2025/09/16 上場市場の機能とM&Aの“究極の”役割(会員限定)

フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男

上場企業の株式非公開化の流れが止まらない。株式を非公開化する場合、経営陣や投資ファンドは市場に出回る株式を買い集める必要がある。その買収資金をまかなうためにSPC(特別目的会社:買収資金を調達するために設立する会社)を設立し、金融機関から融資を受けるのが一般的だ。借金の返済は買収後の企業が将来生み出すキャッシュフローに頼らざるを得ないため、実質的に企業が多額の借金を抱えることになる。「経営の自由度を高める」という株式非公開化の狙いとは裏腹に、多額の借金を抱えながら企業価値を高めるのは容易ではないとの意見も多い。それでも株式非公開化が加速しているのはなぜだろうか。

日本では、新規上場(IPO)社数が上場廃止社数より多いが、米国では上場廃止社数がIPO社数より多い(欧州も同様)。米国市場における上場廃止の要因は、①M&Aによる上場廃止、②上場廃止基準への抵触による上場廃止、③企業の申請による上場廃止(企業が自らの判断で上場をやめるケース)の3つに大別されるが、M&Aによる上場廃止が継続的に過半を占め、最多となっている。そのM&Aはさらに「事業会社同士による戦略的なM&A」と「PEファンド等によるレバレッジド・バイアウト(LBO)」に分けられるが、借り入れコストの低下やPEファンドの成長に伴いM&Aは増加を続けており、米国では過去20年間のM&Aにより、4分の3の産業でM&Aを通じて規模を拡大した特定の企業群による「寡占化」が進展している。この寡占化は各社の収益性向上に寄与しており、各社の利益率改善が「時価総額の増加」につながっている。例えば東証プライム市場と米国NASDAQ市場を比べると、上場社数は拮抗しているものの、時価総額は米国NASDAQ市場が東証プライム市場に大きく差をつけている。米国の上場市場では、1990年代以降、アクティビストによるキャンペーン件数が急増し、上場会社へのプレッシャーが高まった。その結果、上場企業数の減少という副作用は生じたが、M&Aによる企業の統合・寡占化が時価総額の上昇をもたらしている。こうした企業の淘汰と価値創造の循環という「マーケットの自浄作用」が米国市場のダイナミズムの源泉と言える。


PEファンド : 機関投資家や富裕層などの投資家から集めた資金を用いて、上場会社を買収して非公開化したり、非上場会社に投資したりするファンドである。経営に深く関与して企業価値を高め、数年後に株式売却や再上場で利益を得ることを目的とする。
レバレッジド・バイアウト(LBO) : 借入金を活用して会社を買収する仕組みのこと。多くの場合、買収のために設立した会社が銀行などから多額の資金を借り入れ、対象会社を買収する。買収後は、対象会社が生み出すキャッシュフローを使って借金を返済していく。少ない自己資金で大きな会社を買収できる反面、借金の返済負担の重さがリスクとなる。

日本の上場市場はどうだろうか。近年は日本でも、アクティビストのターゲットとなるリスクや株主提案に対応するコストは上昇しているものの、米国の比ではない。また、事業会社やPEファンド等によるM&Aの提案も決して多いとは言えない。すなわち、「マーケットの自浄作用」が機能しているとは言いがたい。それと因果関係があるか否かは必ずしも明らかではないが、上場社数は増加しているものの、市場全体の時価総額は低下している。

「上場」していることで、確かに社会的信用や知名度は高まる。優秀な人材の確保も容易になり、株主はキャピタルゲインを得ることができるかもしれない。その一方で、投資家が期待リターンを上回る資本効率を実現し、時価総額を拡大する努力をしなければ、株主からプレッシャーを受け、場合によってはM&Aされることになる。

米国におけるコーポレートガバナンス研究では、M&Aについて次のような比喩が見られる。

「企業内部において経営陣への監督が弱い場合には、M&Aは成果の乏しい経営者を罰するための“最高裁判所”としての役割を果たす」

米国市場が辿った道と同様、日本企業の株式非公開化は当然の流れなのかもしれない。

2025/09/16 上場市場の機能とM&Aの“究極の”役割

フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男

上場企業の株式非公開化の流れが止まらない。株式を非公開化する場合、経営陣や投資ファンドは市場に出回る株式を買い集める必要がある。その買収資金をまかなうためにSPC(特別目的会社:買収資金を調達するために設立する会社)を設立し、金融機関から融資を受けるのが一般的だ。借金の返済は買収後の企業が将来生み出すキャッシュフローに頼らざるを得ないため、実質的に企業が多額の借金を抱えることになる。「経営の自由度を高める」という株式非公開化の狙いとは裏腹に、多額の借金を抱えながら企業価値を高めるのは容易ではないとの意見も多い。それでも株式非公開化が加速しているのはなぜだろうか。

日本では、新規上場(IPO)社数が上場廃止社数より多いが、米国では上場廃止社数がIPO社数より多い(欧州も同様)。米国市場における上場廃止の要因は、・・・

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2025/09/12 保有株式数の照会、機関投資家の対応方針は?

