有価証券報告書の中で独立監査人(以下、「監査人」あるいは「監査法人」という)が監査の対象とするのは(連結)財務諸表であり、それ以外の例えば【事業の状況】の【経営方針、経営環境及び対処すべき課題等】、【事業等のリスク】、【経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析】といったいわゆる「その他の記載内容」(監査した財務諸表を含む開示書類全体における、財務諸表および監査報告書以外の記載内容)については監査の対象外とされている。
もっとも、監査人は(連結)財務諸表しか見ていないのかというとそうではない。現行の監査基準上、財務諸表の表示と「その他の記載内容」の間に重要な相違があればそれを監査報告書に追記しなければならないことから、監査人は監査対象ではない「その他の記載内容」を通読して、財務諸表の表示との重要な相違がないかを確認(*)している。ただ、そのような確認作業を行ったことは監査報告書上明らかにされていない。そのため、投資家の多くはそのような監査実務が行われていること自体知り得ない上、現行監査基準にはこの確認作業を「どういった手続きで」「どれほどの工数を割いて」行うのかの基準もないため、監査法人内の担当者によって確認作業のレベル感も異なるのが現状だ。
* 財務諸表と「その他の記載内容」の間に重要な相違があるということは、財務諸表か「その他の記載内容」のどちらかが虚偽記載である可能性がある。そのため、監査人は、「その他の記載内容」が監査報告の対象外だからと言って、まったく目を通さないわけにはいかず、通読して財務諸表と「その他の記載内容」の間に重要な相違があるかどうかを確認するようにしている。
そこで、金融庁に設置されている企業会計審議会・監査部会では、「その他の記載内容」への監査人の関与を監査基準で明文化する案が検討されている。具体的には、「財務諸表の表示および監査人が監査の過程で得た知識」と「その他の記載内容」との間に重要な相違がないかなどについて検討を行い、その結果を監査報告書に記載する旨を監査基準に明記する(監査報告書への記載内容については後述)。いわゆる「記述情報」など財務諸表以外の開示の充実(記述情報の充実については2019年3月22日のニュース『金融庁が「好事例集」と「開示原則」公表、記述情報充実に向けた環境整う』参照)が進む中で、「その他の記載内容」に対する監査人の関与を強めることで、監査の対象となった財務諸表の信頼性を確保するのが目的だ。既に国際監査基準(以下、ISA)720「その他の記載内容に関連する監査人の責任」では同様の改正を実施済みであり、日本でもISA720の改正に対応するため、監査基準を改正する必要が生じていた。
国際監査基準 : 国際会計士連盟(IFAC)のなかにある国際監査・保証基準審議会(IAASB)が策定する国際的な監査の基準。International Standards on Auditingを略し、ISAと称されている。
上記の「監査人が監査の過程で得た知識」としては、「監査人がリスク評価において入手した企業及び企業環境に関する情報、あるいは資産の減損テストのときに将来キャッシュフローの見積りを検討したときに入手した将来の事業計画とか、セグメントごとのビジネスモデルなど」「継続企業の前提の評価のときに入手した情報」「取締役会等の重要な会議の議事録を読む過程で得た知識」などが例示されている(2019年5月21日に開催された第44回企業会計審議会監査部会における住田委員の発言より引用)。
また、「財務諸表の表示や監査人が監査の過程で得た知識に関連しない内容」についても、監査人は重要な誤りの兆候について「注意を払う(*)」ことが求められる方針。
* ISA720では「その他の記載内容」と「財務諸表の表示および監査人が監査の過程で得た知識」との間に重要な相違があるか否かは「intelligent read」(一定の知識がある者が通読すること)で臨むことが求められており、さらに、「その他の記載内容」と「財務諸表の表示や監査人が監査の過程で得た知識に関連しない内容」との間に重要な相違があるか否かは「remain alert」(「注意して読む」というニュアンス)で臨むことが求められている(
第44回の監査部会の住田委員の発言より)。
その上で、監査報告書に「その他の記載内容」という区分を設け、監査人に次の項目の記載を求める方針。
・対象となる「その他の記載内容」
・「その他の記載内容」に対する監査人の責任
・「その他の記載内容」に対する監査人の手続
・「その他の記載内容」について監査人が報告すべき事項の有無、 報告すべき事項がある場合はその内容
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なお、ここでいう「その他の記載内容」は、あくまで「監査した財務諸表を含む開示書類内の情報」に限定され、当該開示書類外の情報(たとえば任意開示の統合報告、サステナビリティ報告など)は含まれない。また、対象とする監査報告書は、金融商品取引法監査では有価証券報告書と有価証券届出書に添付されるものに限定する方針。会社法の計算書類に添付される監査報告書を対象とするかどうかは、会社法上の監査報告書日以後に「その他の記載内容」が記載された事業報告を入手するケースもあることから、そもそも対象とするかどうか今後議論する。
「その他の記載内容」への監査人の関与強化は2022年3月期から予定されている。2020年3月期に経営戦略等の記述情報が拡充され、2021年3月期にすべての対象会社の監査報告書に監査上の主要な検討事項(KAM)が記載されることとなることを踏まえたタイミングでの導入となる(経営戦略等の記述情報の拡充については2019年2月22日のニュース「事業等のリスク、取締役会での議論が必須に」、KAMの導入については2019年8月5日のニュース「KAMが導入された場合に予想される企業の負担」参照)。
では、この監査基準の改正により、企業や投資家にはどのような影響があるのだろうか。まず、監査人による検討結果が監査報告書に明確に記載されることにより、「その他の記載内容」に対する監査人の手続等の明確化が図られる効果は期待できよう。ただし、これは同時に企業にとって監査対応コストの増加を招きかねない点には留意が必要だ。というのも、「その他の記載内容」への監査人の関与を明確にする監査基準の改正案は「財務諸表の監査意見を形成するために要求される以上の監査証拠の入手を求めるものではない」ということを建前としているが、実際のところ、それが「財務諸表の監査意見を形成するために要求される以上の監査証拠」に該当するか否かの線引きは明確ではない。そのため、監査人が「その他の記載内容」を通読するにあたり、現状では企業に対してエビデンスの提出を求めないような個所にまで、「念のため」エビデンスの提出を求める機会が増える可能性があり、これは監査対応コストの増加につながるからだ。
また、監査基準改正後も監査意見が保証する対象は財務諸表であることには変わりはなく、監査人が「その他の記載内容」について何らかの保証を提供するようになるわけではないものの、監査人が「その他の記載内容」の確認作業の結果を監査報告書に記載することで、投資家が「『その他の記載内容』についても監査人が保証をしてくれている」と誤解するようになる可能性も否定できない。
さらに、企業会計審議会監査部会では、「有価証券報告書の記述情報の充実に向けた取組みが進められている中で、 監査人によるチェックを強化すると、企業の創意工夫や独自性が損なわれるおそれがあるのではないか」という点も懸念材料として指摘されている。裏を返せば、監査人側にも、記述情報における企業側の創意工夫・独自性を尊重した改正監査基準の運用が求められると言えよう。