2025/05/14 ダイバーシティ経営実現のためのステップとアクション(会員限定)

保護主義の台頭とトランプ関税を契機とする関税戦争、AIや量子コンピュータなど予測不能な技術革新、人口減少に伴う人材獲得競争の激化など、上場会社を取り巻く環境はかつてないほど複雑になっている。そのような中で注目を集めているのが、「ダイバーシティ経営」だ。

フジテレビの騒動を例に出すまでもなく、同質的な人材ばかりの組織では変化への対応力に限界がある。また、衰退産業にありがちな成功体験への固執と思考の偏りが外部環境の変化への感度を鈍らせ、イノベーションを阻む。逆に、衰退産業であっても異なる価値観や経験を持つ人材が集えば、想定外の課題にも柔軟に立ち向かえるようになる。そのためには、多様性を「社会的な要請」と捉えて渋々対応するのではなく、「競争力」と捉えて積極的に経営に取り込むという発想の転換が必要になる。

現在、ほとんどの上場会社が、多様な人材の活躍を推進するための制度の構築に取り組んではいるものの、実際のところそれらの取り組みを企業価値向上に結び付けることができている事例はごくわずかといっても過言ではない。外部の女性士業を社外取締役に招聘し、手っ取り早く女性役員比率をアップさせることで「多様性」をアピールしている上場会社も多い(2025年1月17日のニュース「女性管理職比率の開示義務化が既定路線に 適用対象拡大により子会社での開示が必要になるケースも増加へ」参照)。このような上場会社からは「多様性の事業上の必要性が分からない」「競争力強化へのパスが不明瞭」といった声がよく聞かれるが、ダイバーシティ経営の難しさに頭を悩ませている取締役会、社長・CEOら経営陣およびダイバーシティ経営の推進担当者は、経済産業省が2025年4月7日に公表した「企業の競争力強化のためのダイバーシティ経営(ダイバーシティレポート)」に目を通しておきたい。本レポートには、企業が多様性を活かしていかに持続的な成長と価値創造を実現するのか、具体的な道筋が示されている。単なる人事施策にとどまらず、「経営戦略そのもの」としてのダイバーシティ推進の意義と実践を、事例や指針とともに整理したものとなっている。

本レポートのポイントは次の3つにまとめられる。

本レポートの3つのポイント
(1)ダイバーシティは“社会的要請”ではなく“競争戦略”(3ページ〜)
(2)組織内に多様性を根づかせるためのステップを提示(10ページ〜)
(3)具体的なアクションプランを提示(20ページ〜)

以下、それぞれのポイントについて解説する。

(1)ダイバーシティは“社会的要請”ではなく“競争戦略”
本レポートの冒頭では、会社経営陣に向け、「ダイバーシティ経営は企業の競争力そのものに直結する」という明確なメッセージとともに、多様性の推進はもはや上場会社の社会的責任やCSRの一環にとどまるものではなく、経営陣自らが多様性の意義を理解し、率先して取り組む必要があると訴えている。また、競争力強化につながるダイバーシティ経営の実践例として、アステラス製薬、オムロン、日立製作所の事例が紹介されている。

(2)組織内に多様性を根づかせるためのステップを提示
本レポートでは、上述した「多様性の事業上の必要性がわからない」「競争力強化へのパスが不明瞭」といった声に加え、「性別、年齢、障害の有無、国籍などの観点のみの対応となっている」「倫理的対応がベースであることが分かりづらい」といった企業のリアルな“戸惑い”が紹介されている。経営陣や人事責任者が「ダイバーシティは本当に経営上効果があるのか」「逆に混乱を招かないか」といった懸念を有しがちであるのは事実であり、このような懸念が組織内に多様性が根付かない一因となっている。本レポートでは、組織内に多様性を根づかせるため、次のステップが示されている。

