2026/02/25 AI活用時代の「人材戦略」開示への意見相次ぐ 2026年3月期から人的資本開示が大幅拡充

2026年の春季労使交渉(春闘)が本格化している。物価上昇が続く中、実質購買力を維持・向上させるには、賃金上昇率がインフレ率を上回ることが不可欠となる。こうした状況を踏まえ、政府は経済団体に対して賃上げを促す、いわゆる“官製春闘”を推進している。2025年12月10日付の特集でお伝えした「従業員の平均給与の対前年比増減率」の開示義務化など人的資本開示の見直しもその一環と言える。

人的資本開示の見直しを含む開示府令の改正は、昨年12月時点では「案」(公開草案)の段階にあったが、2月20日に確定版が公表された。2026年3月期に係る有価証券報告書(有報)から適用が開始されるため、企業に残された準備期間は極めて短い。本稿では、人的資本開示について、パブリックコメントを経て公開草案から修正された箇所を中心に、改正内容のポイントを整理する。・・・

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2026/02/25 AI活用時代の「人材戦略」開示への意見相次ぐ 2026年3月期から人的資本開示が大幅拡充(会員限定)

2026年の春季労使交渉(春闘)が本格化している。物価上昇が続く中、実質購買力を維持・向上させるには、賃金上昇率がインフレ率を上回ることが不可欠となる。こうした状況を踏まえ、政府は経済団体に対して賃上げを促す、いわゆる“官製春闘”を推進している。2025年12月10日付の特集でお伝えした「従業員の平均給与の対前年比増減率」の開示義務化など人的資本開示の見直しもその一環と言える。

人的資本開示の見直しを含む開示府令の改正は、昨年12月時点では「案」(公開草案)の段階にあったが、2月20日に確定版が公表された。2026年3月期に係る有価証券報告書(有報)から適用が開始されるため、企業に残された準備期間は極めて短い。本稿では、人的資本開示について、パブリックコメントを経て公開草案から修正された箇所を中心に、改正内容のポイントを整理する。

今回の改正で、有報における「従業員の状況」の開示場所が、「第1【企業の概況】」から「第4【提出会社の状況】」に移動する。そのうえで、これまで開示が求められていた「当連結会計年度末現在の連結会社における従業員数(セグメント情報に関連付けて記載)、提出会社の従業員数、平均年齢、平均勤続年数および平均年間給与(賞与を含む)」に加え、新たに以下の事項についても開示が義務化されることとなった。

2026年3月期決算から追加される人的資本開示の項目
① 連結ベースの企業戦略と関連付けた人材戦略
② ①を踏まえた従業員給与等の決定方針(提出会社についての方針(※)に限定可)
③ 提出会社の従業員の平均給与の対前年比増減率
※ 提出会社が主として子会社の経営管理を行う会社である場合には、提出会社および最大人員会社(外国会社を除く連結子会社のうち、従業員数が最も多い会社(当該会社の従業員数が連結会社の従業員数の過半数を超えない場合には、次に従業員数の多い会社も含む))についての方針。
 なお、提出会社が主として子会社の経営管理を行う会社である場合には、最大人員会社についての従業員給与の平均額、その前年比増減率等の記載も必要。

ここで留意すべきは、有報の提出会社が「主として子会社の経営管理を行う会社(ホールディングス等)」であるか否かによって、開示範囲が異なるということだ。開示項目の差異は下表のとおり(なお、下表における「給与」は、いずれも賞与を含む)。

ホールディングス等と非ホールディングスにおける開示項目
有報の提出会社が主として
子会社の経営管理を行う会社
左以外の会社
① 連結ベースの企業戦略と関連付けた人材戦略
② ①を踏まえた従業員の給与その他の給付の額および内容の決定に関する方針(提出会社および最大人員会社についての方針に限定可)
③ 提出会社の従業員の平均年間給与の対前年比増減率
④ 最大人員会社の従業員数、平均年齢、平均勤続年数および平均年間給与およびその前年比増減率
① 連結ベースの企業戦略と関連付けた人材戦略
② ①を踏まえた従業員の給与その他の給付の額および内容の決定に関する方針(提出会社についての方針に限定可)
③ 提出会社の従業員の平均年間給与の対前年比増減率


最大人員会社 : 外国会社を除く連結子会社のうち、従業員数が最も多い会社(当該会社の従業員数が連結会社の従業員数の過半数を超えない場合には、次に従業員数の多い会社も含む)を指す。外国の連結子会社を除くのは、国内と外国との物価の違い等を踏まえると、外国会社の併記委年間給与が必ずしも投資判断にとっ て有益な情報開示とはならない場合もあると考えられたため。

公開草案と確定版の大きな違いは、上表の「②給与決定方針」の範囲である。公開草案では提出会社がホールディングス等かどうかにかかわらず「提出会社に係るものに限定可」とされていたが、確定版では、主として子会社の経営管理を行う会社であれば、最低でも「提出会社および最大人員会社」についての方針開示が必要となった。これは、実態として子会社に従業員が集中しているホールディングス体制において、提出会社(ホールディングス)のみの方針開示では投資判断の情報として不十分であるという指摘(コメント144等)を受けたもの。

また、上表中の赤字の「従業員」には、「連結会社の事業活動の特性上、臨時従業員が果たす役割が重要である場合」には臨時従業員も含むことが明記されている。飲食業のようにアルバイトなしでは現場が回らないような業態の事業を営んでいる企業では、臨時従業員も含めて給与等の決定方針を開示する必要がある。現場の労働力に支えられている企業においては、実質的な賃上げがどの層に行き渡っているかを示す重要な指標となるだろう。

金融庁は改正開示府令の確定版とともに、「パブリックコメントの概要とコメントに対する金融庁の考え方」も公表している。パブリックコメントでは通常、改正案の記述内容の解釈に関する疑問が中心となるが、今回は下表のとおり、公開草案には記述が一切なかった「生成AI」に関するコメントが多数寄せられた点、注目される。

