実現するものであり、企業レベルでは「国家間の摩擦や企業間競争により、自社の外部環境や内部環境にどのような変化が生じるのかを探り、自社への悪影響を回避するためにどのように備えるのか」を平時から検討して行動に移すことになります。
具体的には経済安全保障担当の取締役を任命して(企業規模によっては担当スタッフも任命して)、国内外や企業内の動向についてアンテナを張ってもらい(情報収集)、自社の経済安全保障に与える影響を分析し(情報分析)、想定されるバッドシナリオを検討する(脆弱性の把握)とともに、適宜経営陣に情報を提供しながら、リスクの発生可能性とそれに対する備え(外部への依存を低減し、代替的な仕入先や製造拠点の確保等)を実施しておきます。リスクの検討にあたっては、投下した資本の額が大きかったり、当該国家が運営する国営企業との取引量が多かったりすると、つい現状維持のバイアスが働き、リスクを過小評価しがちであることから、中長期の視点でフラットに評価するよう留意しなければなりません。検討の結果、製造拠点や使用原材料の変更や代替原材料の確保が必要ということになれば、サプライチェーンの大幅な手直しは避けられません。それにより経営計画の作り変えが必要になるかもしれません。BCP(事業継続計画)の練り直しも欠かせないはずです。
BCP : BCPとは、企業が自然災害、大火災、テロ攻撃などの緊急事態に遭遇した場合において、事業資産の損害を最小限にとどめつつ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能とするために、平常時に行うべき活動や緊急時における事業継続のための方法、手段などを取り決めておく計画のこと(中小企業BCP策定運用指針より抜粋)。
また、最先端のテクノロジーを有する企業や軍需産業に属する企業では、海外の諜報機関や産業スパイから設計図や実験データなどを盗み出され、製品や技術を模倣されるリスクにも備えなければなりません。公安調査庁が具体的な手法として掲げているのは以下のとおりです(公安調査庁のリーフレット「経済安全保障の確保に向けて」2ページより抜粋)。
<技術・データの流出>

「データ」については、流出だけでなく、海外保管のリスクについても考慮しなければなりません。2021年3月にLINEの利用者の個人情報が中国に設置されたサーバで一部の公開コンテンツおよびユーザーから通報されたトークテキストのモニタリング業務が行われていた問題(LINEのリリースはこちら)では、データのセキュリティへの懸念から自治体を中心にLINEの利用を取りやめる動きに発展しました。LINEでは、中国のように政府が中国内にあるサーバのデータに対して容易にアクセスできるような全体主義国家に自らのデータが保管されることをよしとしない利用者への配慮が欠けていたと言わざるを得ません。まして、中国では2021年6月10日に「データ安全(セキュリティ)法」が成立し2021年9月1日から施行されます。これにより、中国内のデータに対する政府の統制がさらに強化されることになります。こういったデータを巡る国家の動きや利用者の意向が自社のビジネスモデルにどのような影響を与えるのかについても経済安全保障の確保の観点から精査しておく必要があります。
さて、以上の解説をご覧いただければ、誰の発言がGOOD発言か、もうお分かりですね。正解は以下のとおり。
<正解>
取締役A:「当社の売上は米国市場に相当依存していること、米中間の摩擦が激化しており中国で製造を続けることはリスクが高まっていることの2点を考慮すると、生産拠点を中国から別の国に移していくことを検討すべきです。生産拠点だけでなく、原材料も含めてサプライチェーン全体の中国依存を下げていかなければなりません。」
(コメント:部品や原材料の調達を中国企業に依存していると、サプライヤーの一つが米国より禁輸措置を受けることで、連鎖的に自社の製品も禁輸措置の対象になるかもしれません。そうすると米国市場での売上は消失し、企業価値は大きく減少することになります。また自社と直接取引のある仕入先ではなく、その先の原材料調達先が禁輸措置を受けた場合にも、結局のところ連鎖的に自社の製品も禁輸措置の対象になる恐れがあります。つまり米国市場でのシェアを守りたいのであれば、サプライチェーン全体の中国依存度を下げることを検討する必要が生じます。以上よりAの発言はGoodです。)
取締役B:「経済安全保障なんて国家レベルで考えるテーマの話であり、我々はモノづくりの会社にすぎません。そもそも政治と経済は別物です。質の高い製品をリーズナブルな値段で提供できれば米国の消費者から離反されることはないはずです。」
(コメント:経済安全保障は何も国家レベルの意思決定でなければ実現できないものばかりではありません。企業レベルでも実現可能な施策は多々あるうえ、自社が生き残っていくためには企業レベルの経済安全保障確保に向け積極的な動きをしていかなければなりません。また、質の高い製品をリーズナブルな値段で提供できていたとしても、いったん米国政府に禁輸措置を取られれば米国の消費者に製品を届けることはできなくなります。Bの発言は企業レベルでの経済安全保障の視点を欠いたBad発言です。)
取締役C:「いずれにしろ2021年6月のガバナンスコード改訂で経済安全保障担当役員を設置することが求められるようになりましたので、当社でも経済安全保障担当役員を設置しなければCG報告書でエクスプレインせざるを得なくなります。」
(コメント:経済安全保障についてあらたに盛り込まれたのは「コーポレートガバナンス・コード」ではなく「投資家と企業の対話ガイドライン」です。「投資家と企業の対話ガイドライン」はCG報告書とは紐づいていないので、「CG報告書でエクスプレインせざるを得ない」旨の取締役Cの発言は誤りです。なお、「投資家と企業の対話ガイドライン」でも「経済安全保障担当役員の設置」まで求める記載ぶりにはなっていないことには留意が必要です。)