2026/01/23 【失敗学第139回】サンウェルズの事例(会員限定)

概要

パーキンソン病専門老人ホームを営むサンウェルズ(東証プライムに上場)の社長が、会社の費用で、友人との会食、旅行、家族の送迎および花火大会など、私的目的で運転代行会社のサービスを利用したり、私的な交際費を会社経費として不正に精算したりしていた(不正な利用額・精算額は約16百万円)。

経緯

サンウェルズが2025年12月1日に公表した「調査報告書」等によると、一連の経緯は次のとおり。

2021年
サンウェルズは東証グロース市場への上場を目指す過程で、主幹事証券会社から、交際費に関するルールの厳格化の指導を受け、交際費使用先に対する属性確認を行うとともに社長交際費のコーポレートカードの使用禁止など改善策を実施するようになった。

2022年
6月:サンウェルズは東京証券取引所グロース市場に株式を上場した。

2024年
7月:サンウェルズは東京証券取引所プライム市場へ市場区分変更を行った。プライム市場への区分変更を再申請する際、取引所から役員の交際費の使用に関し、短期間での会食の複数開催の必要性・合理性や、社長個人の人脈形成目的の会食の当社に対する効果等に関する質問を受けた。
9月:サンウェルズで、訪問看護における診療報酬の不正請求が発覚した。

2025年
6月19日:サンウェルズは東京証券取引所スタンダード市場への市場区分変更申請に向けた準備を開始する旨を公表した。
9月:サンウェルズで、苗代社長が会社の費用で、友人との会食、旅行、家族の送迎および花火大会など、私的目的で運転代行会社のサービスを利用している疑いが発覚した。
9月下旬:サンウェルズの監査等委員会は、同社監査法人と協議の上、独立した立場の外部弁護士を起用して本件疑いについて調査を行うこととした。
12月1日:サンウェルズは「運転代行サービスの利用経費等に関する調査の実施及び外部弁護士からの調査報告書の受領並びに再発防止策の策定及び関係者の処分に関するお知らせ」をリリースした。

2026年
1月12日:サンウェルズは2025年12月1日に公表した調査報告書の内容を踏まえ、同社がグロース市場の上場審査時に外部機関に提出した審査用資料等において、役員の社有車の利用状況等に関する説明が事実と異なっていたのではないかとの指摘を受け、同社監査等委員会は、同社から独立した立場を有する弁護士に対し、本件の事実関係等の調査、原因分析及び再発防止策の検討を委嘱した(本件に関するリリースはこちら)。

内容・原因・再発防止策

サンウェルズが2025年12月1日に公表した「調査報告書」によると、本件不正の内容、原因および再発防止策は次のとおりとされている。

私的運転代行費や私的交際費の不正精算
内容 サンウェルズの苗代社長は、会社の費用で、友人との会食、旅行、家族の送迎および花火大会など、私的目的で運転代行会社のサービスを利用していた。また、業務上の関連性がない飲食費の領収書を会社に精算させていた。
原因 <動機>
(運転代行サービスについて)
サンウェルズの社長は、そもそも業務外の理由で利用した運転代行サービスを会社の経費にすることは許されないという意識を全く有していなかった。
(私的交際費について)
サンウェルズの社長は、主に「経営に関する意見交換、情報収集、人脈形成」を目的として、全国の取引先社長、ドクターを対象に会合を行い築き上げた経営者ネットワークを通じてビジネスを拡大させてきたため、交際費の支出自体が多額であった。

<機会>
(運転代行サービスについて)
サンウェルズでは、運転代行サービスに関する管理体制が十分に整備されないまま運用されていた。そのため、長期にわたり運転代行サービスを社長が私的利用していても、社内の誰もそのことに気づかなかった。また、運転代行サービスは東京で利用されていたにもかかわらず、運転代行会社からの請求書および稼働実績表は金沢本社の経理部門に直接送付されていたため、稼働実績表と実際の稼働状況をチェックする体制がとられていなかった。
(私的交際費について)
・サンウェルズの社長および社長の経費精算を行っていた社長秘書チームや稟議決裁を担当する管理管掌役員は、交際費の精算にあたり業務上の関連性を適切に確認しなければならないという意識に乏しかった。
・サンウェルズの監査等委員会による指摘を受け、執行側では交際費稟議申請にあたり目的欄を設け、A(新規事業の情報収集)、B(医療連携)、C(採用促進)、D(集客推進)、Eその他(マーケティング相談、関係構築)の分類に沿って記号を記入するようになった。しかし、実際には社長秘書が会食の目的を社長に直接確認することもなく、会食相手の名前を見て推測したり、当該会食相手との過去の交際費稟議申請の先例を参照して記載していたりしていて、形式的にA~Eの項目を記載していただけに過ぎなかった(社長も把握していなかった)。その結果、真の会食目的が反映される運用とはなっておらず、中には誤った記載のまま交際費稟議申請が繰り返されていたケースもあった。監査等委員会がいかに目的欄の記載を参照してチェックしようとしても、その実効性は期待できない内容であった。

<正当化>
(運転代行サービスについて)
・サンウェルズでは、社長自身が運転して事故を起こしたりすると大変な事態となるために社用車をつけた方がよいというアドバイスを受けた経緯があった。社長としては、会社の業務に限らず自身が移動する場合にも会社経費で運転代行サービスを利用してもよいと曲解していた可能性があった。
・サンウェルズの社長は公私の区別が甘かった。
(私的交際費について)
サンウェルズでは、交際費管理規程で上限金額(参加者一人当たりの上限金額が5万5千円(税込))を定めていたところ、社長のみならず関係部署全体において、「上限金額の範囲内であれば会食場所が多少不適切であってもよいだろう」という意識があった。その結果、一次会(食事)の領収書が上限金額を下回っていれば、その後に支出した不適切な会食場所と思われる店の高額領収証の一部(上限額との差額)のみ精算し、残額を社長の個人負担として取り扱うという運用が常態化していた。