AI活用の進展と人材戦略について
No. コメント 金融庁の考え方
107 本改正案における人的資本開示の拡充、すなわち企業戦略と関連付けた人材戦略や従業員給与等の決定方針の開示を求める方向性自体には賛同する。
一方で、生成AIを始めとするAIツールの業務利活用が、短い時間軸の中で急速に進化・普及している現状を踏まえると、人的資本開示の実務が、旧来型の狭義の人材育成(知識習得、資格取得、座学中心の研修等)の拡充に過度に傾くことにより、日本企業のスピード感ある変革と成長をかえって阻害する「意図せざる結果」を招きかねないのではないかと懸念している。
人的資本開示は、本来、企業の成長戦略と人材戦略を連動させ、その実行状況を投資家に対して分かりやすく説明するための枠組みであると理解しており、その趣旨が十分に活かされるよう、生成AIの急速な進展を前提とした「人とAIの共生」の視点を、開示実務において損なわないことが重要であると考える。また、人的資本の量や質のみならず、テクノロジーとの組合せ方自体が企業価値創造の中核となりつつあることを踏まえれば、この点をどのように説明し得る枠組みとするかは、今後の日本企業の競争力にとっても重要な論点と考える。
そこで、人的資本開示の運用に関して、特に次の2点について、貴庁としての整理・考え方を示していただきたい。
1. 人的資本戦略の中に、生成AI等の活用を通じた業務プロセスの見直しや、人とAIの役割分担の再設計といった取組を含めることがあり得るのか、またその場合にどのような考え方で開示を行うことが適当と考えるのか。
2. 生成AI等を活用しないこと自体が、将来の競争力や生産性を毀損し得るリスクとなり得るという観点を、人的資本開示やサステナビリティ情報開示の枠組みの中でどのように位置付け得るのか。
本改正に賛同いただき、ありがとうございます。
なお、今回の開示府令の改正により人的資本の開示の充実を図る趣旨は、人的資本が中長期的な企業価値の向上のために不可欠な要素であり、人的資本に関する情報の充実は投資者が企業の成長可能性を判断するために重要であると考えられることにあります。
企業が置かれた状況は、各企業の業態や規模等によっても異なることから、ご指摘の生成AIの活用と人的資本戦略との関係といった特定の分野の開示の適否について、当庁として何等かスタンスをお示しすることはありません。
各企業によって、中長期的に企業価値を向上させていくために必要と考えられる人材戦略等が立案され、その内容を開示いただくことが、投資判断に資する情報開示につながるものと考えられます。
108 今回の人的資本開示に関する府令改正案は、経営戦略と関連付けた人材戦略の開示や、給与決定方針の説明の充実などを通じて、投資家にとって重要な情報を見える化しようとするものと理解しており、その方向性自体は大変意義深いと考えている。一方で、2022年頃から急速に普及した生成AI等のデジタル技術が、企業の業務や競争力、人材に与える影響の大きさを踏まえると、現行の改正案だけでは、投資家が実務上とても気にしている論点が十分に可視化されないのではないかという懸念も抱いている。
そのため、本意見では、特に人的資本開示のうち「人材戦略に関する基本方針等」及び「給与等の決定方針」に関して、生成AI等のデジタル技術と人材戦略の関係を、ガイドラインや記載例のレベルで明示していただきたいという点に絞って要望させていただく。
【要望事項】
1. 開示府令第二号様式記載上の注意(58-2)「人材戦略に関する基本方針等」や、開示ガイドライン、将来の記載例、Q&A等において、生成AI等のデジタル技術と人材戦略(人材ポートフォリオ、リスキリング、配置転換等)の関係を、非網羅的な「記載の観点・例示」として明示していただきたいこと。
2. 同(58-2)b「給与(賞与を含む。)その他の給付の額及び内容の決定に関する方針」の説明においても、生成AI等の活用とスキル獲得・職務再設計・業務改善への貢献などとの関係を開示し得ること、またそれが投資家の理解に資することを、例示として示していただきたいこと。
3. 上記1及び2の観点が、人的資本開示が本格適用される2026年3月期から、記載例やQ&A等の運用を通じて、投資家が企業間で比較可能な形で把握できるよう配慮していただきたいこと。
109 本改正案に基づく人的資本開示は、企業の将来価値創出力を評価する上で重要な情報を提供する一方で、生成AIを前提とした経営環境の変化を十分に反映できていない可能性があると考える。
以上の問題意識を踏まえ、長期機関投資家として、以下の点について金融庁の見解を伺う。
第一に、内閣府の人工知能基本計画が前提とする、生成AIを活用した事業横断的かつ非連続的な価値創出モデルと、本改正案における人的資本開示の基本的な考え方との間に生じ得る構造的な不整合について、金融庁としてどのように認識しているのかを明らかにしていただきたい。
第二に、人的資本開示が、事業部門別又はカンパニー制を前提とした人材戦略を固定化し、生成AIを前提とした全社的な組織再編、人材再配置、業務再設計を阻害する可能性について、制度設計上どのような配慮がなされているのかについて見解を伺う。
第三に、生成AIの進化により短期間で代替又は価値毀損が生じ得るスキルや職能への人的投資が、人的資本開示を通じて過度に正当化又は助長されるリスクを、長期的な資本配分及び企業価値評価の観点からどのように評価しているのかについて考え方を示していただきたい。
第四に、全社AI部門や横断的なAI活用組織が、人材戦略、組織設計、ガバナンス、評価制度にどのように組み込まれているのかについて、長期投資家が適切に評価可能となるような開示の在り方を、今後検討する考えがあるのかについて伺う。
第五に、人的資本開示が、政府全体のAI戦略が目指す生成AIを前提とした横断的かつ持続的な成長モデルと整合的に機能するよう、今後どのような補完、見直し、指針の明確化を想定しているのかについて、金融庁の中長期的な考え方を示していただきたいと考えます。

今回、AI関連のコメントが多数寄せられた背景には、AIエージェントの進化が企業の成長性に与える影響に対し、投資家の関心がかつてないほど高まっているということがある。米国では「AIリストラ」(生成AIを業務に導入することで、業務が効率化され、不要になった従業員が解雇されること)が話題となる一方、解雇規制の厳しい日本においては、いかにAIを活用して人的資本の生産性を向上させ、付加価値を最大化するかが人材戦略の肝となる。


AIエージェント : 目的(ゴール)を与えられると、自律的に判断・計画・実行を行うAIシステムのこと。AIエージェントの活用により、従来、従業員が行っていた業務の一部をAIエージェントに遂行させることが可能になる。

企業戦略においてAI活用を掲げておきながら、人材戦略や給与方針の文脈でAIへの言及が皆無であれば、投資家から企業戦略の信憑性を疑われるリスクがある。今回義務付けられた人材戦略や給与方針の開示への対応は、テクノロジーと従業員がどう共生し、それが企業の持続的な成長(ひいては賃金上昇)にどう繋がるのかという「経営のストーリー」を語る機会となるだろう。

今回の人的資本開示の見直しは、人材戦略や給与方針を、平均給与増減率といった指標・目標と結び付けて説明することを求めている点にも特徴がある。これは、SSBJ基準の一般基準における「戦略」と「指標・目標」という基本的な枠組み(企業が描く戦略と、その達成状況を測る指標を対応させて開示するという考え方)と軌を一にしている。他方、SSBJ基準やISSB基準では人的資本に特化したテーマ別基準は現時点で設けられていない。それにもかかわらず、今回の改正による人的資本開示は、2026年3月期からすべての有報提出会社に適用されることになる。


