<解説>
判子を押していた理由を考えれば見えてくる“脱判子”への道
日本企業では、社外文書の多くで「押印」が必要になります。代表的な社外文書をまとめると次のとおりです。
| プロセス |
時点 |
社外文書名 |
| 販売プロセス |
受注前 |
見積書 |
| 受注時 |
契約書、注文請書 |
| 納品・検収時 |
納品書 |
| 納品・検収時 |
受領書、検収書 |
| 仕入プロセス |
発注時 |
契約書、発注書 |
| 納品・検収時 |
納品書 |
| 締め後 |
支払通知書 |
| 支払時 |
領収書(手形や現金での領収時) |
このほか、社外文書の作成や入出金の実施にあたっての社内資料(取引申請書、稟議書、請求金額の集計資料、支払申請書、押印申請書、各種伝票等)にもさらに押印が必要になることも多々あります。また、J-SOXの観点からチェックリストや仕訳一覧やインターネットバンキングの出力などにも担当者印の押印が求められることがあります。押される判子も文書の重要性に応じて、代表印、役職社印、角印、担当者印(日付の入るデート印や日付の入らない印)など様々です。
こういったさまざまな「判子」の存在が、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて急速に広まったテレワークでクローズアップされることになりました。テレワークをしたくても、「判子」を押すために出社しなければならない状況があちらこちらで見られたからです。今後、新型コロナウイルスの第二波、第三波が予想される中、「判子」を省略できないか模索する企業が増えてきました。
「判子を押す理由」を考えることは、「判子」の省略を検討するにあたり必要不可欠と言えます。そこで、改めてなぜ判子を押すのかを考えてみましょう。日本のビジネスマンにとって判子を押すことはあまりに当然のこととなっていますが、判子を押す理由はおおむね次の3つです。
1 裁判での証拠力確保
2 正統性の外観の作出
3 担当者・承認者の内容確認の証跡
1の代表例は「契約書」です。契約は契約書がなくても口頭でも成立します。つまり、押印は契約の成立には一切影響を与えません。また、契約書を作成すると、契約の内容に応じた印紙税を負担しなければなりません。それでもなお、当事者の数だけ契約書を作成して、押印をしたものを各当事者が保管しておくのは、「将来紛争になった場合に備えたい」のが理由です。印鑑証明書を同時に利用することで、印影と作成名義人の印章が一致することを立証しやすくなり、これにより当該契約書の作成名義人が真実の作成者であることを立証でき、その効果として契約書の真正な成立が推定されます。これにより、万が一当事者同士で争いになった場合に、契約書が証拠としての役割を果たしやすくなります。取締役会議事録への押印も、証拠力確保の意味があります(なお、取締役会議事録の電子署名については【役員会 Good&Bad発言集】取締役会のコロナ対応 を参照)。
2の代表例は「見積書」「請求書」です。「見積書」「請求書」は文書の性質上「将来紛争になった場合に備えたい」というニーズはほとんどありません(ゼロとまでは言い切れませんが)。また、「見積書」「請求書」は作成・提出の機会が契約書よりも断然多いことから、よほど小さい企業を除いては代表印が押されることもありません。見積書や請求書に押されることが多いのは角印です。角印は、「将来紛争になった場合に備える」というよりは、文書に法人内での意思決定を経た外観を作出するために押印するケースが多いと言えます。ある程度のレベルの企業であれば角印を押すのには社内手続きが必要になってくるため、「角印が押されている」イコール「社内での意思決定を経ている」と高い確度で推測され、受け取る側も「しっかりとした文書」だと理解して安心して受領できます。
3の代表例は「稟議書」や「申請書」です。申請を上げる者、受け付ける者、承認する者がそれぞれ押印することで、意思決定過程が明確になり、責任の所在を明確にすることができます。デート印を用いることで、意思決定の日付を明示できます。これらの押印には内部監査、監査役監査、監査人の監査などの監査に備えるという意味もあります。