2025年6月26日に確定した日本版スチュワードシップ・コード(第三次改訂版)では、原則4に新たな指針として下記の4-2が追加されている。実質株主の保有株式数については、従来は注記で「説明することが望ましい場合もある」と触れるだけにとどまっていたところ、これが「説明すべき」という強い表現に変更され、さらに、投資先企業からの求めがあった場合の「対応方針」も公表すべきとされた(2025年2月18日付ニュース「速報 スチュワードシップ・コードの改訂内容が判明」参照)。


実質株主 : 株主名簿の背後に存在する投資判断や議決権を行使する権限を持つ株主のこと。これに対し、株主名簿に載っている株主を名義株主という。個人株主や事業会社が株主となる場合などは「実質株主=名義株主」となるが、信託銀行が信託勘定で「管理」だけをする株式は、実質株主と名義株主は一致しない。機関投資家が保有する株式は基本的に後者のケースとなる。

4-2. 機関投資家は、投資先企業との間で建設的に対話を行うために、投資先企業からの求めに応じて、自らがどの程度投資先企業の株式を保有しているかについて企業に対して説明すべきであり、投資先企業から求めがあった場合の対応方針についてあらかじめ公表すべきである。

この「対応方針」についてはパブリックコメントで「かかる方針を定めるにあたり、機関投資家に対して一定のガイダンスが必要」との意見があり、これに対し金融庁は、「公表することが考えられる項目」として、下記の項目を例示している(4ページのNo.15参照)。また、「策定に係る期限の想定はあるのか」との問いに対しては、「明確に定めているものはありませんが、本コードの確定日から6か月以内に改訂コードへの受入れ表明を行うこととされております」と回答している(23ページのNo.53参照)。今回改訂されたスチュワードシップ・コードの確定日が2025年6月26日であることから、年内には「対応方針」を盛り込んだスチュワードシップ・コードの受入れ方針を公表することが期待されていると言えよう。

● 回答の基準時点
● 回答可能な頻度
● 回答までに要する期間
● 照会者の真正性に関する確認方法
● その他、照会に当たっての留意事項等

スチュワードシップ・コードが改訂されてからまだ2か月余りだが、当フォーラムが調査したところ、・・・

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2025/09/12 保有株式数の照会、機関投資家の対応方針は?(会員限定)

2025年6月26日に確定した日本版スチュワードシップ・コード(第三次改訂版)では、原則4に新たな指針として下記の4-2が追加されている。実質株主の保有株式数については、従来は注記で「説明することが望ましい場合もある」と触れるだけにとどまっていたところ、これが「説明すべき」という強い表現に変更され、さらに、投資先企業からの求めがあった場合の「対応方針」も公表すべきとされた(2025年2月18日付ニュース「速報 スチュワードシップ・コードの改訂内容が判明」参照)。


実質株主 : 株主名簿の背後に存在する投資判断や議決権を行使する権限を持つ株主のこと。これに対し、株主名簿に載っている株主を名義株主という。個人株主や事業会社が株主となる場合などは「実質株主=名義株主」となるが、信託銀行が信託勘定で「管理」だけをする株式は、実質株主と名義株主は一致しない。機関投資家が保有する株式は基本的に後者のケースとなる。

4-2. 機関投資家は、投資先企業との間で建設的に対話を行うために、投資先企業からの求めに応じて、自らがどの程度投資先企業の株式を保有しているかについて企業に対して説明すべきであり、投資先企業から求めがあった場合の対応方針についてあらかじめ公表すべきである。

この「対応方針」についてはパブリックコメントで「かかる方針を定めるにあたり、機関投資家に対して一定のガイダンスが必要」との意見があり、これに対し金融庁は、「公表することが考えられる項目」として、下記の項目を例示している(4ページのNo.15参照)。また、「策定に係る期限の想定はあるのか」との問いに対しては、「明確に定めているものはありませんが、本コードの確定日から6か月以内に改訂コードへの受入れ表明を行うこととされております」と回答している(23ページのNo.53参照)。今回改訂されたスチュワードシップ・コードの確定日が2025年6月26日であることから、年内には「対応方針」を盛り込んだスチュワードシップ・コードの受入れ方針を公表することが期待されていると言えよう。

● 回答の基準時点
● 回答可能な頻度
● 回答までに要する期間
● 照会者の真正性に関する確認方法
● その他、照会に当たっての留意事項等

スチュワードシップ・コードが改訂されてからまだ2か月余りだが、当フォーラムが調査したところ、少なくとも3つの運用機関が既に株式保有状況の説明に関する対応方針を策定していることが判明した。下表は、それぞれの運用機関が示したスチュワードシップ・コード受入れ方針における該当部分を抜粋したものである。

ニッセイアセットマネジメント ● 投資先企業との間で建設的な対話を行うことを目的とし、投資先企業から求められた場合には、 「株式保有状況」をお伝えいたします。
● 「株式保有状況」の説明においては、原則、毎月末時点での当社の保有株数※をお伝えいたします(2025年10月から実施する予定です)。
● なお 、当方針の目的を鑑み、「株式保有状況」の説明は、投資先企業のみに実施することとします。
● 保有株数とは、大量保有報告書の「保有株券等の数(総数)」 に相当する株数となります
アセットマネジメントOne ● 当社は、投資先企業との対話の中で、企業の求めに応じて株式保有状況を直接お伝えいたします。
● この場合、大量保有報告書の開示基準と整合的な内容を、原則として直近四半期末における株数にて提供することにより、当該企業との相互理解や円滑な対話を推進いたします。
JPモルガンアセットマネジメント ● 投資先企業から株式の保有状況について説明を求められた場合、原則として、当社グループのアセット・マネジメント部門及びウェルス・マネジメント部門が、前四半期末時点で保有している株式の総数を回答します。

