「日本版司法取引」を可能にする改正刑事訴訟法が(2018年)6月1日に施行されてから1か月余りで早速初の適用事例が出たことは新聞報道等のとおりだが、企業の受け止め方(深刻度)には温度差があるようだ。その原因の一つとして、初の適用事例が「外国公務員贈賄罪」に関するものであったということが考えられる。外国公務員贈賄罪のリスクについては当フォーラムでもとり上げてきたところだが(2017年1月30日掲載の【役員会 Good&Bad発言集】「グローバルレベルで強化される外国公務員贈賄罪のリスク」、2014年4月9日のニュース「どこまでOK?外国公務員への利益供与」参照)、1998年の不正競争防止法(施行は1999年2月~)により外国公務員贈賄罪が導入されてから約20年の間に同罪で立件された事例はわずか4件しかない。「ウチには関係ない」と思う企業があったとしても致し方ないところだろう。
初の適用事例 : 三菱日立パワーシステムズの幹部(3人)がタイにおける火力発電所建設に絡み現地公務員に賄賂を提供していたとして、東京地検特捜部は2018年7月20日付で幹部3人を在宅起訴する一方、同社は東京地検と司法取引に応じ捜査に全面協力した見返りとして、法人としての起訴を免れた事例。
しかし、日本版司法取引は外国公務員贈賄罪のような特殊な犯罪のみを対象としているわけではない。日本版司法取引の適用対象となる犯罪は改正刑事訴訟法350条の2第2項に規定されているが、条文を見れば分かるように、その範囲は非常に広い。談合、贈収賄、詐欺、背任、横領などはもちろん、「その他の財政経済関係犯罪として政令で定めるもの」(同条同項三号)が対象となるとされており、政令(刑事訴訟法350条の2第2項第三号の罪を定める政令)には、各種の業法のほか、税法、金商法、会社法など、企業にとってお馴染みの法律が並ぶ。つまり、これらの法律に規定されている刑罰は全て司法取引の対象になるということだ。近い将来、二番目の適用事例が出てきたとしても何ら不思議ではない。
その場合、日本版司法取引の仕組みや創設の目的を踏まえれば、日本版司法取引によって“売られる”可能性が高いのは経営トップや取締役などの経営陣だろう。海外ドラマなどを見ていると頻繁に司法取引のシーンが出てくるが、そこで行われている司法取引は一般的には自分の罪を減免するために「自分の罪」を明らかにするものであるのに対し、日本版司法取引は自分の罪を軽くするために「他人の刑事事件」について供述したり証拠を出したりするものであるという点で、両者は大きく異なる。「日本版」という修飾が付いているのもこのためだ。いわば「自分のために他人を売る」のが日本版司法取引の特徴と言えるが、この点について、日本版司法取引の導入議論の際には「日本人の気質に合わない」といった批判も多く聞かれた。こうした批判がある中でも日本版司法取引が導入された背景には、“組織ぐるみ”などとも言われる組織的な犯罪では、事件の解明に向けた有効な供述が得られにくいということがある。裏を返せば、日本版司法取引は、例えば実行犯である一般社員から「罪の減免」というメリットと引き換えに有力な供述や証拠、捜査への協力などを引き出し、通常は組織的犯罪において中心的な役割を果たす経営陣や経営トップの刑事責任を追及するための“ツール”と言える。
日本版司法取引の当事者となるのは被疑者や被告人だが、適用第一号となった三菱日立パワーシステムズの事例で幹部が起訴される代わりに同社が起訴を免れたことからも分かるように、日本版司法取引では個人のみならず、企業も当事者となり得る。これは、多くの特別法には「両罰規定」が置かれているため。両罰規定とは、犯罪行為をした個人のみならず、それが業務の中で行われている以上は、企業も処罰するという規定であり、両罰規定により被疑者や被告人となる企業は、日本版司法取引においても当事者となる。三菱日立パワーシステムズの事例では、当事者である同社が、「他人」である役員の犯罪の捜査に協力したことで、役員が起訴される一方、会社が不起訴となるという結果となったわけだ。
被疑者 : 警察や検察などの捜査機関から犯罪の疑いをかけられ捜査の対象となっている者。いまだ起訴されていないという点、被告人とは異なる。
被告人 : 検察官から起訴された者。被疑者が検察官により起訴されると被告人となる。
特別法 : 適用対象がより特定されている法律のこと。特別法と対照的な概念が「一般法」であり、適用対象がより広い法律のことを指す。例えば民法と会社法の関係では、民法が一般法であるのに対し会社法は特別法となる。特別法は一般法に優先するため、一般法と特別法で異なった規定が置かれている場合には、特別法の適用を受ける事象については一般法の規定が排除され、特別法の規定が適用される。
では、以上も踏まえると、日本版司法取引を活用するか否かの判断を迫られる局面が訪れた場合、企業や役員はどのような観点からそれを検討すればよいのだろうか。