SSBJ基準 : SSBJ(Sustainability Standards Board of Japan=サステナビリティ基準委員会)が策定するサステナビリティ開示基準。SSBJ基準は、企業に共通して求められる基本的な開示事項を定める「一般基準」と、気候関連など個別テーマごとの具体的な開示事項を定める「テーマ別基準」に分かれている。一般基準では、企業のサステナビリティ情報を「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標・目標」の4要素で開示する構造を採用しており、このうち「戦略」は企業の中長期的な方針や取組の方向性を示すもの、「指標・目標」はその進捗や成果を測る具体的な数値や達成水準を示すものである。
ISSB基準 : 「International Sustainability Standards Board Standards」の略称で、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が策定する、企業の気候・環境、社会、ガバナンスに関する情報開示の国際基準。投資家向けに財務的影響を重視した開示を目的とする。

この点については、下表のとおり、「国際的整合性の観点から先行することは妥当ではない」「時期尚早である」といった批判的なコメントが多く寄せられた。これに対し金融庁は、現行のSSBJ基準に人的資本に関する個別開示基準が存在しない現状においてこそ、国内開示制度として一定の枠組みを整備することが投資者保護に資するとの考え方を示している。

SSBJ基準との関係を踏まえた批判的なコメント
No. コメント 金融庁の考え方
121 欧米でも求められない項目を、有報の開示要求事項として定めてしまっては、諸外国に比しわが国の開示が突出することになり、国際的整合性の観点からも望ましくない。日本固有の課題に関連する情報の開示は、日本企業のみに追加的な実務負荷を強いることに繋がるにもかかわらず、公の場での議論もなく、開示の目的や有用性も不明瞭なまま、先行して制度化することはリスクが伴う。 人的資本は、企業が中長期的な価値を向上させていくために極めて重要な要素であり、投資者が中長期的な企業価値を評価するための情報としての人的資本開示の重要性は高いと考えています。
なお、「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2025年改訂版」等の閣議決定文書においても人的資本開示の充実について指摘されています。
こうした経緯も踏まえ、今般内閣府令を改正し、有報等の法定開示書類において人的資本開示の充実を図ることとしたものです。
123 人的資本に関する開示基準は、今後国際的な議論において策定が検討されているものであり、現時点で、わが国の法定開示において、先行して拡充すべきではないと考える。今後の国際的な人的資本開示を取巻く検討状況を注視しつつ、SSBJにおいてわが国のサステナビリティ開示基準として検討を行うべきであり、その際には従来から存在する人的資本に類する指標(例えば管理職に占める女性労働者の割合、男性労働者の育児休業取得率及び労働者の男女の賃金の差異など)等、類似や重複する開示事項は無くす方向で検討いただきたい。 現状のSSBJ基準の個別開示基準としては人的資本開示の基準が定められていないこと、SSBJ基準の適用対象企業であるか否かにかかわらず、その開示の充実を図ることが投資者保護に資すると考えられることを踏まえ、内閣府令において開示を求めることとしたものです。
125 SSBJ基準適用企業は有報における人的資本に関する情報開示は、「サステナビリティに関する考え方及び取組」のみで行い、「従業員の状況等」での記載は任意とすることを提案する。
また、人的資本について求められる開示内容は内閣府令に準拠するのではなく、SSBJ基準に準拠して作成されることが適切と考える。
開示府令第二号様式の「人材戦略に関する基本方針等」の項目と「サステナビリティに関する考え方及び取組」の項目に記載する事項に重複が生じる場合は、前者の項目において参照文言を付した上で、後者の項目にまとめて記載することも否定されるものではありませんので、その点を明確にするため、同様式記載上の注意(58-2)を修正しました(その逆については、同様式記載上の注意(30)cに規定あり。)。
なお、現状のSSBJ基準の個別開示基準としては人的資本開示の基準が定められていないこと、SSBJ基準の適用対象企業であるか否かにかかわらず、その記載の充実を図ることが投資者保護に資すると考えられることを踏まえ、内閣府令において開示を求めることとしたものです。
128 人材戦略に関する基本方針及び従業員の状況に関する開示について、サステナビリティの取組においてSSBJ基準を適用した会社が結果として同様の開示を行う場合、重複した開示が行われることになるため、当該記載事項の開示の省略を検討いただきたい。 開示府令第二号様式の「人材戦略に関する基本方針等」の項目と「サステナビリティに関する考え方及び取組」の項目に記載する事項に重複が生じる場合は、前者の項目において参照文言を付した上で、後者の項目にまとめて記載することも否定されるものではありません。その点を明確にするため、同様式記載上の注意(58-2)を修正しました(その逆については、同様式記載上の注意(30)cに規定あり)。

また、2026年1月21日のニュース「平均給与増減率の開示が企業に迫る対応」でお伝えしたとおり、給与総額と従業員数という単純な関係で算出される「平均給与」が独り歩きすることへの不満を述べるコメントも多数寄せられている。代表的なコメントは下表のとおり。

平均給与の対前事業年度増減率の開示義務付けに批判的なコメント
No. コメント 金融庁の考え方
175 「従業員の平均給与の対前事業年度増減率」を開示する提案に反対する。平均給与の増減は、ベースアップ等の処遇改善以外にも、業績連動賞与の増減といった業績による要因、事業移管、M&Aなどによる人員構成の変化、若手社員の積極採用(平均値の押し下げ)、定年退職者の増減など、構造的な要因に強く影響を受ける。単なる増減率の数値のみでは、企業の賃上げ努力や人材競争力が正当に評価されないばかりか、構造変化と処遇改善が混同され投資家に誤解を与えるリスクが高い。(後略) 従業員の平均年間給与の対前事業年度増減率は、給与等の額及び内容の決定方針がどのように平均年間給与に反映されているかを時系列で確認する上で有用な情報であると考えています。
なお、業績の影響等により、給与等の額及び内容の決定方針と実際の平均年間給与の推移とに差異が生じることも考えられますが、その場合には、必要に応じて、その旨を注記することも考えられます。
151 「平均給与の前年比増減」については、人員構成の変化による影響もあるため、原則は平均値としつつ、中央値をとることも容認されるとする考え方もあるが、その点のご見解をお伺いしたい。 同様式記載上の注意(58-3)bの従業員の平均年間給与の対前事業年度増減率については、当事業年度と前事業年度の平均年間給与の差額を前事業年度の平均年間給与で除する方法により算出する必要があります。その上で、投資情報として有益と考えられる場合には、年間給与の中央値とその対前事業年度増減率を注記することも否定されるものではありません。