<企業のパーパスや経営戦略を環境の変化に応じて見直し>
企業の経営戦略は、「各社の事業構造」や「事業を展開する国内外社会の基礎・制約となる共有された観念」によって異なり、かつ変化するものである。そのため、経営戦略実現に必要となる人材像と、その人材が価値を創出するメカニズムにおけるダイバーシティエクイティインクルージョンそれぞれの取り組みを“仮説”として設計し、変化する環境に応じて不断に見直しを行う。
 ↓
<理念を実際の状況に応じて明確化しグループ内に浸透させる>
次に、各企業にとってのダイバーシティ、エクイティ、インクルージョンの意味や目的、必要性に関する解像度を上げ、理念を実際の状況に応じて明確化し、それをミッションやパーパスとともにグループ全体に共有・浸透させる。
 ↓
<実際の行動(アクション)>
経営戦略実現のために必要かつ多様な知・経験を持つ人材それぞれがダイバーシティ、エクイティ、インクルージョンに取り組む(具体策については次の(3)を参照)。
(3)具体的なアクションプランを提示
本レポートでは、多様性を競争力強化につなげるために求められる対応として、下表の6つのアクションを示している(23ページより引用)。


ダイバーシティ : 性別、年齢、国籍、人種、価値観、キャリア、働き方の意向等を限定せず、企業の経営戦略実現の上で必要な知・経験を持つ多様な人材のポートフォリオを整えること。
エクイティ : 経営戦略実現の上で必要な知・経験を持った人材が能力を十分発揮できるよう、制度や業務プロセス等において阻害される要因があればそれを是正するとともに、適切な機会を提供し、支援すること。
インクルージョン : 企業の経営戦略実現の上で必要な知・経験を持つ多様な人材が、本人ならではの強みを発揮しつつ、組織に帰属感を持ち、その能力を十分に発揮して職場や企業の成果に貢献できていると実感できる状態をつくること。

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上記のアクションは、経済産業省が2017年に公表した「ダイバーシティ2.0行動ガイドライン」を踏まえつつ、その内容を全面的に見直したものとなっている(「ダイバーシティ2.0行動ガイドライン」の新旧対照表はこちらを参照)。本レポートでは、各アクションを支える「アクション推進の基盤整備」を「⓪」として新設するとともに、新たに「Diversity, Equity, Inclusionの意味や必要性・重要性を理解する機会の提供」「アンコンシャス・バイアス排除に向けた学習機会の提供」(⑤従業員の行動・意識改革(内容・打ち手)参照)など最近の議論を踏まえた対応策も示している。


アンコンシャス・バイアス : 人は過去の経験や社会的な影響を受けて、知らず知らずのうちに特定の価値観や先入観を持つことがあるが、こうした無意識の偏見や思い込みのことをアンコンシャス・バイアス(Unconscious Bias)という。例えば「男性はリーダーシップを発揮しやすい」「女性は理系より文系が向いている」といった思い込みがアンコンシャス・バイアスの例であり、これらの思い込みは無意識のうちに形成されているため、気づきにくいという特徴がある。企業内にアンコンシャス・バイアスが存在すると、特定の属性(性別、年齢、国籍など)を持つ人が昇進等で不利になる可能性がある。

本レポートではアクションごとに「打ち手」と題し対応策が示されているのが特徴となっている。これにより、企業は「自社にとって最も効果的な進め方」を選びやすくなる。自社の業態や組織文化、事業環境と照らし合わせながら本レポートを読み進めることで、実効性のあるダイバーシティ経営の道筋が見えてくるはずだ。

近年、上場会社の経営陣は、社外取締役や投資家とのエンゲージメントの場において、企業価値を高めるダイバーシティ経営について厳しく問われるようになった。これに対する回答に窮する、あるいは形式的な回答しかできない経営陣は、時代から取り残されつつある。そうならないためには、ダイバーシティの推進を担当者に任せ切りにするのではなく、ダイバーシティを経営の中心課題として位置付けるとともに、「多様性を実現し、それを持続的な成長と価値創造につなげる」上で自社に欠けているものを特定し、社員がアクションを起こせるよう環境を整え、エンゲージメントの際に自分の言葉でダイバーシティ経営の実現に向けた戦略を説明できるようにしておきたいところだ。

2025/05/13 第三者割当増資から考える対抗措置の本質

フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男

同意なき買収の増加に伴い、その「対抗措置」が注目を集めている。ニデックに同意なき買収(TOB)を提案(ニデックは5月9日付でTOBを撤回)されていた牧野フライス製作所が、対抗措置としてポイズンピルを採用したように(2025年3月24日のニュース「買収防衛策導入で取締役が「信認義務に違反していない」と判断されやすい3つのケース」参照)、近年、対抗措置としてはポイズンピルが最も一般的となっている。これに対し、2000年代前半に最も有効な対抗措置と言われ頻繁に採用されたのが「第三者割当増資」だ。なぜ現在は対抗措置としての第三者割当増資を見かけなくなったのだろうか。