金融庁が「公表することが考えられる項目」として例示した上記項目のうち、3つの運用機関が共通して公表しているのは「回答の基準時点」(保有株式数をカウントする時点)のみであり、ニッセイアセットマネジメントは「毎月末」、アセットマネジメントOneとJPモルガンアセットマネジメントは「四半期末」としている。3月期決算の上場会社であれば、議決権行使の基準日である3月末時点の株式数を運用機関から聴取することにより、6月株主総会における票読みの精度向上に役立てたいところ。この点を踏まえれば、「3月末」が基準時点に含まれるよう、運用機関は少なくとも四半期末ベースで株式保有状況を回答できるよう求められることになろう。


基準日 : その日において株主名簿に名前が載っていれば、株主総会での議決権行使や配当を受ける権利を享受できる日のこと。定時株主総会の基準日を定款に記載しなければ、毎年、基準日を公告しなければならない。その手間を避けるために、定款に基準日を記載するのが通常である。

金融庁が例示したその他の項目については明確な言及がない。ただし、ニッセイアセットマネジメントは「照会者の真正性に関する確認方法」に関連して、「株式保有状況」を説明するのは「投資先企業のみ」としている。これは、IR支援会社など代理人による要請は受け付けないという趣旨だとみられる。「照会者の真正性に関する確認」の手間を考えると、ニッセイアセットマネジメント同様、「投資先企業のみ」とする運用機関が大勢を占めることは容易に想像できる。逆に言えば、上場会社は自ら投資家に保有株式数を問い合わせる必要があるということであり、建設的な対話への意識が高まるきっかけとなりそうだ。

2025/09/11 ソニーが金融子会社をパーシャル・スピンオフ&直接上場させた意図

ソニーグループ(以下、ソニー)が2025年9月3日、グループ内の金融子会社を「パーシャル・スピンオフ」したうえで直接上場させる旨を正式に決議したことが話題を呼んでいる(ソニーのリリースはこちら)。スピンオフが子会社株式のすべてを自社(=親会社)の株主に分配するスキームであるのに対し、パーシャル・スピンオフでは、パーシャル(=部分的な)という言葉のとおり、子会社株式の一部を親会社の手許に留めたうえで、残りの部分(パーシャル)をスピンオフする。自社の株主に対する株式の分配(現物配当)は無償で行われることになる。


スピンオフ : 企業や組織の一部を分離し、別個の独立した企業や組織とすること。

ソニーはソニー生命、ソニー損保、ソニー銀行などを傘下に持つソニーフィナンシャルグループ(ソニーの100%子会社。以下、ソニーFG)の株式のうち「80%超」を現物配当として株主に分配(ソニーの株主全員に、ソニー株式1株につきソニーFG株式1株を分配)するとともに、株主が換金しやすいよう、ソニーFGを9月29日付で東証プライム市場に直接上場させる。


直接上場 : 公募・売出しを伴わず、既存株のみで上場する方式。ダイレクト・リスティングとも言われる。公募をしない以上、資金調達を目的とするものではない。国内では1999年の杏林製薬(現:キョーリン製薬ホールディングス)が代表例で、その後の実例はない。

ソニーが選択したパーシャル・スピンオフと直接上場の組み合わせでは、ソニーはソニーFGの株式を売却するわけではない(自社の株主に無償交付+残りは自社の手許に留める)ため、ソニーが売却収入を得ることはない。ソニーの財務諸表の動きを確認すると、保有するソニーFG株式の一部を自社の株主に無償で分配する(現物配当)ことに伴い、ソニーの自己資本は現金で配当を行った場合と同様に「分配した株式の公正価値(=市場での適正な価格)」相当分減少する一方、売却を伴わないことから、ソニーの損益計算書に売却益は計上されない。

また、ソニーFGにとっても、IPO(新規株式公開)のように新たに株式を発行するわけではなく、既に存在する株式を市場に出すだけであり、資金調達とは無縁の上場となっている。

このようにソニーおよびソニーFGにとって少なくとも金銭的なメリットがないパーシャル・スピンオフおよび直接上場はなぜ実行されたのだろうか。ソニーは本スキームの目的を次のように説明している(ソニーのWEBサイト参照)。上2つが「ソニー視点」の目的で、下2つが「ソニーFG視点」の目的である。

ソニーは、クリエイションを軸とした事業ポートフォリオに特化
・エンタテインメント3事業とイメージセンサー事業にキャピタルアロケーションを集中
・金融事業の成長に伴い拡大したバランスシートの最適化
—————————————————————————————-
ソニーFGは、ソニーブランドの継続使用と成長戦略の機動的な実行を両立
・ソニーがSFGI(当フォーラム注:Sony Financial Group Inc.の略で、ソニーFGのこと)株式の一部を継続保有することで、本スピンオフ後もソニーブランドを継続使用可能
・事業の状況に応じた資金調達・投資などの意思決定が迅速化