このほか、実務対応に直結する技術的な論点についても、疑問・質問を含む多くのコメントが寄せられている。開示担当取締役としては、開示方針を部署に指示する前に、一読しておくことが有益であろう。

技術的論点についてのコメント
No. コメント 金融庁の考え方
126 人的資本に関して、「サステナビリティに関する考え方及び取組」や「人材戦略に関する方針」と記載箇所が複数あり、どちらに何を記載するのか棲み分けが難しい。具体的な記載例の掲示を要望する。 開示府令第二号様式の「人材戦略に関する基本方針等」の項目と「サステナビリティに関する考え方及び取組」の項目に記載する事項に重複が生じる場合は、参照文言を付した上で、いずれかの項目にまとめて記載することも否定されるものではありません。投資者の理解の向上の観点からより望ましいと考えられる項目に記載いただくことが可能です。
なお、記載例をお示しすることについては、各企業の実態に応じた人的資本開示の充実を図る観点から必ずしも適当でないと考えられます。
当庁においては、2025年12月にも人的資本の好事例集の公表を行っているところですが、引き続き、好事例集の収集・公表等を通じて、人的資本開示の浸透に努めてまいります。
[参考]
2025年12月25日『「記述情報の開示の好事例集2025(サステナビリティ情報の開示)」の公表』
『2.「人的資本、従業員の状況」の開示例』
136 「連結会社の人材戦略を連結会社の経営方針・経営戦略等に関連付けて、具体的に記載すること。」に関して、連結ベースでの開示の中身については各社方針に委ねられているのか、あるいは一定の基準が求められているのかが不明瞭であり、具体的な記載例の掲示を要望する。 人的資本は企業の中長期的な企業価値の向上にとって極めて重要な要素であると考えられるところ、各社において立案されていると考えられる、経営方針・経営戦略等と関連付けた人材戦略について開示することが求められます。経営方針・経営戦略等に関連付けた人材戦略は会社によって区々であり、また、各企業の実態に応じた人的資本開示の充実を図る観点からは、記載例をお示しすることは適当でないと考えられます。
なお、当庁においては、2025年12月にも人的資本の好事例集の公表を行っているところですが、引き続き、好事例集の収集・公表等を通じて、人的資本開示の浸透に努めてまいります。
137 新たに開示が求められる「従業員給与等の決定方針」については、投資者が企業の成長可能性を判断するために有用となる情報を提供することが目的であると認識しており、具体的な開示内容については、発行者において上記の目的に照らして適切に記載することが求められているという理解でよいか。
上記が正しい場合、自社の開示内容の参考とするため、記載内容の観点を例示いただきたい。
ご理解のとおりです。
なお、従業員給与の額及び内容の決定に関する方針は企業によって区々であり、「記載内容の観点」をお示しすることについては、各企業の実態に応じた人的資本開示の充実を図る観点から適当でないと考えます。
なお、当庁においては、2025年12月にも人的資本開示の好事例集の公表を行っているところですが、引き続き、好事例集の収集・公表等を通じて、人的資本開示の浸透に努めてまいります。
138 「人材戦略」の記載範囲が抽象的であり、戦略全般を対象とするのか、特定テーマに関する戦略を対象とするのかが不明確であるため、ガイドライン等において明確化いただきたい。もしくは、各企業の判断に委ねられるのであれば、その旨明示いただきたい。 人材戦略については、開示府令第二号様式の「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」の項目に記載した経営方針・経営戦略等と関連付けて記載する必要があります。
140 第二号様式の記載上の注意(58-2)aにおいて新たに記載が求められる「人材戦略」とは具体的にどのような内容か。例えば、人材を重視する理由、獲得目標となる人材の量・種類・獲得方法や、人材の育成方法、人材の定着のための施策などから提出会社が重要と考える事項を記載すればよいか。 一般的には、ご指摘のようなものが含まれると考えられますが、開示府令第二号様式の「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」の項目に記載した連結会社全体の経営方針・経営戦略等と関連付けて記載する必要があります。
なお、当庁においては、2025年12月に人的資本に関する好事例を公表しておりますので、ご参照ください。
141 第二号様式記載上の注意(58-2)bにおける給与の決定に関する方針とは具体的にどのような内容か。例えば、基本給・賞与といった給与の構成、ジョブ型か職務能力型かといった給与の考え方、給与水準のベンチマーク、給与の決定プロセスなどを必要に応じて記載すればよいか。 一般的には、ご理解のとおりです。
なお、「役員の報酬等」の項目の記載内容を参考にすることも考えられます。
142 第二号様式の記載上の注意の(58-2)bの「その他の給付の額及び内容」とは具体的にどのような内容か。例えば、特徴的な福利厚生制度、従業員持株制度、ストック・オプション制度、従業員向けの株式報酬制度なども含まれるか。 「給与その他の給付の額」と「給与その他の給付の内容」の「決定に関する方針」について記載することとなります。
給与に加え、福利厚生等の目的でストック・オプション等を付与する仕組があれば、その方針についても記載することが考えられますが、全ての「給与その他の給付」について網羅的に記載することまで求められるものではありません。
146 連結会社の範囲について、個々の連結子会社における人材戦略を全て開示する場合、開示が過度に煩雑となるおそれがあるため、グループ全体の人材戦略又は人材戦略上重要な連結会社に絞った開示等の対応を許容いただきたい。 人材戦略については、連結子会社ごとに記載することを求める趣旨ではありません。
開示府令第二号様式の「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」の項目に記載した連結会社全体としての経営方針・経営戦略等と関連付けて、連結会社全体としての人材戦略を記載することになります。
151 「給与等の決定方針」について、どの様な記載が求められるか明示いただきたい。例えば、春季労使交渉や給与委員会などでの議論や検討経緯、その結果等を記載することが考えられるのか、ご見解をお伺いしたい。 一般には、同様式記載上の注意(58-2)aの給与等の額及び内容の決定に関する方針について、企業の方針として対外的に説明可能な内容を記載すれば足り、社内外における検討の経緯やその結果を逐一記載する必要はないと考えられます。
164 (前略)「子会社の経営管理を行うことを主たる業務とする会社」とは、提出会社の総資産に占める子会社の株式の比重が50%を超える会社をいうのか。 「子会社の経営管理を行うことを主たる業務とする会社」という表現は、開示府令第二号様式記載上の注意(33)f、(58)gにおいて既に使用されており、実務上も機能しているものと理解しておりますが、提出会社の事業会社としての実態に即して実質的に判断することとなります。
なお、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第9条第4項第1号に規定する「持株会社」の要件を満たさない場合であっても、「子会社の経営管理を行うことを主たる業務とする会社」に該当する場合があるものと考えられます。

2026/02/24 【2026年1月の課題】「コンテクスト」をボードメンバーに根付かせる取り組みと取締役会事務局の役割(会員限定)

コーポレートガバナンスの在り方に影響を与える企業独自の「コンテクスト」とは?

