2.一見企業にプラスに働きそうな“推進派”の主張
まず、知的財産の紛争処理システムの見直しに積極的な“推進派”の意見を見てみよう。推進派の意見は下記の4つに集約される。
(1) 訴訟件数が少ないのは、知財が有効に活用できていないからだ。訴訟件数を増やす取り組みをすべきである。
(2) 自社の特許が侵害されているとして訴訟を起こしたにもかかわらず、「そもそもその特許自体が無効であった」という結論が出ることもしばしばある。せっかく特許庁の審査を受け、毎年特許料を支払って維持してきた特許が無効とされ、さらに訴訟にも負けてしまうのでは報われない。訴訟においては、権利者(特許等の知財保有者)が勝ちやすくすべきだ。
(3) 訴訟で勝ったとしても、得られる賠償額は微々たるもの。この事実は「日本では知財が尊重されていない」というメッセージになりかねない。権利侵害が認められれば、従前よりも賠償額を高く認定できるような制度的手当てをすべきだ。
(4) 知財訴訟においては、証拠が集まりにくい傾向が見られる。そこで、通常の訴訟よりも証拠収集手続を拡充すべきだ。
3.“推進派”の主張に潜むリスク
一見するといずれも企業にとってはメリットがあるようにも見えるが、実はそうとは言えない。1つづつ検証してみよう。
(1)訴訟件数が多ければ、知財の活用がなされていることになるのか?
知財立国を目指す日本において、特許などの知的財産が侵害された際にこれを差し止めたり損害賠償を請求できるという仕組み、すなわち訴訟システムが整備されていることは極めて重要である。
とはいえ、企業にとって、「訴訟」はあくまで最後の手段である。訴訟は多くのリスクを伴う。負けるリスクに加え、訴訟には時間的コスト、金銭的コストもかかる。訴訟の対象となっている特許に関わった技術者や研究者を訴訟に引っ張り出せば、その分、研究開発の時間も失われる。つまり、訴訟には「人的コスト」もかかる。
また、“裁判沙汰”という言葉にも象徴されるように、訴訟の少ない日本では、訴訟で争っていること自体が、レピュテーション上マイナスになる。企業が訴訟リスクを徹底的に減らす努力をし、問題が起こった際もできるだけ訴訟に発展するのを避けるようにしているのもこのためだ。
したがって、「訴訟が少ない=知財が活用されていない証拠」という主張は、企業の実態を知らない的外れなものであると言わざるを得ない。
(2)知財訴訟は「権利者」に有利に働くようにすべきなのか?
特許は、出願登録時だけではなく、維持していくにもコストがかかる。その特許が侵害されているとして訴訟を提起したにもかかわらず、「そもそもその特許自体が無効である」と言われるのでは浮かばれない、という主張は確かに一理ある。しかし現実には、質の低い特許を安価で取得したうえで「(その)特許を侵害している」と言いがかりをつけ、訴訟提起をちらつかせて和解金を求めてくるような悪質企業も存在している。
現在、日本で起こった知財訴訟のうち、特許権が無効とされるケースはおよそ3割ある。ここでいう「3割」とは、裁判にまでもつれ込む問題が起こった特許の中の3割であり、出願・登録された特許の3割が無効になるわけではない。この数字は世界的に見ても妥当なものとなっている。特許庁は近年、特許審査の質の向上に取り組んでいるが、その一方で、審査の迅速化も図られている。世界中にある情報をつなぎ合わせれば、新規性や進歩性に疑義のある特許が生まれてしまうのは、半ば仕方のないことでもある。
裁判所が「権利者がお金をかけて登録・維持している」ことを考慮する必要はない。あくまでも「勝つべき者を勝たせる」ことが、“公正中立な法の番人”としての役割と言える。
(3) 賠償額をより高く取れるような制度的手当てを行なうべきか?