ポイズンピル : 「敵対的買収者が被買収企業の株式の一定割合を取得した場合、既存株主は時価より安い価格で新株を購入できる」という権利(ライツ)を既存株主に与える手法。新株が発行されれば、敵対的買収者の持株比率は低下するとともに、1株当たりの株価も安くなり、敵対的買収者は大きな損失を被ることになる。「ポイズンピル(毒薬条項)という名称は、毒薬が回って体が弱るようなイメージがあることから来ている。

対抗措置として第三者割当増資が採用されたケースとして有名なのが、製紙業界第1位の王子製紙に同意なき買収を提案された北越製紙によるものだ(2006年8月に実施)。王子製紙は北越製紙を経営統合することにより、王子製紙の古い設備を廃棄し、北越製紙の最新設備に一本化することで生産効率を高めるとともに、業界再編も目指した。

王子製紙は1株860円の現金対価で北越製紙の全株式を取得することを表明したが、北越製紙はこれに猛反発する。取引先である三菱商事に第三者割当増資を実施し、三菱商事は北越製紙の株式を24.1%取得した。また、第四銀行など北越製紙の大株主に対し王子製紙のTOBに応じないよう協力を求め、さらに業界第2位の日本製紙グループが北越製紙株を8.7%取得。こうした北越製紙による対抗措置の結果、王子製紙は北越製紙の株式をわずか5.3%しか集めることができなかった。

当時、この買収劇が失敗に終わった原因は、北越製紙と話し合いをしていたにもかかわらず敵対的TOBに踏みきった王子製紙にあるとの論調が強かった。しかし、それは“的外れ”と言わざるを得ない。TOBが成立しなかった一番の原因は、・・・

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2025/05/13 第三者割当増資から考える対抗措置の本質(会員限定)

フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男

同意なき買収の増加に伴い、その「対抗措置」が注目を集めている。ニデックに同意なき買収(TOB)を提案(ニデックは5月9日付でTOBを撤回)されていた牧野フライス製作所が、対抗措置としてポイズンピルを採用したように(2025年3月24日のニュース「買収防衛策導入で取締役が「信認義務に違反していない」と判断されやすい3つのケース」参照)、近年、対抗措置としてはポイズンピルが最も一般的となっている。これに対し、2000年代前半に最も有効な対抗措置と言われ頻繁に採用されたのが「第三者割当増資」だ。なぜ現在は対抗措置としての第三者割当増資を見かけなくなったのだろうか。


ポイズンピル : 「敵対的買収者が被買収企業の株式の一定割合を取得した場合、既存株主は時価より安い価格で新株を購入できる」という権利(ライツ)を既存株主に与える手法。新株が発行されれば、敵対的買収者の持株比率は低下するとともに、1株当たりの株価も安くなり、敵対的買収者は大きな損失を被ることになる。「ポイズンピル(毒薬条項)という名称は、毒薬が回って体が弱るようなイメージがあることから来ている。

対抗措置として第三者割当増資が採用されたケースとして有名なのが、製紙業界第1位の王子製紙に同意なき買収を提案された北越製紙によるものだ(2006年8月に実施)。王子製紙は北越製紙を経営統合することにより、王子製紙の古い設備を廃棄し、北越製紙の最新設備に一本化することで生産効率を高めるとともに、業界再編も目指した。

王子製紙は1株860円の現金対価で北越製紙の全株式を取得することを表明したが、北越製紙はこれに猛反発する。取引先である三菱商事に第三者割当増資を実施し、三菱商事は北越製紙の株式を24.1%取得した。また、第四銀行など北越製紙の大株主に対し王子製紙のTOBに応じないよう協力を求め、さらに業界第2位の日本製紙グループが北越製紙株を8.7%取得。こうした北越製紙による対抗措置の結果、王子製紙は北越製紙の株式をわずか5.3%しか集めることができなかった。

当時、この買収劇が失敗に終わった原因は、北越製紙と話し合いをしていたにもかかわらず敵対的TOBに踏みきった王子製紙にあるとの論調が強かった。しかし、それは“的外れ”と言わざるを得ない。TOBが成立しなかった一番の原因は、北越製紙の「取締役会」が1株607円という王子製紙が提示したTOB価格を大幅に下回る価格で三菱商事に対し(増資後の議決権割合が)24%を超える大量の新株を発行したことと、それを許した法制度にある。

