フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男
既報のとおり、ニデックからに同意なき買収(TOB)を提案(ニデックは5月9日付でTOBを撤回)された牧野フライス製作所(以下、牧野フライス)は、対抗措置としてポイズンピルの導入を打ち出したが(2025年3月24日のニュース「買収防衛策導入で取締役が「信認義務に違反していない」と判断されやすい3つのケース参照)、対抗措置の可否について東京地裁が示した新たな判断枠組みは注目に値する。それは、“時間稼ぎ”の効果のみを有する対抗措置は「取締役会のみの判断」で導入可能としたことだ。
ポイズンピル : 「敵対的買収者が被買収企業の株式の一定割合を取得した場合、既存株主は時価より安い価格で新株を購入できる」という権利(ライツ)を既存株主に与える手法。新株が発行されれば、敵対的買収者の持株比率は低下するとともに、1株当たりの株価も安くなり、敵対的買収者は大きな損失を被ることになる。「ポイズンピル(毒薬条項)という名称は、毒薬が回って体が弱るようなイメージがあることから来ている。
まず、ニデックが東京地裁に提訴するまでの経緯を整理してみよう。
ニデックは2024年12月27日、牧野フライスの100%買収を目指してTOBを実施する意向(予告TOB)を公表した。買付価格は、予告TOBの公表前日の終値に41.94%のプレミアムが上乗せされた価格である「1株あたり1万1000円」に設定。買付予定株式数には上限がなく、下限は1169万4400株(総議決権数の過半数相当)とした。買付開始時期は2025年4月4日、買付期間は31営業日としたため、当初買付期間の末日は「5月21日」であったが、応募株式数が買付予定数の下限に達した場合には買付期間を10営業日延長(追加買付期間を自発的に設定)するとの計画を示した。
プレミアム : 買収価格と株価の差
一方、牧野フライスは1月10日、独立社外取締役4名から構成される特別委員会を設置し、1月15日にはニデックに対して、①TOBの開始を2025年5月9日まで延期すること、②買付予定数の下限を1556万4200株(総議決権数の3分の2相当)に変更することを要請した。また、3月10日には、複数の第三者から初期的競合買収提案を受領していることを公表し、TOB開始期日の延長を再要請した。さらに、牧野フライス取締役会は3月19日、TOBへの対抗措置(第2新株予約権方式による差別的行使条件付新株予約権(*)の無償割当て)の導入を決議した。
* 行使後の株券等保有割合が20%を下回る範囲でのみ行使が可能となる新株予約権。一般株主とは行使条件が異なるため「第2新株予約権」と呼ばれる。ニデックが新株予約権を行使できる範囲は限定される一方、そのような制限のない一般株主が新株予約権を行使するとニデックの持株比率が
希薄化されるため、ニデックが新株予約権を行使しても支配権を強化することは困難となり、買収の成功確率が低下する。
初期的競合買収提案 : 初期的買収提案とは、買収対象企業に対して最初に提示される買収オファーのことをいう。通常、初期的買収提案には、①買収価格、②支払い方法(現金、株式交換、混合型など)、③買収の目的と戦略(買収による相乗効果や市場シェアの拡大など)、④その他の条件(財務的・法的な調査(デュー・ディリジェンス)の実施や規制当局への対応など)が含まれる。また、初期的買収提案に「競合」という言葉が付く場合、他の企業も同じ対象企業の買収を狙っているということを示しており、買収対象企業は複数の提案を比較し、最も有利な条件の買収提案を選ぶことになる。競争が激化すると、価格引き上げや条件変更などが起こり、“買収合戦”に発展することもある。
希薄化 : 1株当たりの価値が下がること。「希釈化」と同義。希薄化率は「新規発行株式数 / 既発行株式数」によって計算される。既存か部主からすれば、希薄化により一株当たり株主価値が低下するのみならず、議決権比率が低下し、投資先企業への影響力も薄まることになる。発行済み株式数のみならず、今後実際の株式に転換される可能性のあるストックオプションや転換社債などまで含めた株式数をベースに計算された希薄化を「完全希薄化(Fully Diluted)」という。