キャピタルアロケーション : 調達した資金、事業活動を通じて得た資金をどこに投資するか、どのように使うかを判断すること。

他人資本である借入金に加え、ROEの分母となる多額の自己資本(資金)を必要とし、その割に低金利下で利益が小さい金融事業は低ROE事業であり、これを連結決算から切り離すことで、ソニーの連結貸借対照表がスリムになる(=総資産や負債の金額が減る)。ソニー視点の目的の一つである「バランスシートの最適化」とは、このことを指している。また、ソニーのバランスシートからROEの分母である自己資本が大幅に減少することで、ソニーのROE向上も期待できる。


ROE : ROE(Return On Equity = 株主資本利益率)とは株主資本に対する当期純利益の割合であり、「当期純利益 ÷ 株主資本」により算出される。

今回のパーシャル・スピンオフ後、ソニーによるソニーFG株式の保有割合は20%未満となるが、ブランドや人材面(取締役を最大2名派遣)での連携は続けるため、ソニーFGはソニーの持分法適用会社となり、ソニーはソニーFGの利益のうち持分相当分を連結損益計算書に取り込むことができる。一方、ソニーFGには今後もソニーブランドを継続使用することができるというメリットを享受できる(ソニーFG視点の目的)。


持分法適用会社 : 連結対象ではないが、企業が一定の影響力を持つ他社のことであり、通常は議決権の20%以上を保有する場合に該当する。ただし、20%未満でも、経営方針の決定に実質的な影響を及ぼしていると認められる場合は持分法適用会社となる。

パーシャル・スピンオフとともに本スキームの両輪を構成する「直接上場()」とは、未上場企業が株式の公募や売り出しを行わずに証券取引所に上場することをいう。仮にソニーが売り出しをすれば、多額の売却益とそれに対する多額の課税が同時に発生するが、直接上場においてはソニーは売り出しを行わないため、売却益が計上されない代わりに売却益に対する課税も発生しない。また、通常のIPOでは、主幹事証券会社を介して新株や既存株の公募・売り出しをする必要があり、時間がかかるうえに多額の手数料を主幹事証券会社に支払わなければならない。この点、直接上場であれば、既存株式をそのまま市場に流通させるだけであるため、上場コストを抑えつつ、迅速な上場が可能となる。

* 直接上場(direct listing)は、1999年に杏林製薬(現キョーリン製薬)が実施して以来、日本では行われていない。東証は2022年12月16日に公表した「IPOに関する上場制度等の見直しについて」などにおいて、プライム市場やスタンダード市場では制限がなく実施可能であることを明言するとともに、2023年3月には上場要件を改正し「グロース市場への新規上場申請者に対しては、新規上場時において時価総額 が250億円以上となることが見込まれる場合には、新規上場に際して公募の実施を求めない」旨の改正を行うなどして、直接上場の利用促進を図っている(直接上場については2022年9月1日のニュース「ダイレクトリスティング“解禁”なら、CVCの出口戦略への影響は必至」参照)。

さらに、今回のパーシャル・スピンオフは、2023年税制改正で実現した「パーシャル・スピンオフ税制」の適用を受けることを前提としている(同税制については2023年2月20日のニュース「政府、社内ベンチャーの設立を税制で後押しへダイレクトリスティング“解禁”なら、CVCの出口戦略への影響は必至」参照)。同税制の適用を受けることで、ソニーの株主はソニーFG株の現物配当を受けたことに対して課税されることなく、株を売却する時点まで課税が繰り延べられるというメリットを享受できる。

このように、課税の繰り延べ効果を有するパーシャル・スピンオフと直接上場を組み合わせることで、・・・

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2025/09/11 ソニーが金融子会社をパーシャル・スピンオフ&直接上場させた意図(会員限定)

ソニーグループ(以下、ソニー)が2025年9月3日、グループ内の金融子会社を「パーシャル・スピンオフ」したうえで直接上場させる旨を正式に決議したことが話題を呼んでいる(ソニーのリリースはこちら)。スピンオフが子会社株式のすべてを自社(=親会社)の株主に分配するスキームであるのに対し、パーシャル・スピンオフでは、パーシャル(=部分的な)という言葉のとおり、子会社株式の一部を親会社の手許に留めたうえで、残りの部分(パーシャル)をスピンオフする。自社の株主に対する株式の分配(現物配当)は無償で行われることになる。


スピンオフ : 企業や組織の一部を分離し、別個の独立した企業や組織とすること。

ソニーはソニー生命、ソニー損保、ソニー銀行などを傘下に持つソニーフィナンシャルグループ(ソニーの100%子会社。以下、ソニーFG)の株式のうち「80%超」を現物配当として株主に分配(ソニーの株主全員に、ソニー株式1株につきソニーFG株式1株を分配)するとともに、株主が換金しやすいよう、ソニーFGを9月29日付で東証プライム市場に直接上場させる。