同意なき買収とは上場会社の発行済み株式の過半数を買い集める行為であり、「買収者」と「株主」が当事者となる。例えば、ある会社(買収者)が上場会社(買収対象会社)の株式の全てを現金対価で、かつ50%の買収プレミアムを付けて買収したいという提案をした場合、株主はこの提案に応じれば、現在の株価の1.5倍の現金を受領して保有株式を売却することができる。こうした中、同意なき買収の当時者でない買収対象会社の「取締役会」が対抗措置を講じるという行為は、いわば“赤の他人”(取締役会)が、株主が株式という「財産」を有利な価格で売却する機会を奪うことを意味する。米国では、ポイズンピルが株主の「財産」を守るものであれば合法であり取締役は信認義務違反を問われないとされているのは、その裏返しと言える(2025年3月24日のニュース「買収防衛策導入で取締役が「信認義務に違反していない」と判断されやすい3つのケース」参照)。


買収プレミアム : 買収価格と株価の差
信認義務 : 取締役がその職務を遂行する際に、会社および株主の利益を最優先に考え、誠実かつ忠実に行動する義務のこと。

北越製紙の株主は、王子製紙の同意なき買収によって「財産」を1株860円で売却する機会があった。しかし、北越製紙の取締役会は第三者割当増資を実施してその機会を奪った。王子製紙は、北越製紙の三菱商事に対する第三者割当増資の差止めを裁判所に申し立てることができたが、それをしなかった。なぜなら、裁判所は下記の「主要目的ルール」に基づき、新株の発行が「不公正発行」に該当するかどうかを判断するが、北越製紙の第三者割当増資は不公正発行に該当しない可能性が高かったからだ。

「主要目的ルール」とは、会社の支配権に争いがある中で行われる第三者割当増資に伴う新株発行が「特定の株主の持株比率を低下させ、現経営者の支配権を維持することを主要な目的としている」と判断された場合に、当該新株発行を「不公正発行」と認定するルールのことをいう。主要目的ルールは最高裁により示されたものではないが、1975年前後の下級審裁判例によって形成され、1990年以降発展・定着した。もっとも、裁判所は会社が一応は合理的な資金調達目的を主張した場合には、差止めを容易に認めない傾向があった。

これに対し近年の裁判例では、新株の発行プロセスが重視されるようになっている。具体的には、取締役の解任議案が提案されている株主総会の直前に新株を発行した場合には「支配権維持を目的としている」と推認されることになる。また、割当先が会社と強い関係を有する場合にも、支配権維持目的と推認される可能性が高い。会社が支配権維持目的との推認を覆そうという場合、立証責任は会社側が負わなければならない。

さらに、東京証券取引所は2009年に有価証券上場規程を改正し、第三者割当増資による割当株式が議決権の25%以上となる場合、あるいは第三者割当増資に伴い支配権が異動する見込みである場合には、経営者から独立した第三者委員会等の意見書を入手するか、株主総会の決議を求めた。これは、発行済み株式の20%以上の新株の発行を伴う第三者割当増資を行う場合には株主総会の決議を求める米国のルールを参考にしたものだ。

このように、2000年代前半には最も有効な対抗措置と言われた第三者割当増資がいまや使いにくいものとなってしまった事情からは、対抗措置の本質が見えてくる。同意なき買収の命題は、買収者と取締役会のいずれが既存株主にとって有効な経営戦略を実行し、企業価値を創造できるか否かということであり、それは“赤の他人”の取締役会ではなく、当事者である株主が判断することになる。同意なき買収が急増する中、経営陣は対抗措置とは株主の「財産」を守るものであり、会社の支配権を維持するためのものではないことを改めて認識する必要があろう。

2025/05/12 上場企業の経営者がM&Aを躊躇する最大の理由が解消する可能性

自社の成長に限界を感じた経営者にとって、最も手っ取り早く成長を実現する手段がM&Aだ。M&Aにより、社内リソースだけでは打破できなかった成長の限界を超えるとともに、成長に必要な人材も確保することができる。以下のグラフは、経済産業省の「企業活動基本調査」に基づき、2017年度にM&Aを実施した企業(青)と、2017年度から2023年度まで一切実施していない企業(橙)の経常利益の推移を比較したものである(2025年版中小企業白書236ページより引用)。M&Aを実施した企業の方が明らかに利益を伸ばしていることが分かる。

