多重代表訴訟に備え、子会社役員もD&O保険加入を検討する必要
1人以上の社外取締役の選任を求める改正会社法(2015年5月1日~)や2人以上の選任を求めるコーポレートガバナンス・コード(同6月1日~)を踏まえ、多くの会社が社外取締役確保に動いています。
逆に言うと、その分だけ社外取締役候補の確保は厳しくなっており(特に有力な候補者)、処遇やサポート体制の整備はもちろん、「リスク」への配慮も必須となっています。
リスクへの配慮としては、「責任限定契約」と「D&O保険(会社役員賠償責任保険)」は欠かせません。一部では「責任限定契約を締結すればD&O保険は不要である」との誤解もあるようですが、責任限定契約で役員の責任が限定されるのは「善意でかつ重大な過失がない」場合に限られます。現実に起きている株主代表訴訟や第三者訴訟の多くは役員の過失を問うものであり、なかには責任限定契約の対象にならないものもあるため、D&O保険への加入は必須となります(2015年4月22日のニュース「責任限定契約を締結すればD&O保険は不要か」参照)。
D&O保険ではその会社の役員全員が“包括的”に被保険者となるため、「社外取締役だけ」D&O保険に加入させるということはできません。したがって、社外取締役をD&O保険に加入させるためには、他の役員も全員加入する必要があります(2015年5月29日のニュース「D&O保険への取組み、ソニーの事例」参照)。D&O保険の条件も役員によって変えることはできないのが原則ですが、社外役員に対しては支払限度額を上乗せする補償を提供している保険会社もあります。社外取締役候補者に対し、リスクへの手厚い配慮をアピールする必要がある場合には、こうした補償を採用することも一考に値します。
既にD&O保険に加入していたとしても、契約から時間が経っている場合には、保険の内容が分からなくなっているという役員もいると思います。社外取締役の選任をきっかけに、D&O保険の契約条件を内容を再確認し、場合によっては内容を見直すことも検討すべきでしょう。
また、改正会社法により多重代表訴訟制度が導入され、「親会社の株主」が「子会社の役員」に対しても株主代表訴訟を起こすことができるようになりましたので、子会社の役員もD&O保険に加入しておいた方が無難です。多重代表訴訟制度が導入された背景には、ホールディングカンパニー(持株会社)の急増があります。すなわち、ホールディングカンパニーは自ら事業を行っていないため事業上の失敗について責任を追及されにくいうえ、実質的に事業を行っている子会社も親会社であるホールディングカンパニーから責任を追及されることは通常ないため、結果としてホールディングカンパニー制を採用する企業グループ全体が責任を追及されにくい状況になりかねないというわけです。もっとも、多重代表訴訟の対象となるのは「簿価が親会社の総資産の20%を超える子会社」だけであり、また、多重代表訴訟を提起する株主は「親会社の1%以上の議決権」を保有していなければなりません。これらの要件を満たすケースはそれほど多くないと思われますが、例えばアクティビストが大規模な子会社をターゲットにすることはあり得るでしょう。
保険金額の設定は1~10億円が多数派
このように、上場会社の役員にとってD&O保険への加入は欠かせないものとなりつつありますが、D&O保険への加入によってすべてのリスクが回避できるのかと言えばそうではありません。まず金額です。D&O保険の保険金額(賠償金と争訟費用などの合計額)の上限は、保険会社によって異なるのが実状です。役員全体で最大約20~25億円程度としている保険会社もあれば、同じグループに属する会社に対してはより大きい限度額を設定している保険会社もあります。また、リスクの高い会社に対しては保険の引受けを拒否するケースや、引き受けても「1億円まで」としているケースも見られます。総じて言えば、役員全体で「1~10億円」の範囲に保険金額を設定している会社が多数派であり、1億円程度の限度額で保険に加入している会社も少なくありません。確かに、「経営判断の原則」がある以上、決定の過程、内容によほど不合理な点がい限り、経営判断の誤りについて取締役が「善管注意義務」違反が問われることはありませんが、株主代表訴訟で勝訴を勝ち取るための弁護士費用が高額になり、保険金の支払限度額を超えてしまうこともあります(ちなみに、D&O保険では、役員が勝訴した場合でも争訟費用は支払われます)。そうなれば、仮に訴訟で和解したとしても、和解のための費用が不足してしまいます。したがって、リスク低減のためには、保険金の上限は高めに設定しておくべきです。