コーポレートガバナンスを実効的なものとする観点からは、たとえ機関設計などが同じであっても、その運用は企業によって様々であって然るべきです。なぜなら、企業の成り立ちや成長過程、企業文化、事業特性、企業規模、経営環境、株主構成などの違いから、企業ごとにコーポレートガバナンスに対する独自の考え方があるからです。

例えば、コーポレートガバナンス優良企業として知られる花王、オムロン、エーザイの各社は、企業理念を基軸とした独自のガバナンスの在り方を明確にしており、その内容を統合報告書や定款などで示しています(下表参照)。

企業名 内容
花王 ・ 取締役会の目的は、企業理念「花王ウェイ」を実現するための長期的価値創造にあるとしている。
・ 取締役会議長(社外取締役)が、次期社長に求められる資質の一つとして「企業理念の体現」を挙げている(花王統合レポート2021 55ページ参照)。
オムロン ・ 企業理念「Our Mission」を定款に規定している。
・ 人事諮問委員会は、企業理念の実践状況も踏まえて取締役候補者を選定し、取締役会に答申している(第88期報告書B-39参照)。
エーザイ ・ 企業理念「hhc(ヒューマンヘルスケア)」を定款に規定している。
コーポレートガバナンス・プリンシプルに、取締役会が企業理念の実現を目的として経営の監督や重要事項の意思決定を行うことを明記している。
・ 取締役会の実効性評価において、コーポレートガバナンス・プリンシプルのレビューを実施している。

このように、企業理念をはじめとする企業独自の「コンテクスト」(文脈: 自社の企業理念や価値観、歴史的な経緯など、戦略策定や経営判断の背景となる固有の前提)は、各社のコーポレートガバナンスの基本方針やガイドライン(以下、CGガイドライン)の制定や、機関設計や委員会構成などコーポレートガバナンスの枠組みを設計する際にも重要な要素となります。

取締役就任時にはCGガイドライン策定の背景や経緯について十分な情報提供を

CGガイドラインには、企業理念や価値観などを踏まえた自社独自のガバナンスの基本的な考え方が随所に反映されます。

CGガイドラインは取締役会で審議のうえ決定されますが、取締役会のメンバーは毎年の株主総会でその一部が入れ替わりますので、年数が経過すると、CGガイドライン策定に至るまでの背景や議論の経緯を知らない取締役が多くを占めることになります。

したがって、新任取締役(特に社外取締役)に対しては、就任時に、CGガイドラインの内容だけでなく、その策定の背景や経緯についても十分に情報提供する必要があります。これらの情報提供が十分でない場合、新任取締役が自社のガバナンスの成り立ちや基本的な考え方を知らないまま見当違いの発言をしたり、新任取締役と既存の取締役との議論が噛み合わなかったりという事態が生じることにもなりかねません。

また、CGガイドラインの各条項が設けられた背景や意図を知らない取締役が安易に改正を行えば、過去から積み上げてきた自社のガバナンスへの取組みとの整合性を欠くことになり、その方向性を誤ってしまうおそれがあります。

コンテクストを理解しない社外取締役が招く問題

社外取締役には、自社内部では得られない経験や知見を生かし、経営を監督、助言する役割があります。ただし、この役割は、自社のコンテクストや社内事情を十分に理解してはじめて有効に発揮することができます。そのうえで、社外取締役は自社独自の価値創造の仕組みを阻害しないように、また、表面的・形式的なガバナンス議論に終始しないように留意しながら、取締役会での議論に臨む必要があります。

例えば、取締役会における過去の議論を顧みることなく、自らの経験や価値観のみを基準として取締役会の意思決定や経営判断を評価し、異を唱えたり批判したりすれば、既存の経営戦略との整合性が揺らぎかねません。また、他社事例との比較のみに基づき、経営やガバナンスの在り方・運用を問い正すような指摘も、建設的な議論を妨げることになります。

コーポレートガバナンスを機能させるためには、社外取締役と経営陣の相互信頼関係が不可欠です。コンテクストを理解しないがために、上記のような行動が繰り返されると、「外部者の視点からの指摘はありがたいが、当社の内実を理解していないのは困る」「当社の企業理念や文化を軽視している」などと受け取られ、経営陣からの信頼を失ってしまいます。

そうなれば、経営陣や取締役会事務局が委縮して当該社外取締役への情報提供に消極的になり、社外取締役としての貢献ができなくなります。結果として、取締役会のモニタリング機能も弱まってしまいます。

コンテクストの理解を促進するアクション

以上を踏まえ、社外取締役を含むボードメンバーによる自社のコンテクストの理解を促すための具体的なアクションを整理します。

アクション 具体例
CGガイドラインの策定経緯の文書化と取締役会での活用 ・ CGガイドラインの各規定について、策定に至った背景や理由を整理し、取締役が共有できる形で文書化する。
・ その内容を取締役会での議論や意思決定の場で継続的に参照・活用する。
新任取締役向けの説明の充実 ・ 就任時に、CGガイドラインの策定経緯や当時の問題意識、そこに込めた自社の価値観について説明する。
・ 過去の不祥事対応の経緯と教訓を共有する。
継続的な対話・学習機会の確保 ・ 取締役会によるリスク管理や監督のあり方、指名・報酬委員会や監査役(監査委員会)の役割が、自社の企業理念や価値観などとどのように結びついているのかを議論する機会を定期的に設ける。
・ 歴代社長等との意見交換を通じて、経営判断の背景や企業文化への理解を深める。

上記アクションを実行する際には、以下の点に留意する必要があります。

① コンテクストの抽出は、取締役会事務局が自ら行う場合と、取締役へのヒアリングを通じて行う場合がある。いずれの場合も、漏れのないよう丁寧に進める必要がある。
② コンテクストを言語化する際は、過度に詳細にならないよう留意する。情報量が過多になると、かえって本質が分かりにくくなるおそれがある。
③ コンテクストの言語化・明文化により解釈の余地が狭まり、取締役や経営陣の裁量が制約されることがあるため、どの程度まで言語化・明文化するかについて、取締役会事務局と取締役等の間であらかじめ認識を共有しておく。
④ CGガイドラインは一旦策定されるとその後見直す機会が少なくなりがちなため、年1回は取締役会の議題として取り上げ、変更の要否を検討する。
⑤ CGガイドラインの各規定について、取締役会の実効性評価の中で、遵守状況や実践状況を確認する。
⑥ CGガイドライン策定経緯をまとめた文書や新任取締役向けの説明には、成功事例だけでなく、失敗や経営判断における葛藤から得られた教訓も盛り込む。
⑦ 社外取締役間でコンテクストに対する理解に差が生じないよう、取締役会議案の事前説明を行うなど、社外取締役に対するフォローアップの仕組みを設ける。