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しかし、上場企業の経営者の全てがM&Aに積極的というわけではない。M&Aは常に成功するとは限らず、PMI(Post-Merger Integration)に手間取ったり、期待したシナジー効果を発揮できなかったりして、当初の目的を達成できないケースも少なくないからだ。また、いかにPMIに自信がある経営者であっても、M&Aに躊躇する大きな理由がある。それが、・・・

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2025/05/12 上場企業の経営者がM&Aを躊躇する最大の理由が解消する可能性(会員限定)

自社の成長に限界を感じた経営者にとって、最も手っ取り早く成長を実現する手段がM&Aだ。M&Aにより、社内リソースだけでは打破できなかった成長の限界を超えるとともに、成長に必要な人材も確保することができる。以下のグラフは、経済産業省の「企業活動基本調査」に基づき、2017年度にM&Aを実施した企業(青)と、2017年度から2023年度まで一切実施していない企業(橙)の経常利益の推移を比較したものである(2025年版中小企業白書236ページより引用)。M&Aを実施した企業の方が明らかに利益を伸ばしていることが分かる。

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しかし、上場企業の経営者の全てがM&Aに積極的というわけではない。M&Aは常に成功するとは限らず、PMI(Post-Merger Integration)に手間取ったり、期待したシナジー効果を発揮できなかったりして、当初の目的を達成できないケースも少なくないからだ。また、いかにPMIに自信がある経営者であっても、M&Aに躊躇する大きな理由がある。それが、「のれん」の償却負担の重さである。

のれんとは、M&Aの支払対価に上乗せされるプレミアム(*1)のことであり、企業が他社を買収する際に、買収価格と被買収企業の純資産(=資産-負債)との間に生じる差額を指す。日本の会計基準では、のれんは定期的な償却(*2)が求められており、その償却費は「販売費及び一般管理費(販管費)」に計上されるため、営業利益を直接的に圧迫する。

*1 企業が他の企業を買収・合併するときに発生する、買収価格と被買収企業の純資産(=資産-負債)の差額のこと。
*2 企業会計基準第21号「企業結合に関する会計基準」32項では、「のれんは、資産に計上し、20年以内のその効果の及ぶ期間にわたって、定額法その他の合理的な方法により規則的に償却する。」と定められている。さらに、減損の兆候がある場合には減損テストを行い、必要に応じて減損を行う。


減損テスト : 減損の兆候の有無を評価し、兆候があれば帳簿価額と回収可能価額とを比較すること。

例えば、A社が時価純資産100億円のB社を150億円で取得した場合、差額(プレミアム)の50億円がのれんとなる。この50億円を10年で償却する場合、A社の連結損益計算書上、毎年5億円の営業利益が確実に減ることになる。

一方、IFRSでは定期的な償却は行わず、のれんの価値が損なわれた時に減損処理を行うことになっている。そのため、IFRSを採用している企業がM&Aを実施した場合、日本基準を採用している企業が同じM&Aを実施した場合よりも、(減損が発生しない限り)償却費を計上する必要がない分、利益を多く計上できる。実際、ソフトバンクグループやニデックなどM&Aを積極的に推進している上場企業の多くがIFRSを採用している。IFRSでは毎期減損テストが必要になるとはいえ、償却費負担がないことはM&Aを後押しする要因となる。また、IFRS採用企業はM&Aの入札競争においても優位に立ちやすい。なぜなら、日本基準を採用する企業は、のれんの償却を見越した価格設定を迫られる(毎年の営業利益の減少を5億円まで許容できるのであれば、10年での償却を前提にするとプレミアムは50億円が限度となる)が、のれんの償却という制約がないIFRS採用企業はより高い金額で入札しやすいため、競り勝つ可能性が高まるからだ。

日本基準をやめIFRSを採用すればのれんの償却という問題は解決するが、IFRSへの移行には多額のコストが伴う。数億円規模の初期費用に加え、経理人材の再教育やIFRSに精通した人材の中途採用によるコスト負担、監査報酬の増加も避けられない。このため、日本基準を採用している上場企業の間では、のれんの定期償却義務に対する不満の声がかねてより上がっている。