対抗措置の発動は、6月19日開催の定時株主総会で対抗措置の発動承認議案が承認(事後承認を含む)されることを条件とするが、①ニデックが5月9日以降にTOBを開始した場合、または②ニデックのTOB開始前に牧野フライスが競合買収者からニデックのTOBよりも有利な条件での買収提案を受領した場合には、対抗措置は廃止される(①については、ニデックが5月8日以前にTOBを開始した場合には、対抗措置の発動承認議案が定時株主総会に付議されることになる)。
事後承認 : 本来株主総会の決議を経るべき事項について、決議を経ずに実施した後に、株主総会で承認を得ること。
こうした中、ニデックは4月4日、予告どおりにTOBを開始。これに対し牧野フライスの取締役会は4月10日、ニデックのTOBに反対する旨とともに、①対抗措置としての新株予約権の無償割当ての実施、②割当基準日を6月26日(定時株主総会後)に設定、③定時株主総会への対抗措置承認議案の付議――をそれぞれ決議した。当該決議を受け、ニデックは4月16日、牧野フライスによる新株予約権無償割当ての差止仮処分を求めて東京地裁に提訴した。
割当基準日 : その日までに株主として登録されていると、新株予約権を受け取ることができる日のこと
東京地裁は、牧野フライスの対抗措置の効果を次の2つに分けて分析している。1つは、新株予約権無償割当ての実行によりニデックが「第2新株予約権」の割当を受ける結果、ニデックの持株割合が希薄化され、TOBの目的が阻害される効果(これを「本来的効果」という)だ。もう1つは、ニデックが、①TOB開始を延期することにより対抗措置を廃止させるか、あるいは②対抗措置が牧野フライスの株主総会で承認された場合にTOBを撤回するという選択肢を残すために、TOB期間を定時株主総会後まで延長するか――のいずれかを選択することを事実上余儀なくされる効果(これを「中間的効果」という)である。そのうえで東京地裁は、「本来的効果」は株主総会の承認を前提として生じる一方、競合買収提案がなされる蓋然性が生じ、又は高まる場合には、「中間的効果」の「必要性」が肯定されるとの考えを示した。そして、ニデックにはTOBの取引完了が1か月程度遅れる以上の格別の不利益は生じないため、「中間的効果」の「相当性」も肯定されるとして、中間的効果のみを有する対抗措置は「取締役会決議のみ」によって生じると判示、ニデックの申立てを却下している(5月7日)。
要するに、企業買収を阻止する効果を有する対抗措置の導入・発動には株主の承認を要するが、“時間稼ぎ”の効果のみを有する対抗措置の導入は取締役会のみの判断で可能ということだ。これは、2025年3月24日のニュース「買収防衛策導入で取締役が「信認義務に違反していない」と判断されやすい3つのケース」で触れたように、ポイズンピルを導入した取締役が「信認義務に違反していない」と判断される買収提案の1つである「代替案喪失(機会損失)型)」、すなわち、買収者が事前に取締役会と十分な協議を行うことなく、いきなり買収を仕掛けてきた結果、取締役会がより優れた代替案を提示する機会が失われ、株主の利益も損なわれることとなる買収提案への対抗措置が肯定されたとも言える。
しかし、牧野フライスの一件をもって、他の企業が「TOBを仕掛けられても時間稼ぎができる」と考えるのは早計だ。なぜなら、牧野フライスの対抗措置が肯定されたのは、「競合買収提案がなされる蓋然性が生じ、又は高まる場合」という条件を満たしていたからである。このような状況がないにもかかわらず、“嘘”をついた場合には、相場操縦、風説の流布、インサイダー取引規制といった証券市場に係る規制の対象になる。また、もしニデックが予告TOBを公表した12月27日からTOBを開始し、「31営業日」という買付期間にもこだわらなかったとすると、例えば30営業日目の2月18日、60営業日目の4月3日にTOBが成立していた可能性があるが、その場合も裁判所がニッデックのTOBを却下していたかどうかは明らかでない。
牧野フライスの一件で裁判所は、「買収のタイムライン」を定める権限を取締役会に付与するという米国法の考え方を採用した。しかし、日本法は米国法と異なり、取締役会に企業買収を阻止する効果を有する対抗措置の導入・発動する権限を付与しておらず、それは株主の権限とされている。牧野フライスと同様の対抗措置を導入しようという場合、取締役会は難しい舵取りを迫られることになろう。