「実務部隊」としての取締役会事務局の在り方

これらの取組みの企画・実行において中心的な役割を担うのが、取締役会事務局です。具体的には、取締役会事務局には以下の機能が期待されます。

・ 取締役会運営やガバナンス体制が現在の形に至った背景や経緯を整理し、取締役に説明する
・ 自社のコンテクストについて取締役間で共通理解を形成するための議論の場を設け、運営する
・ 社外取締役と経営陣の間でコンテクストについて認識のずれが生じないよう、情報共有や意見交換の機会を調整
・ 自社のコンテクストをベースにしつつ、法制度や他社動向の変化に応じてガバナンス体制や運営の見直しを企画・実行

取締役会事務局が上記の役割を果たすためには、取締役会事務局の責任者に強い権限を有する者(業務執行取締役、上級執行役員など)を配置する必要があります。また、事務局のメンバーについても、専門人材育成の観点からキャリアパスを設計し、企業戦略や法制度への理解力、社内外の関係者とのコミュニケーション力、プロジェクトマネジメント力に長けた人材を創出しなければなりません。

取締役会が自社のコンテクストを踏まえて実効的に機能するかどうかは、取締役会事務局の力量に大きく依存します。その機能の強化は、今後ますます重要になるでしょう。

2026/02/20 【失敗学第140回】マネジメントソリューションズの事例(会員限定)

概要

コンサルティング事業を営むマネジメントソリューションズ(東証プライムに上場)の経営幹部職員等が委託先よりキックバックを受領していた(合計で4,300万円超)。

経緯

マネジメントソリューションズが2026年2月16日に公表した「当社元経営幹部職員による不適切な行為に関する調査結果および特別損失の計上に関するお知らせ」によると、一連の経緯は次のとおり。

2015年4月頃から2025年9月頃まで
マネジメントソリューションズ経営幹部職員Aが取引先から4,000万円ほどのキックバックを受けていた(期間:2019年9月より2025年9月頃まで)。また、同社の子会社の経営幹部職員Bも取引先から少なくとも300万円超のキックバックを受けていた(期間:2015年4月頃から2022年11月まで)。

2025年
3月:マネジメントソリューションズはBの自宅住所を本店所在地とした法人登記がなされ、当該法人とマネジメントソリューションズの外部委託先との間で取引が行われていることをうかがわせる状況を把握する。
12月22日:マネジメントソリューションズの取締役会は、本件に関する徹底した調査を実施するため、外部の専門家(弁護士および公認会計士)を含む特別調査委員会を設置することを決議した。

2026年
2月16日:マネジメントソリューションズが「当社元経営幹部職員による不適切な行為に関する調査結果および特別損失の計上に関するお知らせ」を公表した。

内容・原因・再発防止策

マネジメントソリューションズが2026年2月16日に公表した「当社元経営幹部職員による不適切な行為に関する調査結果および特別損失の計上に関するお知らせ」によると、本件不正の内容、原因および再発防止策は次のとおりとされている。

経営幹部による取引先からのキックバック
内容 コンサルティング事業を営むマネジメントソリューションズ(東証プライムに上場)の経営幹部職員および同社の子会社の経営幹部職員が委託先よりキックバックを受領していた(受領額は2人の合計で4,300万円超)。
原因 (1)個別要因
動機

金銭に関する悩み
機会
外部の委託先選定プロセスでの裁量が大きい
正当化
当社の利益を毀損しておらず、外部委託先と当事者にとって「Win-Win」

(2)組織要因
①企業風土・・・売上成長重視によるコンプライアンス意識の希薄化等
②権限の集中・・・外部委託の権限が一部に集中
③内部統制・・・外部委託先管理の未整備及び継続的モニタリング機能の未整備

再発防止策 ①意識改革・・・特別調査委員会の全社員向け説明会、トップによる継続的なメッセージ発信
②委託先選定プロセスの見直し・・・透明化、適正化、権限分散による選定プロセスの見直し
③内部統制強化・・・委託先管理の高度化、全社リスク管理の徹底、通報窓口の活用、研修

なお、当該元経営幹部職員については、1名は既に退職済みであり、もう1名については、就業規則に基づき経営幹部職を解任済み。

<この事例から学ぶべきこと>

取引先への支払額にキックバック相当額が上乗せされていた場合、その金額は実質的に「架空経費」と評価され、法人税法上の損金算入も否認される可能性がありました。

もっとも、マネジメントソリューションズの特別調査委員会報告書では、次のように述べられています。
「取引価格の適正性について精査した結果、特定の委託先を使用した案件とその他の委託先を使用した案件との間で粗利率に差異は認められず、発注金額の水増し等の事実は確認されなかった。したがって、本件取引自体による当社の直接的な金銭的損害は発生しておらず、単体および連結財務諸表への影響はない。」

この結論は、仮にキックバックの原資を確保するために発注金額が水増しされていたのであれば、当該委託先を利用した案件の粗利率のみが低下するはずである、という前提に基づいています。確かに、キックバックの原資が「水増し請求」ではなく、「取引先が自社の利益(マージン)を削って支払ったもの」であれば、少なくともマネジメントソリューションズの会計帳簿上、追加的な支出は発生していないという整理は可能です。

しかし、この整理にはいくつかの留意点があります。

第一に、取引先が自社の利益を削ってキックバックを支払った場合、その分だけ取引先の収益性は低下します。その結果、提供されるサービスの品質や人的投入量が将来的に低下する可能性は否定できません。

第二に、「粗利率に差異がない」という事実のみから、価格の適正性が完全に担保されているとは直ちには言えません。例えば、その他の委託先を利用した案件の価格設定自体が、当該特定委託先の価格水準を参照して決定されていた場合、全体として相対的に高い価格水準が維持されていた可能性もあります。もっとも、詳細な分析手法や比較データは開示されていないため、外部からその妥当性を検証することは困難です。

さらに、「会計上の損害がない」と整理できたとしても、「より低廉な価格で発注できた可能性」という意味での機会損失は理論上生じ得ます。ただし、このような期待利益の逸失は、損害賠償請求の場面では問題となり得るものの、直ちに過年度決算を訂正すべき会計上の損失とは評価されないのが通常です。そのため、適時開示において「直接的な金銭的損害はない」との表現が用いられたものと理解できます。