再発防止策 代表取締役社長をはじめとする全社的な意識改革
2026年1月中に、外部有識者による経費と内部統制に関するコンプライアンス研修を実施し、代表取締役社長及び社長秘書チーム、並びに稟議決裁を担当する管理管掌役員を含む全社員の経費に対する意識改革を行う。また、監査等委員会による監査等の活動を通じて、役職員の経費に対する意識を継続的に確認し、二度と同じ問題が発生しないよう徹底した意識改革を行う。
当社による運転代行サービスの利用の廃止・車両関連費用の是正
サンウェルズでは運転代行サービスを利用しないようにする。また、ガソリン代、ETC利用料及び車両管理費等の代表取締役社長が使用する車に関する全ての費用を、代表取締役社長の個人負担とする。さらに、2025年12月以降、タクシー利用時にタクシー会社からサンウェルズへの直接請求となっているサービスを廃止し、領収書に基づく立替精算型に完全移行する。これにより、各利用について精算申請を必須とし、その申請内容を厳格にチェックする体制を構築することで、使用目的や業務関連性の適正を確保し、透明性と説明可能性を高める。
交際費稟議申請プロセス・精算承認プロセスにおける運用の見直し
交際費の必要性及び合理性や業務との関連性を適切に判断するための各プロセスが具体化・明確化された役員交際費運用マニュアルを新規に制定。2025年12月1日より、これに従った交際費稟議申請プロセス・精算承認プロセスの運用を開始する。
関係者の処分
苗代社長 月額役員報酬の50%減額(6か月)
上野取締役 月額役員報酬の10%減額(2か月)
なお、苗代社長は後任が決定次第、代表取締役社長を退任する意向を表明済み。
財務上の影響
苗代社長は、本調査によって判明した運転代行サービス等の私的利用分の経費(報告書公表日現在確定している金額は約16百万円)に加え、本調査に要した費用の全額(約40百万円)をサンウェルズに返還する。
<この事例から学ぶべきこと>

サンウェルズでは2024年に訪問看護における診療報酬の不正請求が発覚しており、信頼回復に向けての取り組みの半ばで、今度は社長の社有車・運転代行の不正利用や私的交際費の不正精算の問題が発生し、社長が退任の意思を示す事態に陥りました。

サンウェルズの調査報告書では、社長による人脈形成を目的とした会食の必要性は認めつつも「だからといって無制限に経営者仲間との会食が交際費として認められるわけではなく、一定の判断基準は必要である。会社において「交際費」として認められるかどうかの判断基準は、会社の業務に関連するか否か、合理的な範囲か否かであり、基本的には会社の現在の業務に関連する相手方との接待会食ということになる。将来的な事業拡大につながる可能性があるとして異業種の経営者と会食することがあるとしても、同じ相手と頻繁に会食する合理性は乏しく、また、金額・会食場所・時間等が不適切である場合(例えば、同席応対のある飲食店での深夜に及ぶ高額の飲食など)には、合理性がなく、また業務に関連するとは認められない。さらに、会社との間で取引関係がなく社長との間で個人的な取引関係がある相手方については、仮に会社の業務について相談している部分があったとしても、原則として個人で費用負担すべきである。」と指摘されています。

サンウェルズでは、交際費の稟議申請の際に、「使用目的」(業務上の関連性)を可視化するため、監査等委員会から指摘を受けて、A(新規事業の情報収集)、B(医療連携)、C(採用促進)、D(集客推進)、Eその他(マーケティング相談、関係構築)の分類に沿って記号を記入することとされていました。こういったタグ付けは監査の際に有用であり、他社でも参考にしたいところです。

サンウェルズの社長秘書は、社長が提出した領収書のうち、上限を超えるなど、立替精算の対象としなかった領収書(社長の自費負担)については、F社の代表取締役に送付していました。F社はプライム市場への区分変更を再申請する際、東証から「2023年12月~2024年2月」の3か月間に5回も会食を開催しており、「会食の目的と成果」を問われていた相手先です(当時の説明は「F社のI社長は株式・資本市場の動向に詳しく、同業界の人脈があり定期的なアドバイスを受けており、社長の経営判断の一助となっている」というものでした)。領収書のうち会社経費にならないものを社長本人ではなくF社に送付するというのは極めてイレギュラーな行為と言わざるを得ません。

サンウェルズは本調査報告書を公表したのち、同社がグロース市場の上場審査を受けた際に外部機関(証券取引所)に提出した審査用資料等においても、役員の社有車の利用状況等に関する説明が事実と異なっていたのではないかとの指摘を受けることになり、新たに別の弁護士に事実関係等の調査、原因分析及び再発防止策の検討を委嘱することを余儀なくされました。調査結果次第では、上場審査時に虚偽の説明をして上場を果たしていたことになり、単なる社内の経費負担の問題に留まらない別の問題まで惹起しかねない状況と言えます。

2026/01/22 社外取締役辞任が浮き彫りにした取締役会運営の課題

取締役が辞任した場合には適時開示が行われるのが一般的だが、少なくとも東証の適時開示制度()では、開示義務の対象となる異動は代表取締役または代表執行役に限られている。すなわち、「代表取締役又は代表執行役の異動」に該当する場合には適時開示が必須とされる一方、代表取締役以外の取締役の異動については、必ずしも開示義務が課されているわけではない。代表取締役以外の取締役の異動が「その他重要な決定事実(いわゆるバスケット項目)」に該当するかどうかの判断は上場会社各社に委ねられている。その結果、代表取締役以外の取締役が辞任した場合であっても、会社が当該事実は「重要でない」と判断すれば、開示が行われなくてもルール違反には当たらないことになる。もっとも、冒頭で述べたとおり、実際には多くの会社が「重要である」との判断のもと、代表取締役以外の取締役の異動についても適時開示を行っている。