このように「判子を押す理由」は文書によりさまざまですが、理由が分かることで、代替案の検討の道筋も付きます。たとえば、契約書の押印ですが、そもそも、文書の真正な成立は、相手方がこれを争わない状況下では問題になることはありません。たとえば相手方が争わないことが明確な100%子会社と親会社との間の契約については、契約書という書面である必要はなく、合意内容をPDF(紙に出力すると内容に応じた印紙税が課されます)で保管しておけば十分と言う考え方もありえます。また、電子契約を利用することで、判子から解放されます。取引の相手方が電子契約に難色を示した場合は、フォーマットとしては電子契約を利用しつつ、先方の保管分だけ、紙に出力して押印するという手もあります(判子からは解放されませんが、印紙税を負担するのは先方だけになります)。
また、裁判において「文書の成立の真正」は、本人による押印の有無のみで判断されるものではなく、文書の成立経緯を裏付ける資料など、証拠全般に照らし、裁判所の自由心証により判断されます。換言すれば、他の方法によっても「文書の真正な成立」を立証することは可能です(内閣府・法務省・経済産業省が2020年6月19日に公表した「押印についてのQ&A」の問3参照)。「形式的証拠力を確保するという面からは、本人による押印があったとしても万全というわけではない」以上、テレワークを推進する観点からは、「必ずしも本人による押印を得ることにこだわらず、不要な押印を省略したり、「重要な文書だからハン コが必要」と考える場合であっても押印以外の手段で代替したりすることが有意義である」(「押印についてのQ&A」の問3参照)と言えます。たとえば、メールでのやり取りや電話でのやり取りを記録して形式的証拠力を確保しておけば、押印された文書がなくても裁判で証拠として用いることができます。
そもそも「見積書」「請求書」は、書面に判子を押さなくても効力に影響はないのですが、正統性の外観が失われることを気にする企業(あるいは担当者)があるのも事実です。一昔前は、印影を印刷した「見積書」「請求書」を送付すると、押印されたものを再送することを求める企業(あるいは担当者)も見受けられましたが、さすがにコロナ禍を経て、そういった無理解な企業・担当者も減ってきました。これを機に「見積書」「請求書」については紙で提出せずにPDFでメール送信する方法に切り替えるべきです。なお、PDFを添付したメール送信の場合は、切手代を節約できるというメリットがある反面、誤送信のリスクには注意しなければなりません。クラウド上のサービスを利用する方法もありますが、コストもかかることから、誤送信のリスクとコストをはかりにかける必要があります。
「見積書」「請求書」のPDF送信にあたり注意しなければならないのが、税務への対応です。「見積書」「請求書」のPDF送信は、税務では電子取引(*)に該当します。国税関係帳簿書類の保存義務者は、電子取引を行った場合には、財務省令で定めるところにより、その電子取引の取引情報に係る電磁的記録を保存(または書面で保存)しなければならないこととされています。誤解されやすいところですが、この電子取引の保存(電子帳簿保存法10条による保存)は、後述の電子帳簿保存法4条(5条)に基づく税務署長の事前承認を経たうえでの保存とは異なり、税務署長の事前承認は不要です(一定の保存要件は満たす必要があります)。
* 取引情報(取引に関して受領し、または交付する注文書、契約書、送り状、領収書、見積書その他これらに準ずる書類に通常記載される事項をいう)の授受を電磁的方式により行う取引をいい、いわゆるEDI取引、インターネット等による取引、電子メールにより取引情報を授受する取引(添付ファイルによる場合を含む)、インターネット上にサイトを設け、そのサイトを通じて取引情報を授受する取引等が含まれます。
なお、文書保存の負担軽減を図るために、各税法で保存が義務付けられている書類について、税務署長の事前承認を受けることを前提に、一定の要件の下でプリントアウトをせずに電子的に保存することが認められています(前述の電子帳簿保存法4条(5条)に基づく税務署長の事前承認を経たうえでの保存)。脱判子の流れは文書の電子保存と相性が良いため、脱判子の検討に合わせて電子帳簿保存法に基づく税務署長の承認をもらうことも検討すべきです。これにより、領主所などのスキャナ保存が可能となり、交通費や交際費の精算手続きで精算用紙の裏に領収書を糊付けして判子を押す実務から解放され、テレワークに資すると言えます。