こうした中、内閣府が企業会計基準委員会(ASBJ)に対し、のれんの非償却化を検討するよう要請する動きを見せていることが当フォーラムの取材により判明した。内閣府は二段階に分けた対応を提案している。具体的には、第一段階として、のれんの償却費の計上区分を「営業費用」から「営業外費用」へと変更し(これにより、のれんの償却費の営業利益への影響を回避できる)、第二段階として、のれんの非償却化または償却・非償却の選択適用を可能とするよう会計基準を改正することを求めている(第一段階は会計基準の問題というよりは表示の問題に過ぎないため、開示ルールを定める連結財務諸表規則の改正だけで済む可能性もある)。

もっとも、当フォーラムの取材によると、内閣府の要請を受けASBJが議論を開始したとしても、制度改正が実現するのはどんなに早くとも2027年頃となる模様。そこで、制度改正を待てない日本基準採用企業が是非とも検討したいのが、決算短信のサマリー情報における「のれん償却前利益」の開示だ。東京証券取引所は2024年3月に決算短信作成要領を改訂し、従来の定型指標とは別に「経営成績等に係るその他の指標」を任意で開示することを可能としたのは周知のとおり。のれんの償却負担に苦しむ日本基準採用企業にとって、のれん償却前の利益水準を投資家に明確に示すことは、自社の実力を適切に示す有効な手段となろう。

2025/05/09 監査等委員会設置会社に移行する際の投資家への説明のポイント

2025年3月4日のニュース「トヨタの監査等委員会設置会社選択によりモニタリング・ボードへの移行が加速も」でお伝えしたとおり、プライム市場における監査等委員会設置会社の社数が2025年中にも監査役会設置会社を逆転する可能性がある。当フォーラムが2025年1月1日から4月22日の間に監査等委員会設置会社への移行を公表したプライム市場上場会社を調査したところ48社が確認され、年初には約100社あった監査役会設置会社数との差はさらに縮まっている。下表は監査等委員会設置会社への移行を上記期間において開示した時価総額2,000億円以上の企業の一覧である。・・・

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2025/05/09 監査等委員会設置会社に移行する際の投資家への説明のポイント(会員限定)

2025年3月4日のニュース「トヨタの監査等委員会設置会社選択によりモニタリング・ボードへの移行が加速も」でお伝えしたとおり、プライム市場における監査等委員会設置会社の社数が2025年中にも監査役会設置会社を逆転する可能性がある。当フォーラムが2025年1月1日から4月22日の間に監査等委員会設置会社への移行を公表したプライム市場上場会社を調査したところ48社が確認され、年初には約100社あった監査役会設置会社数との差はさらに縮まっている。下表は監査等委員会設置会社への移行を上記期間において開示した時価総額2,000億円以上の企業の一覧である。

企業名 開示日 時価総額
トヨタ自動車 2025/02/25 430,413億円
日本電信電話 2025/03/25 133,471億円
MS&ADインシュアランスグループホールディングス 2025/02/28 48,863億円
住友商事 2025/01/28 41,008億円
野村総合研究所 2025/01/30 30,538億円
塩野義製薬 2025/03/24 20,728億円
サンリオ 2025/03/14 17,365億円
JFEホールディングス 2025/02/06 11,715億円
コンコルディア・フィナンシャルグループ 2025/01/29 10,509億円
住友化学 2025/03/03 5,749億円
古河電気工業 2025/03/06 4,724億円
カカクコム 2025/03/19 4,527億円
アルフレッサ ホールディングス 2025/02/26 4,093億円
ひろぎんホールディングス 2025/03/07 3,693億円
住友ファーマ 2025/03/28 2,996億円
サワイグループホールディングス 2025/03/24 2,657億円
帝人 2025/02/03 2,588億円
JVCケンウッド 2025/02/27 2,260億円
シチズン時計 2025/03/25 2,197億円
伊藤ハム米久ホールディングス 2025/01/17 2,121億円
阪和興業 2025/01/28 2,083億円

その一方で、指名委員会等設置会社に移行したのはアサヒグループホールディングスと池田泉州ホールディングスの2社のみとなっている。グローバル投資家に対して説得力がある指名委員会等設置会社への移行が進まず、“過渡的”な組織形態とも評される監査等委員会設置会社が最多になろうとしている現在の状況は、日本企業におけるガバナンス改革の本気度に疑問の目が向けられることにつながる恐れもある(監査等委員会設置会社に対するグローバル投資家の声は、2025年1月14日の新春インタビュー「日本企業の機関設計とモニタリング・ボード化の取り組み【前編】」参照)。