* 適時開示制度以外では、役員の異動の事実はコーポレート・ガバナンス報告書の更新のほか、半期報告書や有価証券報告書でも開示される。また、代表取締役又は代表執行役の選任・退任があった場合、財務局等への臨時報告書の提出も必要になる。


代表執行役 : 指名委員会等設置会社において代表権を有する者

こうした現状の中で注目されるのが、辞任当時は「重要でない」と判断され適時開示が行われなかったにもかかわらず、辞任から約3か月後に、その辞任理由および経緯が公表された事例だ。・・・

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2026/01/22 社外取締役辞任が浮き彫りにした取締役会運営の課題(会員限定)

取締役が辞任した場合には適時開示が行われるのが一般的だが、少なくとも東証の適時開示制度()では、開示義務の対象となる異動は代表取締役または代表執行役に限られている。すなわち、「代表取締役又は代表執行役の異動」に該当する場合には適時開示が必須とされる一方、代表取締役以外の取締役の異動については、必ずしも開示義務が課されているわけではない。代表取締役以外の取締役の異動が「その他重要な決定事実(いわゆるバスケット項目)」に該当するかどうかの判断は上場会社各社に委ねられている。その結果、代表取締役以外の取締役が辞任した場合であっても、会社が当該事実は「重要でない」と判断すれば、開示が行われなくてもルール違反には当たらないことになる。もっとも、冒頭で述べたとおり、実際には多くの会社が「重要である」との判断のもと、代表取締役以外の取締役の異動についても適時開示を行っている。

* 適時開示制度以外では、役員の異動の事実はコーポレート・ガバナンス報告書の更新のほか、半期報告書や有価証券報告書でも開示される。また、代表取締役又は代表執行役の選任・退任があった場合、財務局等への臨時報告書の提出も必要になる。


代表執行役 : 指名委員会等設置会社において代表権を有する者

こうした現状の中で注目されるのが、辞任当時は「重要でない」と判断され適時開示が行われなかったにもかかわらず、辞任から約3か月後に、その辞任理由および経緯が公表された事例だ。東証グロース市場に上場するアクアラインは、勝又祐一弁護士の社外取締役辞任(2025年10月2日付)から3か月が経過ししたところで、ようやくその経緯を説明するリリースを公表した。取締役辞任から相当期間を経過した後にこのような説明資料が開示されるのは極めて異例と言える。

同社では、2025年9月3日に常勤監査役が辞任し、同日付で従業員(管理本部長)に就任している。管理本部長への就任は同日の取締役会決議で承認されたものの、辞任した監査役は後任が選任されるまで「権利義務監査役」となるため、管理本部長を兼任することはできない(兼任禁止)。同年9月10日に開催されたガバナンス委員会ではこの問題が指摘され、その結果、管理本部長としての職務を停止せざるを得ない事態に陥っていた(詳細は2025年11月13日のニュース『辞任した監査役が「従業員」となったことで生じたガバナンス上の問題』参照)。


権利義務監査役 : 監査役が辞任等により退任し、その結果として会社に必要な員数の監査役が欠員状態となった場合において、後任者が就任するまでの間、なお監査役としての権利義務を有するとされる者をいう(会社法346条1項)。形式上は退任していても、会社の監査機能維持のため法的地位が存続する点に特徴がある。

この問題は、同社の監査役数が定員ギリギリの3名であったところ、常勤監査役の辞任により欠員が生じたことに起因するもの。しかし、そもそも9月3日の取締役会の段階で、「権利義務監査役」となる点について適切な指摘がなされていれば、このような事態は回避できたはずであり、この点は9月10日以降、社内でも問題視されていた。しかも、当時の同社取締役の中で唯一弁護士資格を有する社外取締役は、ガバナンス委員会の委員を務めていた。すなわち、この社外取締役による問題の指摘が遅れたことが、結果としてガバナンス上の混乱を招いたとも言える。そして、その社外取締役こそが、辞任後3か月を経て辞任経緯が開示されることとなった勝又取締役である。

2025年9月3日の取締役会において、常勤監査役の管理本部長就任に賛成票を投じた勝又取締役が、そのわずか1週間後の9月10日に開催されたガバナンス委員会で、権利義務監査役によるガバナンス上の問題点を指摘したことについて、社内では上記のとおり自己矛盾ではないかとの指摘もなされていた。こうした状況の中で、同年10月2日、勝又取締役は社外取締役を辞任するに至った。

勝又取締役の辞任理由は、「取締役会およびガバナンス委員会において十分な説明がなされておらず、当社の運営にはリスクがある」というもの。「十分な説明がなされておらず」とは、取締役会資料に「常勤監査役の辞任日」および「管理本部長の就任日」が明確に記載されていなかったことを指している。勝又取締役としては、常勤監査役辞任後直ちに管理本部長に就任するとは想定していなかった(それが分かっていれば、9月3日の取締役会で「権利義務監査役」となることによる問題点を指摘できた)というわけだ。これに対しアクアラインは、常勤監査役の辞任日および管理本部長の就任日を記載していなかったことに特段隠蔽の意図はなく、資料全体の文脈から「直ちに辞任および就任が行われる」ことは類推可能であったはず、と説明している。

こうしたトラブルを招かないようにするには、取締役会議案に就任日を記載することを失念しないようにするのは当然のこととして、常勤監査役の辞任日および管理本部長の就任日が不明なまま議案に賛成票を投じたという点では、議案提出に関わっていない取締役全員に甘さが認められる。それ以上に問題なのは、専門家である社外取締役に「類推」を強いるような資料提示の在り方そのものであり、このことは、同社における取締役会運営の拙さを示しているとも言えよう。