善管注意義務 : 会社との委任関係に基づいて「善良な管理者の注意」をもって職務を遂行する義務。善管注意義務を怠って会社に損害が生じた場合には、取締役はこれを賠償する責任を負う。
なお、第三者訴訟で役員が損害賠償責任を負った場合に支払われる「普通保険約款」の保険料は会社負担となりますが、株主代表訴訟で役員が敗訴した場合に支払われる「株主代表訴訟補償特約(自動付与)」は、あくまで会社に対する損害に対して役員が負う責任への保証であるため、保険料は役員の個人負担(一般的には保険料全体の約1割)となります。
第三者訴訟 : 役員の故意や重過失によって会社または役員が第三者(取引先、従業員など)に損害を与えた場合、第三者が会社法429条(役員の任務懈怠)や民法709条((役員個人の)不法行為)を根拠に役員に対して損害賠償を請求するもの。
虚偽記載に起因する株価下落への損害賠償はD&O保険の対象外
また、そもそもD&O保険の支払い対象にならないケースもあります。例えば「保険始期より前に行われた行為」「保険始期の前に、既に会社に対して提起されていた訴訟」「保険始期の前に既に損害賠償請求がなされるおそれがある状況を知っていた場合」などのほか、「汚染物質を排出した場合」や「役員自身が法令に違反した場合や、法令違反を認識していた場合」には公序良俗の観点から保険金が支払われないことになっています。近年の株主代表訴訟の中には違法行為に絡むものが多く(件数としては「経営判断の誤りを問うもの」と同じくらいあります)、その中にはD&O保険の支払い対象外となるものも少なくないようです。
その1つが、有価証券などの法定開示書類への虚偽記載(不実記載とも呼ばれます)に起因する株価下落に対する損害賠償責任です。業績の悪い会社では、しばしば有価証券報告書などの開示書類への虚偽記載という不祥事が起こりがちです。金融商品取引法では、上場会社に対し、法定開示書類への虚偽記載に伴う株価の下落に重い民事責任を課しています。具体的には、たとえ虚偽記載について「無過失」であったとしても、投資家から損害賠償請求があった場合には「虚偽記載が公表された日以前1か月の株価の平均-公表日後1か月間の株価の平均)」により計算される“損害額の推定額”を賠償しなければなりません(ただし、損害賠償請求時に株式を保有している場合には「株式取得時の株価-損害賠償請求時の株価」、損害賠償請求時に株式をすでに処分している場合には「株式取得時の株価-処分株価」が上限)。
虚偽記載 : 有価証券報告書等に次のいずれかがあること。
・重要な事項について虚偽の記載がある
・記載すべき重要な事項の記載が欠けている
・ 誤解を生じさせないために必要な重要な事項の記載が欠けている
金商法では、株主が役員に対しても損害賠償請求することを認めており(ただし、役員が自ら故意・過失あるいは注意義務違反がなかったことを立証すれば責任を免れることができる。金商法21条2項)、役員が株主から損害賠償請求を求める訴え(株主自身のための訴訟であるため「第三者訴訟」に該当。株主が会社に代わって起こす訴訟が株主代表訴訟)を提起される可能性があります。また、株主への損害賠償により会社が被った損失について役員の善管注意義務違反や(虚偽記載を防止する)内部統制の構築義務違反があったとして、株主代表訴訟が提起されることも考えられます。しかしながら、D&O保険では、被保険者が法令等に違反することを認識しながら行った行為は免責とされています。上記の訴訟はいずれも金商法違反という“法令違反”に起因する損害賠償であるだけに、役員が法令違反を認識していたと保険会社に判断され、D&O保険の補償対象外となる可能性があります。これは役員にとって大きなリスクと言えるでしょう。