そのような事態を避けるには、監査等委員会設置会社に移行する企業は少なくとも、移行の目的が取締役会のモニタリング・ボード化にあることと、そのための仕組みの構築や取り組みについて十分な説明を尽くす必要がある。その際の有用な手引書として、経済産業省の「CGSガイドライン」(2022年改訂版)の別紙 2「監査等委員会設置会社へ移行する際の視点」を活用したい。これは「単に機関設計を変えるだけでは、監査等委員会設置会社の持つガバナンス上の利点を十分に活用できることにはならない」(ガイドライン本文18ページの最終行~参照)との問題意識に基づきまとめられたもので、下表(当フォーラムが作成)のとおり、4つのポイントに集約される。監査等委員会設置会社への移行または移行を検討する際のチェックリストとして利用されたい。


モニタリング・ボード : 経営陣の監督を主たる役割・任務とする取締役会のこと。これに対し、業務執行におけるコンセンサスを形成する場としての取締役会のことを「マネジメント・ボード」という。

視点 取り組み 具体的な例
取締役会の役割・機能の見直し 個別具体的な業務執行事項の決定を執行側に大幅に委任する ● ボード・アジェンダの見直しや、取締役会資料の内容の見直しなどが考えられる
● 執行側へ委任した決議事項であっても、重要なものは取締役会の審議事項や報告事項とすることで経営状況を把握しやすくする
監査等委員会の意見陳述権と任意の指名委員会・報酬委員会の関係 指名・報酬委員会との不必要な競合が生じないことが重要となる ● 指名・報酬委員会の決定手続の適切性を中心に確認する
 ✓ 社外取締役が過半数である
 ✓ 委員長が社外取締役である
 ✓ 監査等委員との兼任者がいる
監査の実効性の向上 内部統制システムを利用した監査を主体としたうえで、監査等委員会と内部監査部門の連携強化や、内部監査部門の強化を図る ● 内部監査規程や内部監査計画を監査等委員会が承認する
● 内部監査部門(特に内部監査部門長)の人事や報酬について、監査等委員会が事前に同意・協議する
● 監査等委員会に内部監査部門長が出席し、情報提供を行う
● 内部監査部門自体を強化する
● デュアルレポートラインを確保、監査等委員会の指揮命令を優先する
社外監査役を社外取締役として選任する際の留意事項 社外取締役として期待される役割を果たすことができるか、十分に検討・説明する ● 取締役会が備えるべきスキル・多様性に沿った選任となっている


デュアルレポートライン : 内部監査のレポート先が、執行のトップだけでなく、監査委員会、監査等委員会、あるいは取締役会にも向けられていること

2025/05/08 2025年3月総会に見る会社提案議案の低賛成率を招く2つの要因

6月の株主総会が目前に迫る中、3月決算企業においては上程する議案を確定するとともに、その賛否の見込みをシミュレーションし、必要があれば機関投資家とのエンゲージメントを実施するなど、総会に向けた準備を本格化させる時期にある。6月総会を占ううえで参考になるのが、先行して開催された12月決算企業の3月株主総会における賛否動向だ。そこで本稿では、3月総会で賛成率が低かったの議案(会社提案)について分析する。まず、賛成率が低かった議案のトップ10は下表のとおり。・・・

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2025/05/08 2025年3月総会に見る会社提案議案の低賛成率を招く2つの要因(会員限定)

6月の株主総会が目前に迫る中、3月決算企業においては上程する議案を確定するとともに、その賛否の見込みをシミュレーションし、必要があれば機関投資家とのエンゲージメントを実施するなど、総会に向けた準備を本格化させる時期にある。6月総会を占ううえで参考になるのが、先行して開催された12月決算企業の3月株主総会における賛否動向だ。そこで本稿では、3月総会で賛成率が低かったの議案(会社提案)について分析する。まず、賛成率が低かった議案のトップ10は下表のとおり。