弁護士が社外取締役に就任する以上、法律問題に対する的確な対応が期待されることは言うまでもない。しかし、重要な資料が直前に提示されるような状況下では、たとえ専門家であっても判断を誤るリスクは否定できない。ガバナンス委員会を設置しているのであれば、取締役会に先立って数日前に同委員会を開催し、論点を十分に洗い出せるようなスケジュールを組むことが、ガバナンスの実効性を高めるうえで重要となろう。

2026/01/21 平均給与増減率の開示が企業に迫る対応(会員限定)

企業には物価上昇を上回る賃上げが期待される中、令和8年度税制改正では大企業向けのいわゆる“賃上げ促進税制”が廃止される。これは、「税金が安くなるから」という理由で賃上げをする段階から、企業の持続的成長のため自発的に賃上げ(人的資本投資)をする段階へと移行すべき、との考えに基づくもの。その一方で、政府は「開示」の枠組みを通じて賃上げを促そうとしている。


賃上げ促進税制 : 継続雇用者の給与総額が前年度より一定率以上増加した企業を対象に、増加額の最大25%を法人税から控除する制度。

2025年12月10日の 【特集】 ~ SSBJ 基準が義務化、人的資本開示で新たな展開も~ 令和7年・開示府令改正案のポイント【後編】 でお伝えしたとおり、金融庁は有価証券報告書の開示内容を定める「企業内容等の開示に関する内閣府令」を改正し、2026年3月31日以後に終了する事業年度に係る有価証券報告書(以下、有報)から「従業員の平均給与の対前年比増減率」の開示を求める方針だ(金融庁案はこちらを参照)。現在でも、従業員の平均給与そのものは有報の開示項目であり、二期間の数値を比較すれば対前年比増減率を算出することは理論上可能ではあるが、二期間の有報を参照する手間が生じる。逆に言うと、これが有報における独立した開示項目として明示されれば、企業間の比較可能性は飛躍的に高まる。その結果、投資家にとどまらず、自社の従業員や労働市場における転職希望者、さらには将来の労働力である学生らによる企業選別の目は一層厳格化することになろう。企業としては、平均給与の対前年比増減率を事実上のKPIとして管理せざるを得なくなる可能性が高い。

ただ、平均給与は本来、一定の目的をもって能動的に管理することに適した指標とは言い難い。というのも、平均給与は給与総額と従業員数という単純な関係で算出される結果指標()にすぎず、特に従業員数の少ない企業ほど、採用や退職といった個別要因による人員構成の変動の影響を強く受けるからだ。例えば、ベースアップをすれば平均給与の増加要因となるが、新卒採用数を増やせば平均給与は減少する。せっかくベースアップをしても、同時に新卒採用を強化すると、平均給与の対前年比増減率はマイナスとなりかねない。定年退職者数が新卒入社数を上回るなど組織の若返りが進めば、平均給与は押し下げられる。一方、ベースアップを行わなくとも、高い給与水準の中途採用者を受け入れれば平均給与は上昇する。

 平均給与は賞与も含む給与総額と従業員数だけで決定されるため、どれだけ職場環境の改善や福利厚生制度の充実といった「給与以外の手段」で従業員満足度の向上に取り組んだとしても、その効果は平均給与には反映されないという問題もある。

また金融庁案は、持株会社体制における従業員給与開示のミスリードの問題にも切り込んでいる。その問題とは、現行の有報の開示ルールでは、提出会社、すなわち持株会社体制の場合はホールディングスのみが従業員給与の平均額を開示すればよいとされていることだ。ホールディングスにはいわゆる“高給取り”にあたる経営管理人材が多いことから、連結グループの実態にそぐわない高めの給与額が平均給与額として開示され、あたかもグループ全体が高年収であるかのようにミスリードしてしまう開示となっている事例が見受けられる。そこで金融庁は、提出会社が主として子会社の経営管理を行う会社(ホールディングス)である場合、ホールディングスに加え、連結会社(外国会社を除く)のうち従業員数が最も多い「最大人員会社」についても、従業員給与の平均額およびその対前年比増減率の開示を求める案を示している。金融庁案では、最大人員会社の従業員数が連結従業員数の過半数に満たない場合には、次に従業員数の多い連結会社も開示対象に含めるとされている。これにより、従来は開示を求められていなかった連結会社の平均給与の実態(ホールディングスとの格差)が可視化されることになる。

このような金融庁案に対し、経団連は2025年12月26日にコメントを公表。当該提案は「デュー・プロセス(公正な手続き)を経ず、関係者間で十分な議論が行われないまま、2025年8月26日に開催された第1回金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ( DWG )で『報告事項』として突然紹介された」ものであり、その後も実質的な議論がないままパブリックコメントに至ったとして、「プロセスおよび提案内容の双方において拙速感が否めず、大変遺憾である」との見解を示している(経団連が2025年12月26日に公表した金融庁の改正案に対するコメントを参照)。

経団連は、従業員の平均給与の対前年増減率の開示義務化に反対する姿勢を明確にしている。具体的には、単なる増減率の数値だけでは、企業の賃上げ努力や人材競争力を適切に評価できず、人員構成の変化と処遇改善が混同されることで、投資家に誤解を与えるリスクが高いとする。また、既に平均給与額と従業員数は開示されており、利用者側で増減率を算出することは可能であることから、必須指標とする合理性に乏しいとの主張も展開している。加えて、連結グループ内の複数の子会社について、必ずしも連結グループの代表値とは言えない給与水準が個別に開示されることで、不必要な誤解や訴訟リスク()、子会社間の軋轢や不公平感を生む可能性も指摘している。