直接上場 : 公募・売出しを伴わず、既存株のみで上場する方式。ダイレクト・リスティングとも言われる。公募をしない以上、資金調達を目的とするものではない。国内では1999年の杏林製薬(現:キョーリン製薬ホールディングス)が代表例で、その後の実例はない。

ソニーが選択したパーシャル・スピンオフと直接上場の組み合わせでは、ソニーはソニーFGの株式を売却するわけではない(自社の株主に無償交付+残りは自社の手許に留める)ため、ソニーが売却収入を得ることはない。ソニーの財務諸表の動きを確認すると、保有するソニーFG株式の一部を自社の株主に無償で分配する(現物配当)ことに伴い、ソニーの自己資本は現金で配当を行った場合と同様に「分配した株式の公正価値(=市場での適正な価格)」相当分減少する一方、売却を伴わないことから、ソニーの損益計算書に売却益は計上されない。

また、ソニーFGにとっても、IPO(新規株式公開)のように新たに株式を発行するわけではなく、既に存在する株式を市場に出すだけであり、資金調達とは無縁の上場となっている。

このようにソニーおよびソニーFGにとって少なくとも金銭的なメリットがないパーシャル・スピンオフおよび直接上場はなぜ実行されたのだろうか。ソニーは本スキームの目的を次のように説明している(ソニーのWEBサイト参照)。上2つが「ソニー視点」の目的で、下2つが「ソニーFG視点」の目的である。

ソニーは、クリエイションを軸とした事業ポートフォリオに特化
・エンタテインメント3事業とイメージセンサー事業にキャピタルアロケーションを集中
・金融事業の成長に伴い拡大したバランスシートの最適化
—————————————————————————————-
ソニーFGは、ソニーブランドの継続使用と成長戦略の機動的な実行を両立
・ソニーがSFGI(当フォーラム注:Sony Financial Group Inc.の略で、ソニーFGのこと)株式の一部を継続保有することで、本スピンオフ後もソニーブランドを継続使用可能
・事業の状況に応じた資金調達・投資などの意思決定が迅速化


キャピタルアロケーション : 調達した資金、事業活動を通じて得た資金をどこに投資するか、どのように使うかを判断すること。

他人資本である借入金に加え、ROEの分母となる多額の自己資本(資金)を必要とし、その割に低金利下で利益が小さい金融事業は低ROE事業であり、これを連結決算から切り離すことで、ソニーの連結貸借対照表がスリムになる(=総資産や負債の金額が減る)。ソニー視点の目的の一つである「バランスシートの最適化」とは、このことを指している。また、ソニーのバランスシートからROEの分母である自己資本が大幅に減少することで、ソニーのROE向上も期待できる。


ROE : ROE(Return On Equity = 株主資本利益率)とは株主資本に対する当期純利益の割合であり、「当期純利益 ÷ 株主資本」により算出される。

今回のパーシャル・スピンオフ後、ソニーによるソニーFG株式の保有割合は20%未満となるが、ブランドや人材面(取締役を最大2名派遣)での連携は続けるため、ソニーFGはソニーの持分法適用会社となり、ソニーはソニーFGの利益のうち持分相当分を連結損益計算書に取り込むことができる。一方、ソニーFGには今後もソニーブランドを継続使用することができるというメリットを享受できる(ソニーFG視点の目的)。


持分法適用会社 : 連結対象ではないが、企業が一定の影響力を持つ他社のことであり、通常は議決権の20%以上を保有する場合に該当する。ただし、20%未満でも、経営方針の決定に実質的な影響を及ぼしていると認められる場合は持分法適用会社となる。

パーシャル・スピンオフとともに本スキームの両輪を構成する「直接上場()」とは、未上場企業が株式の公募や売り出しを行わずに証券取引所に上場することをいう。仮にソニーが売り出しをすれば、多額の売却益とそれに対する多額の課税が同時に発生するが、直接上場においてはソニーは売り出しを行わないため、売却益が計上されない代わりに売却益に対する課税も発生しない。また、通常のIPOでは、主幹事証券会社を介して新株や既存株の公募・売り出しをする必要があり、時間がかかるうえに多額の手数料を主幹事証券会社に支払わなければならない。この点、直接上場であれば、既存株式をそのまま市場に流通させるだけであるため、上場コストを抑えつつ、迅速な上場が可能となる。

* 直接上場(direct listing)は、1999年に杏林製薬(現キョーリン製薬)が実施して以来、日本では行われていない。東証は2022年12月16日に公表した「IPOに関する上場制度等の見直しについて」などにおいて、プライム市場やスタンダード市場では制限がなく実施可能であることを明言するとともに、2023年3月には上場要件を改正し「グロース市場への新規上場申請者に対しては、新規上場時において時価総額 が250億円以上となることが見込まれる場合には、新規上場に際して公募の実施を求めない」旨の改正を行うなどして、直接上場の利用促進を図っている(直接上場については2022年9月1日のニュース「ダイレクトリスティング“解禁”なら、CVCの出口戦略への影響は必至」参照)。

さらに、今回のパーシャル・スピンオフは、2023年税制改正で実現した「パーシャル・スピンオフ税制」の適用を受けることを前提としている(同税制については2023年2月20日のニュース「政府、社内ベンチャーの設立を税制で後押しへ」参照)。同税制の適用を受けることで、ソニーの株主はソニーFG株の現物配当を受けたことに対して課税されることなく、株を売却する時点まで課税が繰り延べられるというメリットを享受できる。