一部の保険会社では、有価証券報告書等の法定開示書類への虚偽記載に起因して会社が負担する損害賠償金や訴訟費用をカバーする保険を販売しています(保険会社によっては、決算短信への不実記載も対象にしているところもあります)。役員ではなく、あくまで「会社」が受けた損害を補償する保険ですが、保険で株主の損失がカバーされる(=会社の負担がなくなる)となれば、役員に対し株主代表訴訟が提起される可能性は低くなります。社外取締役候補が虚偽記載にリスクを感じている場合などは、このような保険への加入を検討してもよいでしょう。
絶対に避けたい環境汚染関係の株主代表訴訟
D&O保険の支払い対象とならないもの(免責事項)の中で、極めてリスクが大きいのが「環境汚染」です。化学メーカーである石原産業が、六価クロムなどを含む有害廃棄物を「埋立材」と称して山野に不法投棄し、その回収費用として同社に486億円の損失が生じた事件では、製造・出荷に関わった元取締役ら3名に対してそれぞれ485億円、254億5,050円、101億8,020万円の損害賠償金を同社に支払うよう命じる判決が大阪地裁で下され(2012年6月29日判決)、大きな話題を呼びました(2014年5月20日、大阪高裁において、合計5千万円余りの和解金を同社に支払うことで和解)。
このような不法行為は論外としても、例えば常に汚染物質の基準値を遵守してきたにもかかわらず長年の使用により基準値を超えてしまった、あるいは、不動産会社が以前の所有者が原因で汚染された土地を(汚染があるとは知らずに)購入してマンションを建設・販売してしまったことなどにより、行政から浄化措置命令を下されたり、周辺住民やマンション住民から訴えられ、会社に損害が生じることがあり得ます。この損害が役員の善管注意義務違反などにより生じたものとして、株主代表訴訟が提起されることも十分考えられます。
ただ、上述のとおり、環境汚染に起因して生じた損害賠償責任はD&O保険ではカバーされません。したがって、役員としては、賠償金額も巨額になりがちな環境汚染関連の株主代表訴訟だけは絶対に避けたいところです。保険会社の中には、環境汚染関連の損害賠償責任を補償する「環境汚染賠償責任保険」を販売しているところもあります。会社に生じた損失が保険金でカバーされるとなれば、株主も代表訴訟にまでは踏み切らないでしょう。環境汚染の当事者となるリスクの高い会社の役員は、株主代表訴訟を起こさせないためにも、こうした保険への加入は検討に値します。
M&Aにおいて高まる表明保証違反リスク
また、近年、日本企業による海外企業を含めたM&Aが非常に活発になっています。M&Aを重要な経営戦略に位置付ける企業は、M&Aに伴うリスクも十分意識する必要があります。
M&Aではしばしば“高すぎる買収価格”が(余計な支出をすることで会社に損失をもたらしたとして)問題となりますが、買収価格の決定は経営判断に相当程度委ねられています。実際、買収価格を巡り善管注意義務が問われたアパマンショップの株主代表訴訟では、完全子会社化の際の買収価格が第三者評価額の“約5倍”の金額であったにもかかわらず、最高裁は「経営判断の原則」に沿う形で、「買収側の代表取締役らの判断は著しく不合理なものということはできない」とし、代表取締役らの善管注意義務違反を認めませんでした(平成22年7月15 日判決)。
その一方で、近年、M&Aにおける買主側のリスクとして明確に認識されるようになったのが、売主の「表明保証」違反により発生する損害です。表明保証とは、M&A契約の前提となった事項が真実かつ正確であることを売主が買主に表明し、その表明内容を保証することであり、例えば「財務内容が貸借対照表のとおりであり、簿外債務等が存在しない」といったものがあります。通常、M&A契約書にはこの「表明保証」に関する条項が入っていますが、買主が網羅的、金額的な制限のない表明保証を売主に求めるのに対し、売主はできるだけ表明保証の範囲や金額を抑えようとします。この溝が埋まらないと、M&A交渉が暗礁に乗り上げることにもなりかねません。