 賃金格差の合理性、人事制度・評価制度の不合理性などを争う労働訴訟につながるリスクが想定される。

とりわけ、子会社の従業員給与開示において「最大人員会社」という画一的な基準を用いることについては、強い懸念を示している。企業グループにおいて、最大人員会社が必ずしもグループの収益の中核や企業価値の源泉になっているとは限らない。労働集約的な製造子会社と、高付加価値の研究開発会社とでは、事業特性も人材構成も大きく異なるためである。こうした違いを無視し、画一的に抽出された特定会社の給与水準を、あたかもグループ全体を代表するかのように開示することは、投資家にとっても企業の従業員にとってもミスリーディングになりかねない。経団連は、組織再編や M&A によって対象会社が頻繁に入れ替わる場合、経年比較の有用性が損なわれるという点も問題視している。

もっとも、賃上げ促進が国家の至上命題として掲げられている現状に鑑みれば、金融庁の公開草案が根幹部分で修正されることなく確定する可能性は極めて高い。改正府令は2026年3月期決算からの適用が確実視されており、企業側に残された時間は少ない。

平均給与は期末を経なければ確定できないが、上場企業各社は、期末を待って確定値を算出するのではなく、期中の段階から試算を行い、数値の変動要因を識別しておきたい。特に持株会社体制を敷く企業においては、最大人員会社の特定という事務的作業にとどまらず、その処遇実態がグループ全体の価値向上にどう寄与しているのか、投資家の疑念を拭い去る論理的な説明(エクイティ・ストーリー)を構築しておくことが肝要である。形式的な開示を、人的資本経営への真摯な取り組み姿勢を示す「対話の好機」へと転換できるか。その真価が問われる最初の決算期は、すぐそこに迫っている。

2026/01/21 平均給与増減率の開示が企業に迫る対応

企業には物価上昇を上回る賃上げが期待される中、令和8年度税制改正では大企業向けのいわゆる“賃上げ促進税制”が廃止される。これは、「税金が安くなるから」という理由で賃上げをする段階から、企業の持続的成長のため自発的に賃上げ(人的資本投資)をする段階へと移行すべき、との考えに基づくもの。その一方で、政府は「開示」の枠組みを通じて賃上げを促そうとしている。


賃上げ促進税制 : 継続雇用者の給与総額が前年度より一定率以上増加した企業を対象に、増加額の最大25%を法人税から控除する制度。

2025年12月10日の 【特集】 ~ SSBJ 基準が義務化、人的資本開示で新たな展開も~ 令和7年・開示府令改正案のポイント【後編】 でお伝えしたとおり、金融庁は有価証券報告書の開示内容を定める「企業内容等の開示に関する内閣府令」を改正し、2026年3月31日以後に終了する事業年度に係る有価証券報告書(以下、有報)から「従業員の平均給与の対前年比増減率」の開示を求める方針だ(金融庁案はこちらを参照)。現在でも、従業員の平均給与そのものは有報の開示項目であり、二期間の数値を比較すれば対前年比増減率を算出することは理論上可能ではあるが、二期間の有報を参照する手間が生じる。逆に言うと、これが有報における独立した開示項目として明示されれば、企業間の比較可能性は飛躍的に高まる。その結果、投資家にとどまらず、自社の従業員や労働市場における転職希望者、さらには将来の労働力である学生らによる企業選別の目は一層厳格化することになろう。企業としては、平均給与の対前年比増減率を事実上の KPI として管理せざるを得なくなる可能性が高い。

ただ、平均給与は本来、一定の目的をもって能動的に管理することに適した指標とは言い難い。というのも、平均給与は給与総額と従業員数という単純な関係で算出される結果指標()にすぎず、特に従業員数の少ない企業ほど、採用や退職といった個別要因による人員構成の変動の影響を強く受けるからだ。例えば、・・・

* 平均給与は賞与も含む給与総額と従業員数だけで決定されるため、どれだけ職場環境の改善や福利厚生制度の充実といった「給与以外の手段」で従業員満足度の向上に取り組んだとしても、その効果は平均給与には反映されないという問題もある。

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2026/01/20 コンプライアンスの範疇を超えた「人権対応」

中国との関係改善には時間を要するとの観測が広がる中、日本企業にとって対中取引の見直しは経営上の現実的な課題となっている(経済安全保障対応の進め方については2025年11月19日のニュース「台湾有事に備え企業が講じるべき対応」、経済安全保障対応のメリットは2025年12月11日のニュース「企業が経済安保対応を進めるメリット」参照)。中国からの調達や投資、売上依存を縮小させる「デリスキング」が進む一方、その受け皿の一つとして有力視されるのが欧州・北米だ。米国には“トランプ・リスク”があるものの、それでもこれらの地域は政治・法制度が比較的安定しているうえ、環境分野や先端技術分野を中心に中長期的な需要拡大が見込まれる。


デリスキング : リスクを認識するとともに、当該リスクが現実化した場合の損失を減少させるための取り組み。「地政学」の文脈では、特定国との経済関係自体は維持しつつ、依存を回避する戦略を指す。

ただ、日本企業が欧州・北米との取引拡大を図るうえで障壁となりかねないのが、・・・

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2026/01/20 コンプライアンスの範疇を超えた「人権対応」(会員限定)

中国との関係改善には時間を要するとの観測が広がる中、日本企業にとって対中取引の見直しは経営上の現実的な課題となっている(経済安全保障対応の進め方については2025年11月19日のニュース「台湾有事に備え企業が講じるべき対応」、経済安全保障対応のメリットは2025年12月11日のニュース「企業が経済安保対応を進めるメリット」参照)。中国からの調達や投資、売上依存を縮小させる「デリスキング」が進む一方、その受け皿の一つとして有力視されるのが欧州・北米だ。米国には“トランプ・リスク”があるものの、それでもこれらの地域は政治・法制度が比較的安定しているうえ、環境分野や先端技術分野を中心に中長期的な需要拡大が見込まれる。