判子をもっとも撤廃しやすいのが、社内文書です。わざわざ高価なワークフローシステムを導入しなくても、クラウド上でPDFと印影を利用したシステムを安価に利用できる時代になりました。社内文書の脱判子化を進める際に注意しなければならないのが、J-SOXです。J-SOX対応として、「●●という文書を作成した担当者が判子を押し、課長が内容を確認して判子を押す」という業務記述書を作り、「課長が内容を確認して判子を押す」という統制をキーコントロールとして位置付け、当該文書を年間25件サンプルして、「判子の有無を確認する」という内部監査が行われている企業が少なくありません。こういう業務の流れをクラウド上でPDFと印影を利用したシステムに移行した場合に、統制が弱くなるようでは、監査役や監査法人から「待った」をかけられる可能性があります。クラウド上の印影の利用権限の厳格化を徹底して、決して統制は弱くなってはいないということを監査法人に説明できるようにしておきましょう。参考までに、内部統制報告制度に関するQ&A(問47)を掲げておきます。
内部統制報告制度に関するQ&A
(問47)【関連書類への印鑑の押印等】
内部統制の整備及び運用の状況に係る記録として、業務の実施者はすべての関連書類に印鑑を押印しなければならないのか。また、当該記録はすべて書面(紙)で保存しなければならないのか。
1.内部統制の整備及び運用状況に係る記録(実施基準Ⅱ3(7)①ホ)については、経営者による評価や監査人による監査が実施できる記録が保存されていればよく、必ずしも、業務の実施者がすべての関連書類に印鑑を押印することは求められてはいない。経営者による評価や監査人による監査においては、業務の実施者がすべての関連書類に印鑑を押印しているという形式が重要なのではなく、内部統制が有効に整備及び運用されていることを確認できることが重要であると考えられる。
2.また、記録の保存の方法は、必要に応じて適時に可視化できればよく、書面(紙)のほか、磁気媒体やフィルムなどに保存しておくことも可能であり、後日、経営者による評価や監査人による監査が可能となるよう、適切に保存しておくことで足りる(実施基準Ⅱ3(7)②)。
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さて、以上の解説をご覧いただければ、誰の発言がGOOD発言か、もうお分かりですね。正解は以下のとおり。
<正解>
取締役C:「電子帳簿保存法の適用の有無と請求書や見積書をどのような媒体で送付するのかはまったく関係がない話です。ただ、どうせなら電子帳簿保存法を適用すればいいのではないでしょうか。そうすれば交通費や交際費の精算手続きで精算用紙の裏に領収書を糊付けして判子を押すことも不要になるので、テレワークに資すると言えます。」
(コメント:電子帳簿保存法10条による電子取引の保存の話と、電子帳簿保存法4条(5条)に基づく税務署長の事前承認を経たうえでの電子帳簿保存の話が、しっかりと区別できています。そのうえで、押印手続きの廃止と相性のよい電子帳簿保存の話に展開していくのはGOODです。)
取締役D:「押印手続きを可能な限り廃止することには賛成ですが、「責任者の押印」はJ-SOXの業務手続書の随所でキーコントロールになっています。統制の質が落ちないように代替案を検討する必要があります。」
(コメント:押印手続きの廃止はJ-SOXへの影響が少なくありません。取締役Dの発言は、J-SOX実務への配慮ができているGOOD発言です。)
取締役A:
「角印は代表印、銀行印の次に重要な判子であり、請求書や見積書の効力に影響するので簡単になくすわけにはいきません。」
(コメント:押印の有無は、請求書や見積書の効力に何ら影響を与えません。押印の意味を熟慮していないBad発言です。)
取締役B:
「わが社は電子帳簿保存法の適用を受けていないので、請求書や見積書は紙で発送せざるを得ず、結局とのところ角印の押印は不可避となります。」
(コメント:電子帳簿保存法10条による電子取引の保存の話と、電子帳簿保存法4条(5条)に基づく税務署長の事前承認を経たうえでの電子帳簿保存の話を区別できておらず、Bad発言と言わざるを得ません。)