まずやるべきなのは、判断に必要な材料集めだ。具体的には、自社に対してどの法律が適用されどのような刑事責任(何罪)が科される可能性があるのか、過去の事例ではどの程度の制裁が科されたのか、さらには刑事責任に付随して国や地方自治体等における入札の指名停止などの行政処分があるのか――等々を総合的に考慮して、司法取引を行うかどうかを検討していく必要がある。
また、日本版司法取引は、自社の経営トップあるいは現経営陣にとって不利になる証拠や情報等を検察官等に提出したり供述したりするものであるだけに、企業側としても難しい判断を迫られることになる。その際に整理しておくべきなのは、「司法取引によって最終的に何を守りたいのか」という点だ。会社自体や会社のレピュテーション・信用力を守るのか、あるいは現経営陣(例えば「オーナー」ということもあろう)を守るのかなど、様々な価値判断があり得よう。これらの点は、司法取引の当事者となっている経営陣等以外の役員が中心になって協議し、判断することになろう。
さらに、司法取引をしたことにより得られる「恩恵」がどの程度のものなのかという点についての検証も必須となる。「不起訴」「求刑を軽くする」など、司法取引による恩恵のメニューには色々なものがあるが、企業にとっては目指すべきは何と言っても「不起訴」ということになる。量刑はさておき、企業にとって「起訴をされた」という事実は非常に重いものがある。取引の制限、入札制限といった目に見える影響が出てくるばかりでなく、世間の捉え方も、起訴されたかどうかでは大きく異なる。求刑を軽くしてもらう(これを「求刑の合意」という)ことを目指して司法取引を行うこともあり得ないではないが、検察側がどれくらい求刑を下げるのか明示的に示してくれるとは限らないうえ、求刑を下げたからと言って、裁判所の判断は求刑の合意には拘束されないため、場合によっては求刑を上回る判決が出てしまう可能性もある。これらの点を考慮すると、求刑の合意は企業にとって使いにくい面があろう。繰り返しになるが、企業が司法取引のメリットを最大限に受けるためには、やはり「不起訴」を獲得するということを最優先に考えるべきと言える。実際、第一号事例でも、三菱日立パワーシステムズは不起訴になっている。
ここまで司法取引を行うかどうかを判断するための要素について解説してきたが、司法取引を行うことを“攻め”とすれば、司法取引に巻き込まれることから自社や自社の経営陣等を防御する“守り”についても検討しておく必要がある。自分の罪を減免するために「他人の刑事事件」について話をしたり証拠を出したりする日本版司法取引においては、自分が助かるため、ありもしない他人の罪をでっちあげることもあり得る(これを「引っ張り込み」という)。この点については日本版司法取引の導入議論の段階でも強い懸念が示されたことを受け、日本版司法取引を規定した改正刑事訴訟法には「虚偽供述等処罰罪」が設けられたものの、それだけで引っ張り込みのリスクが完全に消えるわけではない。企業は、司法取引において“攻め”と “守り”双方の立場になり得るということであり、特に企業の上層部となればなるほど、引っ張り込みのターゲットにされるリスクは高い。
引っ張り込みのリスクを低減するために最も有効なのが、迅速な調査だ。例えば4社(A~D社とする)が絡む談合事件で、A社とB社が、C社とD社あるいはその役職員について虚偽の供述をする可能性がある。これを未然に防ぐためには、いかに重要な証拠等をどれだけ早く捜査当局等に持ち込めるかがカギを握る。刑事手続きは、告発、被害届、報道など捜査の端緒を掴むところから始まり、「任意捜査→強制捜査(逮捕・捜索)→検察捜査(拘留)→起訴(あるいは不起訴)→裁判」と進んでいくが、日本版司法取引はそのどの段階でも行うことができる。重要証拠等をできるだけ早く捜査当局等に持ち込むためにも、迅速な社内調査を実施する必要がある。ここでいう社内調査とは文字通り社内のリソースを使った調査であり、第三者委員会などは想定していない。第三者委員会のメンバーは社外の者により構成されるため、社内事情を把握してもらうだけでも時間を要してしまうからだ。日本版司法取引では“スピード”が重要であるということを強く意識する必要がある。
もっとも、調査はただ早ければいいということではない。不十分な調査のまま捜査当局に情報提供等を行ったところ、後になって事件への関与者が捜査当局の捜査によって出て来てしまうということも考えられる。中途半端な調査により中途半端な司法取引をしたことでより大きなダメージを受けてしまうという最悪のパターンと言える。上述のとおり司法取引は時間との戦いであるため完璧な調査を実施するのは困難とはいえ、企業は「迅速でありながらそれなりに徹底した調査」を心掛けるようにしたい。少なくとも、重要事案を見逃すような調査は避けなければならない。仮に引っ張り込みにあった場合、「捜査当局は捜査が進めばいずれ我々が潔白であることを分かってくれるだろう」と考えるのは、企業のリスクマネジメントとしては甘いと言わざるを得ない。自ら積極的に身の潔白を立証していく姿勢が必要になる。そのためには、社内調査の段階で具体的かつ詳細な供述やそれを裏付ける客観的な証拠や資料をどれだけ収集できるかが重要となろう。