デリスキング : リスクを認識するとともに、当該リスクが現実化した場合の損失を減少させるための取り組み。「地政学」の文脈では、特定国との経済関係自体は維持しつつ、依存を回避する戦略を指す。

ただ、日本企業が欧州・北米との取引拡大を図るうえで障壁となりかねないのが、人権対応だ。既に欧州やカナダでは、企業に対し、人権や環境リスクをサプライチェーン全体で把握し、予防・是正する「人権デュー・ディリジェンス」(以下、人権DD)の実施を求める法令が本格運用段階にある。これらの制度は域内企業に限らず、当該市場で事業を行う域外企業にも適用される。

米国は包括的な人権DD法令を欠くことから、この分野で欧州に後れを取っていると思われがちだ。しかし、例えば強制労働分野では、特定国・特定製品を対象とした輸入差し止めや押収といった即効性・実効性の高い制裁措置を設けている。欧州が人権DDによる「予防」を重視しているのに対し、米国は分野を絞った「事後制裁」に重きを置いている。アプローチこそ異なるが、「企業行動の是正」という目的は共通している。

さらに、カリフォルニアなど米国の一部の州では、サプライチェーンの透明性確保や労働者保護の強化を目的とした開示義務が州法で拡充されている。これは日本における有価証券報告書のような連邦レベルでの証券開示とは異なり、州内で事業を行うことの前提条件として、企業の人権対応方針や実施状況を社会に向けて自社サイト等で明らかにさせるもの。具体的には、カリフォルニア州サプライチェーン透明法により、一定の企業は自社のサプライチェーンにおける強制労働(奴隷制)、人身売買等のリスクにどのように対応しているか(製品サプライチェーンにおける人身売買や奴隷制のリスクを検証しているか(第三者機関によるものかも明記)、サプライヤーが企業の基準を遵守しているかを確認するための監査を実施しているか(抜き打ち監査かどうかも明記)、直接のサプライヤーに対し、提供される材料が当該国の奴隷労働・人身売買禁止法を遵守していることの証明を求めているか、自社が定めた人権・コンプライアンス基準に違反した従業員や請負業者に対し、懲戒処分や取引停止等の是正措置を講じるための社内ルールや手続きを整備しているか、サプライチェーン管理の責任者に対し、リスク軽減のため教育を提供しているか)を消費者等に開示することが義務付けられている。こうした州法における開示義務は、高度な人権 DD を継続的に実施していなければ対応困難な内容となっている。事実上、“カリフォルニア基準”への適合が対米ビジネスの必須要件になりつつあると言えよう。


一定の企業 : カリフォルニア州で事業を行う小売業者または製造業者で、全世界での年間総収入が1億ドル(約150億円)以上ある事業者。

一方、日本の現状を見ると、政府が2025年12月24日に「ビジネスと人権」に関する行動計画を改定したものの、人権DDの法制化に関する議論は依然として進展しておらず、「ビジネスと人権」についての開示は、女性活躍推進法で常時雇用する労働者が301人以上(2026年4月以降は101人以上)の企業に男女の賃金差や女性の活躍状況の公表が義務付けられている以外、必須とされているものはない。また、正当な理由なく「公益通報をしない旨」の合意を求めること等による公益通報を妨げる行為を禁止するなど、公益通報者保護法による救済は充実してきたものの(直近の同法改正については2025年12月5日のニュース「機能不全の内部通報制度にメス 政府が不利益取扱いの具体例を明示」参照)、内部通報制度そのものは人権DDを経なくても構築可能と言える。結果として、海外市場からの要請や圧力にさらされている一部のグローバル企業を除き、人権DDへの取り組みは十分に進んでいないのが現状だ。

しかし、経済安全保障の観点から「脱中国」を進め、欧州や北米との取引を拡大していくうえでは、ビジネスと人権への対応は必須となりつつある。具体的には、企業は、国連指導原則に沿って人権を尊重するという責任を果たすため、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下、人権尊重ガイドライン)および「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」を参考にしながら、(1)人権方針の策定・公表、(2)人権DDの実施、(3)自社が人権への負の影響を引き起こし又は助長している場合は防止・軽減措置を実施するとともに、救済措置を講じることが求められる(人権尊重ガイドラインについては2022年9月22日のニュース「人権尊重ガイドラインが確定、一般市販品の調達も対象に」参照。また、具体的な「ビジネスと人権」への対応については、下記の【役員会 Good&Bad 発言集】「ビジネスと人権」への対応(1)から(6)を参照)。


国連指導原則 : 2011年に国連の人権理事会で全会一致で支持された文書で、「人権を保護する国家の義務」「人権を尊重する企業の責任」「救済へのアクセス」の3つの柱から構成される。企業活動における人権尊重の指針となっている。

「ビジネスと人権」への対応(1):「ビジネスと人権」への対応についての総論
「ビジネスと人権」への対応(2):人権方針
「ビジネスと人権」への対応(3):人権デュー・ディリジェンス(人権への悪影響の特定)
「ビジネスと人権」への対応(4):人権デュー・ディリジェンス(その他のステップ)
「ビジネスと人権」への対応(5):苦情処理および是正措置(救済措置)
「ビジネスと人権」への対応(6):人権問題であることへの気付き

経済安全保障を背景としたサプライチェーンの見直しは、経営における人権の重みをこれまでにない水準へと押し上げている。もはや人権対応は、コンプライアンスの範疇に留まるものではない。経営陣はこのパラダイムシフトを直視し、人権尊重を経営判断の根幹に据え、実務レベルでの対応を加速させる必要がある。