このように、課税の繰り延べ効果を有するパーシャル・スピンオフと直接上場を組み合わせることで、株主への現物(子会社株式)の分配を通じた「株主リターンを重視する資本政策」の実現が可能になる。また、仮に通常の親子上場を選択した場合、子会社(本件ではソニーFG)の少数株主保護が問題となるが、今回のスキームでソニーは持分を20%未満に抑え、かつ、ソニーFGへの取締役派遣を最大2名までとすることで、少数株主保護を実現しつつ、銀行・保険分野への成長投資を継続することができる。

本件は、課税の繰り延べの対象となるパーシャル・スピンオフと日本で約20年ぶりとなる直接上場を組み合わせた初のスキームであり、税制・上場制度の整備が企業の戦略的再編を後押しした象徴的な案件と言える。理論的には、パーシャル・スピンオフと直接上場の実行を経たソニーの企業価値は不変のはず(株主に帰属する価値が形を変えただけ)だが、実行決定の翌日にあたる9月4日の東京市場では同社株式が一時3%超上昇した。事業ポートフォリオの再構築により、イメージセンサーやエンタメなど成長事業への資本集中が進むとの見方が市場で広がったからだ。現物配当の権利落ち日(2025年9月29日)以降、理論上は現物分配したソニーFG株式の価値の分だけソニーの企業価値は落ち込むはずだが、コングロマリット・ディスカウントの解消が評価されれば、両社とも企業価値が向上する可能性もある。10月以降の両社の株価の推移が注目される。


権利落ち日 : 配当や株主優待の権利を得る最終取引日の翌日のこと。この日以降に株を購入しても、それらの権利は得られない。

2025/09/10 英文開示義務化が浮き彫りにする東証プライム市場の二極化

周知のとおり、東京証券取引所は上場規則を改正し、2025年4月1日よりプライム市場上場企業に対して、決算情報および適時開示情報を日本語と英語の両言語で同時に開示することを義務付けている(東証のリリースはこちら)。「グローバル資本市場との対話」を念頭に置いたこの改正はプライム市場上場企業の情報開示に一石を投じたが、2025年9月末をもって義務化から半年が経過する。

こうした中、・・・

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2025/09/10 英文開示義務化が浮き彫りにする東証プライム市場の二極化(会員限定)

周知のとおり、東京証券取引所は上場規則を改正し、2025年4月1日よりプライム市場上場企業に対して、決算情報および適時開示情報を日本語と英語の両言語で同時に開示することを義務付けている(東証のリリースはこちら)。「グローバル資本市場との対話」を念頭に置いたこの改正はプライム市場上場企業の情報開示に一石を投じたが、2025年9月末をもって義務化から半年が経過する。

こうした中、東証は9月2日、プライム市場上場企業における英文開示の実施状況(2025年8月7日時点)を分析・集計した「プライム市場の英文開示義務化後の状況について」を公表した。それによると、決算短信全文の同時英文開示を実施した企業は56%あり、残りの企業のうち、英文開示が全くできなかった0.5%の企業を除く43%の企業は「一部」や「概要」の開示にとどまっている。この「一部・概要」開示企業であっても、サマリー情報の同時英文開示を実施した企業は99%、財務諸表(本表)の同時英文開示を実施した企業は78%に達しているが、決算短信の「定性情報」の同時英文開示率は15%、財務諸表の「注記」の同時英文開示率は17%と、文章量が多い、あるいは翻訳の難易度が高い項目については対応が大幅に遅れている。

この差は、開示内容の性質にも起因している。決算短信のサマリー情報は様式が画一的であり、日本語の決算短信の数値を東証が提供しているテンプレートに入力することで、容易に英訳版が完成する。財務諸表(本表)も一定の規則性があり、前年のものを流用できるため、英訳の労力は限定的だ。これに対し、定性情報は企業ごとに内容が異なり、業績の変動や経営戦略の変更に応じて記述が変化するため、同時英文開示のハードルは高い。財務諸表の注記も、様式こそ決まっているものの文量が多く、変更箇所の精査が必要となるため、翻訳業務に要する労力は軽視できない。

こうした背景から、決算短信の同時英文開示への対応状況は、内容の定型性に応じて二極化が顕在化している。特に定性情報や注記のように、「文脈の解釈」や「逐語訳の精度」が求められる領域では、人的リソースや翻訳体制の有無が対応状況を大きく左右するとともに、英訳対応の巧拙が企業の情報発信力の差として表れている。

一方、適時開示資料に関しては様相が異なる。全文英文開示を実施した企業は76%にのぼり、「一部・概要」のみ実施した企業と合わせれば、全体の9割超が同時英文開示に対応している。東証が「決定事実」「発生事実」「その他開示」といった開示区分ごとに合計200ページを超える英文様式例を提示していることが奏功したと言えよう。