なかなか同じような“出物”がないという場合、「どうしても買いたい」という気持ちが先走りがちです。買収前のデューデリジェンスで問題を見つけられればよいのですが、十分な表明保証を受けないまま、買収後に想定外の事実(例えば簿外債務)が発覚した場合には、買収側の会社は大きな損失を受けることになります。その結果、買収側の会社の役員は善管注意義務違反を問われ、株主代表訴訟を提起される恐れも否定できません。
デューデリジェンス : 投資対象の資産価値、簿外債務、収益力、法的リスクなどを調査すること。
近年は、売主の表明保証違反によって買主が被った損害(例えば、買収対象会社の価値の毀損)を補償する「表明保証保険」を販売している保険会社もあります。売主の表明保証の程度を巡りM&A交渉が滞ることを防ぐとともに、売主の表明保証違反により買主が被った損失を巡り買主側の会社の役員に対して株主代表訴訟が提起されることを未然に防ぐためにも、表明保証保険の加入も一考に値します。
なお、表明保証保険は売主側が加入することもできます。
悩ましい会社訴訟への対応
このように、保険商品は年々進化しています。役員としては、会社ひいては自らのリスクを軽減する保険商品の動向は積極的にウォッチしていく必要があります。
その中で、加入すべきかどうか悩ましいのが、2012年頃から一部の保険会社が販売を開始した「会社が役員や元役員を提訴(以下、会社訴訟)」したことに伴う役員の損害賠償責任をカバー(刑法違反がある場合を除く)する保険です。この保険は、D&O保険の中のオプションとして販売されています(一方、会社訴訟をD&O保険の対象外としている保険会社も少なくありません)。
会社法では、「役員等の株式会社に対する損害賠償責任」として「取締役、会計参与、監査役、執行役又は会計監査人(以下この節において「役員等」という。)は、その任務を怠ったときは、株式会社に対し、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と規定しており(会社法423条)、会社訴訟はこの規定を根拠しています。
実際に近年は、企業不祥事が発生した際に会社が設置した外部の有識者から構成される「第三者委員会」の指摘を受ける形で、会社が役員や元役員を提訴するケースが発生しています。会社訴訟をカバーするD&O保険の登場にはこうした背景がありますが、一方で、会社訴訟をカバーする保険はあくまで「D&O保険」の一部であり、上述のとおりD&O保険の保険金額は役員全体で1~10億円の幅の中で加入しているケースが多いため、会社訴訟による損害賠償金をD&O保険でまかなった場合、別途提起された株主代表訴訟による損害賠償金に対する保険金の枠が残っていないという事態にもなりかねません。会社訴訟をカバーするD&O保険に加入する際には、この点も念頭に置く必要があります。
このほか、社外取締役によるモニタリング機能が重視される中、今後は社外取締役が社内取締役を訴えるというケースも出て来るかも知れません。通常、D&O保険では「他の被保険者からなされた損害賠償請求(役員同士の内輪もめ)」は免責とされていますが、一部の保険会社では、被保険者である役員・元役員が、同じく被保険者である他の役員・元役員から善管注意義務等を怠ったとして損害賠償請求を受けるケースも補償の対象としています。日本の企業文化の中でこうした事例がどれほど出てくるかは未知数ですが、今後実例が増えて来るようであれば、このような補償のあるD&O保険加入を検討する余地もあるでしょう。
以上のように、役員は様々なリスクを負っていますが、実は役員にとっての有力なリスクマネジメント・ツールとなり得るのがコーポレートガバナンス・コードです。コーポレートガバナンス・コードを“コンプライ”することで、役員に求められる善管注意義務等を果たしたことになるケースも多いと考えられます。その意味でも、(コンプライしない合理的な理由がある場合は別として)できる限り各原則・補充原則をコンプライするよう、役員は努力すべきでしょう。また、役員の善管注意義務違反が“無知”から起こることも少なくありません。こうした事態を避けるためにも、役員は自ら継続的なトレーニング(原則4-14)を心掛けるべきだと言えます。