なお、「会計的な損害がない」ということは、「従業員の行為が許容される」という意味ではありません。キックバックの受領は、企業の内部統制や倫理規範に反する重大な行為であり、再発防止の観点からも厳正な対応が求められます。「利益さえ確保できれば不正は問題にならない」との誤ったメッセージが組織内に広がれば、従業員の士気低下やさらなる不正行為を誘発しかねません。

マネジメントソリューションズは2025年12月期決算において、本件の事実関係を究明するための特別調査委員会の費用(特別調査費用等引当金繰入額)88,784千円を特別損失として計上しています。判明しているキックバック総額(約4,300万円超)を大きく上回る調査費用が発生したことになります。不正調査は企業の信頼回復のために不可欠である一方で、そのコストと効果のバランスをいかに図るかは、今後のガバナンス上の課題であるといえるでしょう。

2026/02/19 MBO等における事業計画の予測期間

フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男

周知のとおり、東証はMBO等を行う上場会社に対し、MBO等が「⼀般株主にとって公正であることに関する意⾒」を特別委員会から⼊⼿するとともに、当該意⾒を開示することを義務付けている(2025年8月6日のニュース「東証のMBO開示見直しにより特別委員会が担う重責」参照)。特別委員会は意見を述べるにあたり、「取引条件の公正性」を検討することが求められるが、重要な検討事項の一つが「事業計画の予測期間」だ。というのも、事業価値算定に広く用いられるDCF法では、予測期間の設定が最終的な事業価値に決定的な影響を与えるからである。


特別委員会 : 企業買収の公正性の確保を目的として設置される独立した合議体。企業価値の向上と一般株主の利益保護のため、企業買収の是非や取引条件の妥当性、公正性を検討・判断する。
予測期間 : DCF法において将来キャッシュフローを個別具体的に見積もる期間をいい、通常は事業計画に基づき5年から10年程度設定される。
DCF法 : 企業が将来生み出すと予想されるキャッシュフローを「現在の価値」に換算して企業価値を計算する方法。将来のキャッシュフローを現在の価値に換算するために使われるのが割引率であり、割引率にはWACC(加重平均資本コスト)が用いられるのが一般的である。

事業計画の予測期間とは・・・

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2026/02/19 MBO等における事業計画の予測期間(会員限定)

フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男

周知のとおり、東証はMBO等を行う上場会社に対し、MBO等が「⼀般株主にとって公正であることに関する意⾒」を特別委員会から⼊⼿するとともに、当該意⾒を開示することを義務付けている(2025年8月6日のニュース「東証のMBO開示見直しにより特別委員会が担う重責」参照)。特別委員会は意見を述べるにあたり、「取引条件の公正性」を検討することが求められるが、重要な検討事項の一つが「事業計画の予測期間」だ。というのも、事業価値算定に広く用いられるDCF法では、予測期間の設定が最終的な事業価値に決定的な影響を与えるからである。


特別委員会 : 企業買収の公正性の確保を目的として設置される独立した合議体。企業価値の向上と一般株主の利益保護のため、企業買収の是非や取引条件の妥当性、公正性を検討・判断する。
予測期間 : DCF法において将来キャッシュフローを個別具体的に見積もる期間をいい、通常は事業計画に基づき5年から10年程度設定される。
DCF法 : 企業が将来生み出すと予想されるキャッシュフローを「現在の価値」に換算して企業価値を計算する方法。将来のキャッシュフローを現在の価値に換算するために使われるのが割引率であり、割引率にはWACC(加重平均資本コスト)が用いられるのが一般的である。

事業計画の予測期間とは「業績が安定した状態になるまでの期間」であり、「安定」とは「売上やキャッシュフローの成長率が一定の水準に落ち着き、投資によって得られる収益率も大きく変動しない状態」をいうとされる。事業によっても異なるが、一般論としては、既に安定成長期に入っている事業では予測期間を短めに設定し、成長率が高い伸び盛りの事業では、より長い期間を設定することになる。

したがって、特別委員会としては、取締役会が作成した事業計画の予測期間が「業績が安定した状態になるまでの期間」となっていない場合には修正を求める必要がある。例えば、評価時点から2年間程度のリストラを予定しており、3年目から徐々に業績が回復し、6年目に安定成長期に入ると予測されている場合に、予測期間を3年に設定してDCF評価を行うと、回復局面以降のキャッシュフローを十分に織り込めず、結果として過小評価となる。一方、たまたま大口の契約を受注したため、評価時点から3年間は二桁成長が見込まれるものの、その後は売上高や利益率が従来の水準に戻ると予想される場合、高成長が継続する前提でDCF評価を行えば、過大評価となる。

そこで特別委員会は、第三者評価機関が用いた事業計画の予測期間が妥当であるかどうかを慎重に検証しなければならない。特別委員会が予測期間の検証を怠れば、特別委員会による「取引条件の公正性」を確保するための手続き全体に疑いの目を向けられることになりかねない。

MBOのように経営陣が買い手となる取引では、事業価値が過小に算定されれば、買収価格も低く抑えられる。その結果、経営陣は安い価格で会社を取得できる一方、少数株主は本来の価値よりも低い価格で株式を売却させられることになる。そうなれば、MBO公表後にアクティビストが価格の引き上げを求めるキャンペーン(いわゆるバンプトラージ。2026年1月28日のニュース『「バンプトラージ」が急増する背景』参照)を展開する可能性がある。さらに、MBO成立後には、株主が裁判所に対して買収価格の見直しを求める株式の価格決定手続を申し立てる事態に発展するおそれもあるので留意したい。

2026/02/18 東証「一覧表」のフォーマット改訂後のサマリー開示の先行事例

2025年10月8日のニュース『東証がフォーマットを再改訂、重みを増す「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の開示企業一覧表』でお伝えしたとおり、東証は「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の開示企業一覧表のフォーマットを改訂し、2026年1月15日に公表された一覧表(2025年12月末時点の開示状況を反映)から運用を開始している。東証は、CG報告書の開示内容を以下のとおり見直すことを求めている(東証の資料はこちら)。

(1)冒頭に取組みの概要主な目標設定など、開示内容のサマリーを記載する
(2)他資料のリンク(URL)の掲載だけでなく、当該資料のサマリーを記載する

そこで当フォーラムでは、2月13日に更新された一覧表(2026年1月末時点の開示状況を反映)について、上記(1)(2)の要請(サマリーを記載すること)への対応状況を調査した。その結果、・・・