重要な知的財産を侵害された企業が訴訟を起こし、人的コスト・時間的コストと高額な弁護士費用をかけて勝ったとしても、被った損害を補填できるだけの賠償額を得られないのであれば、訴訟をする意味はない。
そこで“推進派”は、米国の「三倍賠償」にならい、「追加的損害賠償・懲罰的損害賠償(以下、懲罰的損害賠償)」という、損害以上の賠償額が取れる仕組みを取り入れてはどうか、と提案している。しかし、企業が訴訟を提起される立場に立つこともある以上、このような仕組みの導入は諸刃の剣となる。
三倍賠償 : 米国特許法上の規定で、知的財産権の侵害行為が故意であった場合、裁判官の裁量により、最高で損害の3倍の賠償金を懲罰として科すもの。日本では、損害額を超える賠償金支払いは認められていない。
追加的損害賠償・懲罰的損害賠償 : 侵害行為の悪質性が高く、立証された損害賠償額では不十分であると裁判所が判断した場合などにおいて、追加的賠償を命じることができる制度
それ以前に、そもそも日本の法制上、懲罰的損害賠償を導入することはできない。他者の不法な行為によって損害を受けた者が賠償請求を行なう根拠となっている民法709条は、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と規定している。この「これによって生じた損害を賠償」という文言からも明らかなように、民法709条は、損害を回復し、不法行為前の状態に戻すことを目的としており、受けた損害以上の賠償金を請求することは想定していない。例えば特許であれば、侵害していた期間、ライセンスを通常通り受けていた場合に権利者が受け取っていたはずの利益を損害とみなすことになる。
“推進派”はこれまでの判例で認定された賠償額の少なさを踏まえ、より高い賠償額を命じることができる制度の導入によって、賠償額の引き上げを図るべきだと主張している。ところが、少ないと批判されている賠償額は、実は他国と比較して低いわけではない。確かに、懲罰的損害賠償を認めている米国のそれは極めて高額だが、特許の価値は、発明の位置付け、製品を保護し得る件数、市場規模等により大きく変わる。したがって、他国と賠償額の高低を比較する際には、単純に額のみを比べるのではなく、これらの要素を勘案した上で、「不当に」低いかどうかを考える必要がある。実際、企業に話を聞くと、「日本の裁判では概ね違和感のない認定がなされている」との答えが返ってくるケースがほとんどとなっており、実損の3倍以下まで賠償額を認定することを認めるという懲罰的損害賠償に対しては口を揃えて反対している。
(4)証拠の収集を行ないやすくすべきなのか?
日本の民事訴訟では、自分の主張したい事実は自分で立証しなくてはならず、そのための証拠収集も当事者自らの手によってなされるのが原則となっている。個人や民間企業には当然ながら警察のような捜査権限があるわけでないため、証拠収集は困難を極めることになる。それが原因で、訴訟で敗訴した企業も少なくない。
こうした事情を背景に、“推進派”は、当事者に関係するあらゆる情報を吐き出させ、証拠を一気に集めることを可能とする米国式の証拠収集手続である「ディスカバリ制度」の導入、裁判所による文書提出命令の発動要件(権利侵害者が訴訟で文書を引用した場合など。民事訴訟法220条)の引き下げ、第三者(例えば裁判所が認定した弁護士や弁理士)による査察制度、などの新設を主張している。
しかしながら、裁判実務への影響を十分に検証せずにこれらの制度の導入するのはあまりに拙速との声が多く、実際、既に導入されている国においても課題が指摘されていたり、実際は機能していなかったりと問題が生じている。これらの導入によってもっとも懸念されるのが「営業秘密」の流出だ。
昨年の不正競争防止法の改正(2015年7月24日のニュース「 訴訟増加も!営業秘密の不正使用、立証責任が転換」参照)の際にも産業界が繰り返し主張してきたとおり、営業秘密の漏洩は企業の競争力を著しく下げるものであり、そのリスクを避けるためならば、企業は少々の犠牲は厭わないほどだ。例えば、裁判に勝つために極めて有力な情報があったとしても、それが営業秘密の漏洩につながるものであれば証拠として提出しないことを選択するケースも珍しくない。
特許訴訟で企業を食いつぶすビジネスモデルを展開する海外法人(パテント・トロール=特許の化け物)は、こうした企業行動を知ったうえで多額の和解金や賠償金をせしめようと訴訟を提起し、仮にそれらを得られなくても、営業秘密が手に入れば儲けモノと考えている。現在の日本では証拠収集の手続がある程度限定的なため、パテントトロールはそれほど入り込んできていない。しかし、訴訟提起や証拠収集のハードルを下げれば、日本国内にも魔の手を伸ばしてくることは十分に考えられる。海外の制度の導入を検討する際は、メリットだけではなく、デメリットも十分に検討する必要がある。
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