決算短信の定性情報や注記同様、長文かつ毎年記載内容が変化する個所が少なくない株主向け資料についても対応に濃淡がある。招集通知・参考書類の英文開示率(一部のみの英文開示も含む)は94%に達する一方で、事業報告および計算書類は31%、有価証券報告書は3割を下回る。有価証券報告書の全文を英文開示している企業に至ってはわずか10%程度に過ぎない。今3月決算においては、ほとんどの企業にとって初体験となる「有価証券報告書の総会前開示」にも同時に対応しなければならなかったこともあり、主にTOPIX 100に名を連ねるような大規模・グローバル企業しか英文開示に対応できなかったというのが実態とみられる。

東証はプライム市場について「グローバルな投資者との建設的な対話を重視した市場」というコンセプトを掲げているが、今回の東証の調査結果からは、英文開示の水準には企業間で大きな差異が生じており、このコンセプトに沿わない企業の存在が透けて見える。実際、英文開示の猶予措置(最長1年)を利用している企業は114社にのぼる。これらの企業は今後、残された猶予期間の中でいかに開示体制を整備できるかが問われることになる。もっとも、東証が公表する「改善期間該当銘柄一覧」(東証の公表サイトはこちら)に掲載されている38社(2025年9月3日現在、改善期間に入っているプライム市場上場企業の数)にとっては、プライム市場に残れるかどうかの瀬戸際に立たされる中、英文開示どころではないというのが実情であろう。


改善期間 : 東証では、2025年3月1日以後に到来する上場維持基準の判定に関する基準日から、本来の上場維持基準が適用されている(それまでは経過措置が適用されていた)。基準日において上場維持基準を適合しない状態となってから、改善期間(通常1年。ただし、売買高基準については6か月)内に基準に適合しない場合には、監理銘柄・整理銘柄に(原則として6か月間)指定後、上場廃止となる。

今回の東証の調査によれば、海外投資家の約9割が、英文開示の普及により情報の非対称性が是正されたと回答している。英文開示は、今や企業が市場から正当な評価を受けるための「前提条件」として認識されつつある。今後は、単に英文開示を行うだけでなく、いかにそれを活用して海外投資家との対話を深めたかが問われることになろう。

2025/09/09 オルツの粉飾決算、監査役はどこに注目していれば防げたか

2025年8月7日のニュース「売上の9割が虚偽 オルツの循環取引に専門家が騙された理由」、同8月22日の【失敗学第134回】オルツの事例でお伝えしたとおり、AI議事録サービスを手がけるオルツ(東証グロース)が手を染めた粉飾決算(売上の大半(年度によっては9割)が偽装)の衝撃は大きく、IPO市場の冷え込みや監査の厳格化に波及する可能性も指摘されている。東証は2025年8月31日をもって同社を上場廃止とする決定を下したが、当然ながら粉飾決算発覚後の同社の株価は急落し、多くの投資家が被害を被った。

本件は、一見すると、ガバナンス体制が未成熟で経営者のコンプライアンス意識が低い傾向にある新興市場上場会社特有の事例に映るかもしれない。しかし、プライム市場やスタンダード市場に上場する会社の役員は決してこれを“特殊事例”として片づけてはならない。循環取引は市場区分や企業規模を問わず発生し得るからだ。しかも、巧妙に仕組まれた循環取引は、監査役や監査法人であっても見破ることは難しい。形式上は取引先からのエビデンスが整い、実際に資金の決済も行われるため、表層的な数値や契約書の検証だけでは不正を察知しにくい。


循環取引 : 特定の関係者の間で利益を乗せて売買を繰り返す取引。経済的実態の伴わない取引であり、最終的には関係者の利益が乗った高値で買い戻す必要があるため、粉飾取引の一つに位置付けられている。

日本公認会計士協会、日本監査役協会、日本内部監査協会の三団体が合同で取りまとめた「循環取引に対応する内部統制に関する共同研究報告」(2024年4月公表)では、循環取引が生じやすい構造的要因を明らかにするとともに、内部統制の設計・運用において役員が注視すべき視点を体系的に示している。上場会社は、同報告の3ページに挙げられている「循環取引を示唆する状況・兆候の具体的事例」を参考に不正のシナリオを想定し、同報告の「4.内部統制による循環取引への対応」以下で述べられている内部統制の構築を急ぐ必要がある。

そして、オルツのケースでは、まさに「循環取引を示唆する状況・兆候」が存在した。具体的には、オルツの会計監査人(監査法人シドー)の前任の監査法人が循環取引の可能性を否定できない旨示唆して監査契約の受嘱を断っていたということだ(前掲「失敗学」を参照)。これは、監査役にとって監査の端緒とすべき重要な状況証拠に他ならない。もしオルツの監査役が経営陣の説明を盲目的に受け入れることなく、以下のように一次情報にアクセスして監査を行っていれば、経営陣による不正を検出できていた可能性が高い。・・・

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2025/09/09 オルツの粉飾決算、監査役はどこに注目していれば防げたか(会員限定)

2025年8月7日のニュース「売上の9割が虚偽 オルツの循環取引に専門家が騙された理由」、同8月22日の【失敗学第134回】オルツの事例でお伝えしたとおり、AI議事録サービスを手がけるオルツ(東証グロース)が手を染めた粉飾決算(売上の大半(年度によっては9割)が偽装)の衝撃は大きく、IPO市場の冷え込みや監査の厳格化に波及する可能性も指摘されている。東証は2025年8月31日をもって同社を上場廃止とする決定を下したが、当然ながら粉飾決算発覚後の同社の株価は急落し、多くの投資家が被害を被った。