2026/01/19 グラスルイス・2026年ポリシーのポイントと「脱・単一基準」の行方

2025年10月20日のニュース「2027年以降、グラスルイスとのエンゲージメントに変化も」でお伝えした通り、議決権行使助言会社大手のグラスルイスは2027年以降、単一の助言ポリシー(ハウスビュー)に基づく賛否推奨から脱却するという「ビジネスモデルの強化策」を実施する方針を打ち出している。ただし、2026年は従来通りのスタイルを踏襲し、「2026 Benchmark Policy Guidelines」が公表されている。


ハウスビュー : 助言会社が独自に策定した「標準的な議決権行使の判断基準(ベンチマーク・ポリシー)」のこと。

2026年版ポリシーにおける実質的な改定は、・・・

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2026/01/19 グラスルイス・2026年ポリシーのポイントと「脱・単一基準」の行方(会員限定)

2025年10月20日のニュース「2027年以降、グラスルイスとのエンゲージメントに変化も」でお伝えした通り、議決権行使助言会社大手のグラスルイスは2027年以降、単一の助言ポリシー(ハウスビュー)に基づく賛否推奨から脱却するという「ビジネスモデルの強化策」を実施する方針を打ち出している。ただし、2026年は従来通りのスタイルを踏襲し、「2026 Benchmark Policy Guidelines」が公表されている。


ハウスビュー : 助言会社が独自に策定した「標準的な議決権行使の判断基準(ベンチマーク・ポリシー)」のこと。

2026年版ポリシーにおける実質的な改定は、「ジェンダー・ダイバーシティ」と「社外取締役及び社外監査役の在任期間」の2点となっている。

1. ジェンダー・ダイバーシティ基準の厳格化
2026年1月開催の株主総会より、プライム市場上場会社について、取締役会における多様な性別(トランスジェンダーを含む)の取締役の比率を20%以上(従来は10%以上)とすることを求める。

既に2024年版ポリシーにおいて、2026年以降に閾値を引き上げることは予告されていた(2024年1月10日のニュース「グラスルイスが2024年版議決権行使助言方針を公表、ジェンダー・ダイバーシティ基準を厳格化、気候関連問題の説明責任の対象企業も拡大」参照)。20%の新基準を満たさない場合、原則として取締役会議長(指名委員会等設置会社では指名委員会委員長)の選任議案に対して反対を推奨する。

2025年11月10日付けのニュース「ISS が日本向けポリシーを改定へ『社外役員のサクセッション・プラン』が一層重要に」でお伝えした通り、議決権行使助言会社最大手の ISS は2027年2月より、新たに「女性取締役10%以上」(従来は1人)を求める。グラスルイスは ISS に先行して、より厳しい基準の適用に踏み切ったことになる。

2. 在任期間に基づく独立性評価の厳格化
2026年1月開催の株主総会より、連続して12年以上在任している社外取締役および社外監査役は独立性基準を満たしていないこととされる。役職の変更(監査役を辞任し、続けて取締役に就任した場合など)があった場合には、変更前後の在任期間を合算して12年以上かどうかを判断する。2025年版ポリシーでは、社外取締役または社外監査役の「全員」の在任期間が12年以上である場合に限って、取締役会議長(指名委員会等設置会社では指名委員会委員長)の選任議案に対して反対を推奨することとされていた。2026年版ポリシーでは独立性基準を厳格化し、候補者を「個別」に判定する。

また、上記で引用したニュースでお伝えした通り、ISS も同じ基準の導入を2025年版ポリシーで予告済みであり、2026年2月より適用する。今回グラスルイスが新ポリシーを導入したことで、社外役員の在任期間に関する基準について両社の足並みが揃ったことになる。

一方、冒頭に挙げた「ビジネスモデルの強化策」の詳細について、グラスルイスからは未だ公式な発表はない。こうした中、現時点で参考となる情報が、コーポレートガバナンスに詳しい米国基盤のグローバル・コンサルティング会社である FTI コンサルティングによる2025年12月4日付のリリースだ。これは、同社が2025年11月27日にアイルランドのダブリンで開催した「第10回年次ガバナンス&アクティビズム・ブリーフィング」をレポートしたもので、ISS などとともにグラスルイスが参加している。

それによれば、当フォーラムがお伝えした通り、グラスルイスは単一の「ハウスビュー」から脱却するとし、具体的には「多様な投資家の優先順位を反映(reflecting different investor priorities)」した以下の「4つの視点(four research perspectives)」を導入するとしている。

・ 経営陣寄りの視点:重大な不祥事がある場合を除き、会社提案を尊重する視点
・ 先進的なサステナビリティの実践を重視する視点:高い ESG 基準を求める視点
・ ガバナンスとサステナビリティを融合させた中間的な視点(2つ):両方の要素を考慮しつつ、一方はガバナンスをより重視し、もう一方はサステナビリティをより重視するという、優先順位の異なる2つの基準)

これら4つの視点は、平時における会社提案だけでなく、M&A や経営権争いに関わる議案(株主提案など)にも適用されるものとし、グラスルイスはケースバイケースで詳細な分析に基づいた多様な助言を行う予定であることが説明されている。

上記の方針は日本の資本市場にも適用されるものと考えられる。上場会社としてはまず、「経営者寄りの視点」で説得力のある助言が行われるよう、グラスルイスとの対話に臨まなければならない。そして、さらに重要となるのは、グラスルイスから多様な助言を受けた機関投資家との対話だ。機関投資家が「経営者寄りの視点」または経営者寄りに近い「中間的な視点」に立った議決権行使を行うよう、これまで以上に機関投資家との直接の対話に注力する必要があろう。

