フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男
2025年6月9日のニュース「同意なき買収に対する“時間稼ぎ”」で触れたとおり、東京地裁は、ニデックの同意なきTOBに対し牧野フライス製作所の取締役会が導入した「時間を確保するための対抗措置」を認めるという、牧野フライスにとって有利な決定を下した。しかし、この決定に対しては学者など専門家から多くの批判の声が上がっており、賛成意見の方が少ないのが現状だ。現時点では以下のような批判がある。
●同意なき買収に直面した取締役会が確保しようとする「時間」は、①株主が買収に応じるかどうかを判断するための時間、②取締役会が買収に対する意見を形成・公表するための時間、③取締役会が代替案(他の買収提案など)を探索等するための時間――に分類できるが、このうち③の時間を確保することについては、より良い(より高い価格で買ってもらえるなど)買収提案が出てくるのであれば株主にとって利益となる一方、取締役会が濫用的な使い方をすることが懸念される。具体的には、時間をかけることで当初の買収提案が成立しにくくなる(あるいは撤回される可能性が高くなる)ため、取締役会は「もっと良い提案が出て来るかもしれない」と言いながら、気に入らない買収提案を潰すために時間を使うことも可能になる。
●ニデックの買収提案よりも有利な競合提案が出て来た場合、当該競合提案自体によって牧野フライスの株主が享受し得る利益は拡大されるとはいえ、ニデックがTOBを撤回する可能性が考慮されていない。ニデックがTOBを撤回したとしても、競合提案が実現するとは限らない(条件が合わず、途中で撤回されるなど)。仮に実現しなかった場合、ニデックによるTOBもなくなり、競合提案も成立しないという最悪のケースに至ることもあり得る。その結果として、 株主はニデックのTOBが成立していれば確実に得られていた利益(売却益)を失うことになるうえに、競合提案も実現しなければ株価が大きく下がる可能性がある。
●どの程度の時間稼ぎなら「合理的」と言えるか判断できないため、不確実性を嫌う買収者は最初から同意なきTOBを仕掛けなくなる。
●経済産業省が2023年8月に公表した「企業買収における行動指針」は、TOB期間の上限と同じ期間(原則60日営業日)の買収の実行停止を求めることには「一定の合理性がある」としつつ、これを超える場合には「個々の事案に応じて十分に検討・説明がなされるべきである」としているが、濫用の懸念や望ましい買収の抑制を防ぐ観点から、取締役会から積極的な正当化事由が示されない限り、これを超える時間の確保は認められないものとする方が望ましい。
●対抗措置が認められるのは、競合提案がなされるとの蓋然性が生じ、または高まっていると言える場合(①競合提案の確保を目指して事業計画を新たに策定し、証券会社等を通じて競合提案候補者を探索したこと、②その結果、競合提案候補者から競合提案を検討するとの意向を表明する書面の提出を受けたこと、③その後も、資産査定(デューデリジェンス)を実施するなど競合提案を検討中の競合提案候補者が現存し、会社も当該候補者に対して速やかに最終的な競合提案を行うよう交渉していること)に限られるが、それで十分ということではない。たとえニデックのTOBが撤回されたとしても競合提案が実現する見込みはあるのか、実現するとしたら、買収価格はニデックのTOB価格と同水準なのか、あるいはそれを上回るのか、仮に上回るとすればどの程度上回るのか。競合提案により株主にとってどれだけ条件が改善するのかを慎重に検討すべき。
●ニデックによるTOBでは、「全部買付け」「買収対象会社の総議決権の過半数に相当する株式の応募があること」を成立要件としたうえで、TOB成立時にはTOB価格と同額でTOBに応募しなかった株主のスクイーズアウトを実施することを予告し、かつ、TOB成立に必要な応募が得られた場合にはその旨を公表した上で、追加応募期間を設けている。このような株主が「強圧性」を受けない状況で買収への賛否を表明できるように配慮した「オール・オア・ナッシング」型のTOBでは、株主自身がTOBに応募するかどうかを判断することで買収の成否が決まるため、対抗措置は不要である。
強圧性 : 企業価値の減少が予想されるTOB(公開買付け)において、一般株主が経済的に損をする可能性があるにもかかわらず、TOBに応募するインセンティブが生じる状況を指す。TOBを巡る課題の一つとなっており、金融庁・金融審議会の「公開買付制度・大量保有報告制度等ワーキング・グループ」では、強圧性のおそれを解消・低減させる措置として、全部買付義務の閾値(現行は3分の2)を引き下げる措置などが議論されたが、反対意見もあり、提言までには至っていない。
オール・オア・ナッシング : 一定の応募条件が満たされた場合にのみTOBが成立するという方式。
いずれももっともな指摘と言える。これらの批判の背景には、同意なき買収は、①経営資源の効率的配分を促進するとともに、②会社経営に対する規律効果を有するという考え方がある。経済産業省も同様の考え方を持っている。「企業買収における行動指針」では、「買収によるシナジーの実現や、非効率な経営の改善などは、企業価値を本源的価値に近付け、又は本源的価値を高めるための、経営にとっての一つの重要な手段」であり、「買収の可能性があることは、現在の経営陣に対する規律として機能する」と指摘するとともに(2.2.1)、そもそも「オール・オア・ナッシングのTOBを用いる場合には、対抗措置の必要性は一般的には乏しいと考えられ、対抗措置の発動は抑制的に考えることが、望ましい買収を阻害しないためには有益である」と指摘している(別紙3の2(1)c)。
商事裁判の世界では、裁判所の依拠した考え方が何らかの意味で明らかに誤りであることは珍しくなく、これを学者が修正し、その後、裁判所の考え方が変わることが多い。牧野フライス製作所事件決定の判断枠組みが、学者からの批判を踏まえ、今後の裁判で修正されるか否かはわからないが、これだけ批判が多いこと踏まえると、その可能性は否定できないだろう。
もっとも、取締役会が行うことは何も変わらない。平時より、投資家から調達した資本を有効活用し、価値を向上させ、それを株価に反映させる努力をすることが最も有効な「対抗措置」であり、たとえ有事に「時間稼ぎ」をして裁判に勝ったとしても、後味の悪い結果となる。