本件は、一見すると、ガバナンス体制が未成熟で経営者のコンプライアンス意識が低い傾向にある新興市場上場会社特有の事例に映るかもしれない。しかし、プライム市場やスタンダード市場に上場する会社の役員は決してこれを“特殊事例”として片づけてはならない。循環取引は市場区分や企業規模を問わず発生し得るからだ。しかも、巧妙に仕組まれた循環取引は、監査役や監査法人であっても見破ることは難しい。形式上は取引先からのエビデンスが整い、実際に資金の決済も行われるため、表層的な数値や契約書の検証だけでは不正を察知しにくい。


循環取引 : 特定の関係者の間で利益を乗せて売買を繰り返す取引。経済的実態の伴わない取引であり、最終的には関係者の利益が乗った高値で買い戻す必要があるため、粉飾取引の一つに位置付けられている。

日本公認会計士協会、日本監査役協会、日本内部監査協会の三団体が合同で取りまとめた「循環取引に対応する内部統制に関する共同研究報告」(2024年4月公表)では、循環取引が生じやすい構造的要因を明らかにするとともに、内部統制の設計・運用において役員が注視すべき視点を体系的に示している。上場会社は、同報告の3ページに挙げられている「循環取引を示唆する状況・兆候の具体的事例」を参考に不正のシナリオを想定し、同報告の「4.内部統制による循環取引への対応」以下で述べられている内部統制の構築を急ぐ必要がある。

そして、オルツのケースでは、まさに「循環取引を示唆する状況・兆候」が存在した。具体的には、オルツの会計監査人(監査法人シドー)の前任の監査法人が循環取引の可能性を否定できない旨示唆して監査契約の受嘱を断っていたということだ(前掲「失敗学」を参照)。これは、監査役にとって監査の端緒とすべき重要な状況証拠に他ならない。もしオルツの監査役が経営陣の説明を盲目的に受け入れることなく、以下のように一次情報にアクセスして監査を行っていれば、経営陣による不正を検出できていた可能性が高い。

オルツの不正は、「広告費」と「売上」の循環によって偽装が構築されていた点に特徴がある(前掲「失敗学」を参照)。前任監査法人が「資金が還流する余地がある」旨を指摘して監査契約を受嘱しなかったという「循環取引を示唆する状況・兆候」があった以上、監査役は「広告費」について広告代理店(経営陣と通謀していた)から届いた報告書を鵜呑みにせず、自らを“有事モード”に切り替えてGoogleやYahoo!といったプラットフォームの広告管理画面で実際の配信実績を確認すべきであった。広告主が自社名義のアカウントを持ち、広告管理画面に直接アクセスできるのが本来あるべき姿であり、万が一、広告代理店との契約上、広告代理店名義のアカウントを使用し、広告主が管理画面に直接アクセスできない場合には、契約条件を改めてでも自社名義のアカウントに切り替えなければならない。広告管理画面に直接アクセスすれば、広告予算の消化状況や入札設定を含め、ウェブ広告の実施状況をひと目で把握することができる。オルツの監査役がこうした一次情報に基づく検証をしていれば、「広告費の架空計上」という典型的な粉飾はすぐに見抜けたはずだ。


入札設定 : 広告を表示させるために「いくらまで支払うか」を決める仕組み。例えば「1クリック●●円まで」と設定した金額が他社より高ければ、検索結果の上位に表示されやすくなる。自動入札機能を使えば、AIが成果に応じて金額を調整してくれため、効率的な予算運用が可能となる。広告管理画面ではこうした設定を確認・変更できる。

また、「売上」についても、オルツの監査役は「顧客アカウント数が急増している」との経営陣の説明を鵜呑みにするのではなく、その裏付けとなる顧客アカウント(ライセンス)数の増加を示す一次情報に注目すべきだった。具体的には、システム担当者にインタビューして、顧客アカウントのログイン記録やAPI利用回数といった稼働ログの生データを入手し、利用実態を検証する必要があった。また、本当に顧客基盤が拡大しているのであれば、問い合わせ件数、サポート対応履歴、メール配信の到達件数や開封率、さらにはカスタマーサポート部門の稼働量も比例的に増えているはずだ。これらが売上やアカウント数の増加と整合しない場合、監査役としては循環取引の疑いを強めるべきであろう。さらに、顧客からの苦情件数や解約率の推移といったKPIにも着目することで、顧客基盤の健全性を多角的に把握できる。監査役がこうした一次情報に基づく検証を怠れば、経営陣による顧客数のごまかしを見抜く機会を逸することになる。


API : APIとは「Application Programming Interface」の略で、異なるソフトウェア同士が機能やデータをやり取りするための「操作用の入り口」のこと。例えば、外部サービスが自社システムの情報を取得したり操作したりする際に使用され、利用回数は連携の頻度を示す指標となる。

監査役をはじめとする上場会社の役員は、オルツの粉飾決算を他人事と捉えるのではなく、自社の内部統制システムに潜む脆弱性の有無を点検する機会としたいところだ。