2026/01/16 パーシャル・スピンオフを巡る時間的制約が解消へ(会員限定)

コーポレートガバナンス・コードでは、「事業ポートフォリオの見直し」を経営戦略の重要な要素として位置付けているが(原則5-2補充原則5-2①参照)、事業ポートフォリオを再構築する際の有力な選択肢となるのが、「パーシャル・スピンオフ」だ。パーシャル・スピンオフとは、親会社が段階的に子会社の持分を減らしたい場合や、一部の事業を切り離して別会社としたいが一定の影響力を維持するため多少の株式は保有しておきたいという場合において、親会社から分離・独立した会社の株式の一部を親会社の手許に留めたうえで残りの部分(パーシャル)をスピンオフする手法をいう。ソニーグループによるソニーフィナンシャルのパーシャル・スピンオフ(2025年9月11日のニュース「ソニーが金融子会社をパーシャル・スピンオフ&直接上場させた意図」参照)や、レゾナック・ホールディングスが石油化学事業を分社化して設立した新会社「クラサスケミカル株式会社」のパーシャル・スピンオフ(2027年〜2028年頃を予定)など(レゾナック・ホールディングスによるリリースはこちら)、目下、日本を代表する企業においてもパーシャル・スピンオフが行われている状況にある。


スピンオフ : 親会社の特定の事業を別会社として切り出したり、子会社を分離・独立させる手法。

こうした動きを税制面から後押しするため、パーシャル・スピンオフが行われた場合に、親会社や株主に対する課税を繰り延べるいわゆるパーシャル・スピンオフ税制が令和8年度(2026年度)税制改正で見直される(パーシャル・スピンオフ税制の詳細は2022年12月14日のニュース「持分を残した形での子会社や事業の切り離しへの税制優遇が実現」参照)。

今回の改正の最大のポイントは、これまで租税特別措置法上の「時限措置」(適用期限:2028年(令和10年)3月31日まで)とされてきたパーシャル・スピンオフ税制が、適用期限のない「恒久措置」とされるということだ(なお、持分関係が一切なくなるケースのみを対象としている「スピンオフ税制」は、導入時から法人税法上の恒久措置とされている)。企業からは「一部持分を残すパーシャル・スピンオフは、ブランドやインフラの継続利用、取引先や従業員の信頼維持・心理的抵抗の緩和といった観点から重要」といった指摘のほか、「大規模な事業再編では、検討開始から実行まで数年を要することも珍しくないため、事業再編の有用なツールであるパーシャル・スピンオフの税制優遇がいつまで続くのか不透明な状態では、腰を据えて事業再編に取り組めない」として、恒久的化を求める声が継続的に上がっていた。恒久化の実現を受け、今後は予見可能性をもってパーシャル・スピンオフ税制を活用できる環境が整ったと言える。なお、スピンオフ税制とは異なり、パーシャル・スピンオフ税制は法人税法には組み込まれず、あくまで“租税特別措置法上の恒久措置”となることが当フォーラムの取材により確認されている。パーシャル・スピンオフ税制の適用を受けるためには、産業競争力強化法に基づく事業再編計画の認定が必要になるため、このような建付けとなった模様だ。


租税特別措置法 : 政策的に実施される様々な減税措置を規定した法律。通常、適用期限を定めた「時限措置」として実施される(適用期限が近付くと、延長するかどうかが議論されることになる)。研究開発費のうち一定割合を法人税額から控除する研究開発税制などが有名である。政策的に実施される減税措置ということで、「政策減税」とも呼ばれる。
産業競争力強化法 : 事業再編、新事業創出、生産性向上などの取り組みを通じて日本企業の競争力強化を目的とする法律。パーシャルスピンオフ税制の適用を受けるには、本法に基づき「事業再編計画」を策定し、主務大臣から認定を受けることが必須要件となっている。

具体的には、令和8年(2026年)4月1日以降に産業競争力強化法に基づく事業再編計画の認定を受けた法人が行うパーシャル・スピンオフ(租税特別措置法上は「認定株式分配」と呼ばれる)が以下の要件を満たす場合には、パーシャル・スピンオフに伴う株式分配に起因する譲渡損益課税を繰り延べるとともに、株主において配当課税を行わないこととする。

(1)スピンオフの実施直後において、元親会社の保有割合が20%未満となること。また、交付される対価は子会社の株式のみであり、かつ株主の持株数に応じて按分して交付されなければならない。
(2)スピンオフ直前の子会社の従業者のおおむね80%以上が、スピンオフ後もその業務に引き続き従事することが見込まれること。
(3)産業競争力強化法に基づく事業再編計画の認定に当たって、以下の3つの要件を満たすこと。
①スピンオフされる子会社の主要な事業活動が、親会社の事業のうち経営資源を集中させる事業活動として特定するもの以外の事業活動であること
②スピンオフされる子会社に加え、親会社の主要な事業活動についても、事業再編計画における生産性向上に関する目標の達成が見込まれること
③スピンオフされる子会社・親会社の双方において事業の継続が見込まれること

今回の改正を受け、従来の多角化経営に起因するコングロマリット・ディスカウントの解消を目指し、「ノンコア事業の切り出し」と「コア事業への経営資源集中」を通じた事業ポートフォリオの再構築が進むか、注目される。


コングロマリット・ディスカウント : 異なる分野の事業を複数同時進行で営む企業(「複合企業」とも呼ばれる)のこと。コングロマリットには、経営資源を複数の事業に分散して投下することでリスクを低減するというメリットがある一方で、好調な事業と不振な事業が共存する場合、不振事業に足を引っ張られる形で、好調な事業の業績等が当該企業の株価に十分反映されず、株価が割安(ディスカウント)になりかねないというデメリットがある。このデメリットの方が「コングロマリット・ディスカウント」である。