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2026/02/18 東証「一覧表」のフォーマット改訂後のサマリー開示の先行事例(会員限定)

2025年10月8日のニュース『東証がフォーマットを再改訂、重みを増す「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の開示企業一覧表』でお伝えしたとおり、東証は「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」の開示企業一覧表のフォーマットを改訂し、2026年1月15日に公表された一覧表(2025年12月末時点の開示状況を反映)から運用を開始している。東証は、CG報告書の開示内容を以下のとおり見直すことを求めている(東証の資料はこちら)。

(1)冒頭に取組みの概要主な目標設定など、開示内容のサマリーを記載する
(2)他資料のリンク(URL)の掲載だけでなく、当該資料のサマリーを記載する

そこで当フォーラムでは、2月13日に更新された一覧表(2026年1月末時点の開示状況を反映)について、上記(1)(2)の要請(サマリーを記載すること)への対応状況を調査した。その結果、「サマリー」という文言を用いた記載を行っている事例は4社(森永製菓、住友倉庫、カナデン、稲畑産業)のみだった。このうち、「主な目標設定」「取組みの概要」を明確に記載しているのが、森永製菓と住友倉庫だ。

〇森永製菓
開示内容のサマリーは以下のとおりです。
【主な目標設定】
2026年度目標としてROE12%以上、ROIC 10%以上を設定し、企業価値向上(PBR改善)に向けて以下の取組みを遂行します。


ROE : ROE( Return On Equity = 株主資本利益率)とは株主資本に対する当期純利益の割合であり、「当期純利益 ÷ 株主資本」により算出される。
PBR : Price Book-value Ratio = 株価純資産倍率(株価÷1株当たり株主資本)。株価が1株当たり純資産(BPS:Book value Per Share)の何倍まで買われているか(=1株当たり純資産の何倍の値段が付いているか)を指す。PBRが1.0を大幅に下回る場合、投資家が企業の将来性に疑問を持っていたり、減損リスクのように潜在的な資産の含み損が多額にのぼる可能性が株価に織り込まれていたりすることを示唆する。

【取組みの概要】
ROICマネジメントによる最適な事業ポートフォリオ形成を通じて、成長性と資本収益性の好循環の創出を目指します。なお、2024中期経営計画において、事業別ROICの実績ならびに目標値を開示しております。また、政策保有株式の縮減(2026年度末までに2024年度末比で半減)、サステナブル経営の徹底を通じた長期事業リスクの低減、有利子負債の活用等によるWACC(6~7%と推計)の低減を図ります。株主還元については、2024中期経営計画期間における3年間の総還元額360億円以上を目標とし、資本政策の指標であるDOEの引き上げ(2026年度目標4.3%)を目指します。


WACC : 「Weighted Average Cost of Capital=加重平均資本コスト」の略であり、要するに「資本コスト」である。WACCは文字通り負債コスト(金利)と株主資本コスト(配当+キャピタルゲイン)を加重平均して算定される。
DOE : 「DOE(Dividend On Equity ratio = 株主資本(純資産)配当率」は、株主資本(株主からの出資金に、これまでの事業活動によって稼ぎ出した利益を加えたもの。貸借対照表の「資本の部」の合計)に対して会社がどの程度の配当を行っているかを示す指標であり、「配当総額/期末時点の資本の部の合計」により算出される。

〇住友倉庫
上記リンク先に掲載している資料のサマリーは以下のとおりでございます。
【主な目標設定】
(目標)
・ROEは7%を目標とする(第五次中期経営計画期間中)
・配当は1株当たり年額100円をミニマムとし、自己資本配当率(DOE)3.5~4.0%を目安として実施する
・政策保有株式は、従来の縮減目標(2028年3月までに約100億円縮減)を2年前倒しし、2026年3月までにこれを完了する
【取組みの概要】
(取組み)
・積極的な事業投資による利益創出力の向上
・配当及び機動的な自己株式取得による適切な資本構成の維持
・個別ミーティング等を通じた株主及び投資家の皆様との対話の推進や、統合報告書、当社コーポレートサイト等における情報開示の強化

「主な目標設定」では、両社とも自社ウェブサイトに掲載されているIR資料や有価証券報告書への参照URLを明示しつつ、「主な目標設定」としてROEなど具体的な目標値を示している。

「取組みの概要」では、森永製菓が、ROICマネジメントによる事業ポートフォリオの最適化に加え、政策保有株式の縮減やWACC低減、DOE引き上げなどを通じた資本効率の向上を掲げているのに対し、住友倉庫は、積極的な事業投資と株主・投資家との対話強化を重視している。企業価値向上に向けた両社のアプローチは異なるが、それぞれの事業環境や経営課題を踏まえた内容と言える。

政策保有株式については、森永製菓が「取組み」の中で「2024年度末比で半減」とする方針を示しているのに対し、住友倉庫は「目標」の中で「約100億円縮減」と具体的な金額を明示している。両社とも縮減方針は明確にしているものの、開示上の位置付けや目標の示し方には違いが見られる。

また、TOPIX100採用銘柄の対応状況(2026年1月末時点)を確認したところ、中期経営計画資料や有価証券報告書等への参照リンクまたは資料名のみを記載している企業が6社、一覧表の【資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応】欄が空欄となっている企業が9社、一覧表に企業名自体がされていない企業2社あり、2社ともCG報告書においても【資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応】の記載は確認できなかった。

このうち一覧表の【資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応】欄が空欄となっている企業の中には、CG報告書の別の箇所で同内容の開示を行っている事例も見られる。しかし、一覧表に反映されていない以上、読み手からは「未開示」と受け止められるおそれがある。上場企業としては、3月、6月等に開催される株主総会後にCG報告書を更新する際、【資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応】の内容を整理したサマリーを作成し、同欄に明示的に記載することが望まれるところだ。

2026/02/17 一通のメールで利益が半減――子会社が陥る“ニセ社長詐欺”の罠

2025年末以降、日本企業を標的とした新たなビジネスメール詐欺(BEC)が猛威を振るっている。実在の経営者を装ったメールで「緊急のLINEグループ」に誘導した上で送金を指示する巧妙な手口で、“ニセ社長詐欺”とも呼ばれている。2月になっても詐欺メールはやまず、2026年2月13日には警察庁も「法人を対象とした詐欺(ニセ社長詐欺)に注意!」と題するWEBページを公開し、啓蒙に乗り出した。


BEC : Business Email Compromise の略称

ネットニュースや各社のセキュリティ部門による注意喚起により、その存在自体は認知されつつある。しかし、組織の「隙」を突く攻撃の手は緩んでいない。直近では、・・・

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