社名 議案 賛成率
小林製薬 定款変更 47.6%
コカ・コーラ ボトラーズジャパンHD 取締役選任(社外) 56.7%
GMOインターネットグループ 取締役選任(社内) 58.6%
コカ・コーラ ボトラーズジャパンHD 取締役選任(社外) 58.8%
住友重機械工業 取締役選任(社内) 62.3%
住友重機械工業 取締役選任(社内) 62.9%
タダノ 業績連動報酬制度の導入・改定 67.5%
DIC 取締役選任(社内) 67.5%
江崎グリコ 取締役選任(社外) 69.1%
コカ・コーラ ボトラーズジャパンHD 取締役選任(社内) 69.6%

否決されたのは小林製薬の定款変更議案の1件のみだった。同議案は取締役会議長を社外取締役とするもので、2024年9月17日付のプレスリリース「再発防止策の策定に関するお知らせ」(8ページ)において「社外取締役による監督の強化」のための施策として公表されていた内容(下記参照)だが、創業家の反対で必要な賛成率(出席株主の3分の2)を得られなかった。もっとも、現在の議長は社外取締役である取締役会会長が務めており、実質的には上記「お知らせ」が掲げた「社外取締役による監督の強化」は進展している模様だ。

小林製薬「再発防止策の策定に関するお知らせ」(抜粋)
取締役会の実効性を担保するため、これまで会長が務めていた議長の役割を社外取締役が担うこととする。この取扱いを恒久的なものとするために必要な定款変更を実施する。

コカ・コーラ ボトラーズジャパンHDでは、監査等委員である社外取締役2名の賛成率が50%台にとどまった。ともに米国ザ コカ・コーラ カンパニーの出身者だが、下記の議決権行使助言会社最大手ISSのポリシー(13ページ)に見られるように、機関投資家は監査等委員について特に厳しく独立性を求めていることが低賛成率につながった。一方、みちのくコカ・コーラボトリング出身の「監査等委員でない」社外取締役の賛成率は73%と、独立性問題の影響は相対的に小さくなっている。

ISSのポリシー(抜粋)
「監査等委員である取締役」のうち最低でも2名は社外取締役を選任する義務があるのに対して、「監査等委員でない取締役」に社外取締役を選任する義務はない。そのため、監査を担当する「監査等委員である社外取締役」には独立性に懸念がある場合は反対を推奨する。一方、「監査等委員でない社外取締役」に対して独立性の懸念を理由に反対を推奨することは、「監査等委員でない取締役」に社外取締役を選任するインセンティブを減じ、ガバナンスの向上には逆効果となる。よって、反対を推奨しない。

また、コカ・コーラ ボトラーズジャパンHDでは、代表取締役社長CEOが約70%、代表取締役副社長CFOが77%の低賛成率となっている。これは、下表のとおり同社のROEが近年低水準で推移していることから、ISSや各機関投資家の資本生産性基準に抵触したものと考えられる。(ROE基準等の資本生産性基準については2025年1月27日のニュース「3期連続ROEが8%未満のプライム市場上場会社は少数派に」参照)


ROE : ROE(Return On Equity = 株主資本利益率)とは株主資本に対する当期純利益の割合であり、「当期純利益 ÷ 株主資本」により算出される。

決算期 2020年12月 2021年12月 2022年12月 2023年12月 2024年12月
連結ROE △0.9% △0.5% △1.7% 0.4% 1.6%

GMOインターネットグループでは、代表取締役への賛成率が6割に満たなかった。これは、同社が買収防衛策を2006年に導入して以来、取締役会の決議で毎年継続していることが主因と考えられる。また女性取締役がゼロであることも影響しているとみられる。

GMOインターネットグループ「当社株式の大規模買付行為に関する対応方針」(2ページより抜粋)
当社は、2006年3月13日開催の当社取締役会において、当社株式の大規模買付行為に関する対応方針を決定し、その後、毎年の当社定時株主総会の後最初に開催される当社取締役会の決定により、対応方針を継続して参りました。そして、当社は、外部環境の変化、経済産業省が2023年8月31日に発表した「企業買収における行動指針」及び近時の裁判例の動向等を十分に検討し、また市場参加者等のご意見も傾聴しながら総合的に判断した結果、2024年3月21日開催の当社定時株主総会の後、同日に開催された当社取締役会において、継続することを決定いたしました。

住友重機械工業の代表取締役会長と代表取締役社長CEOは6割強の賛成率だった。下表のとおり同社ROEが低水準で推移していることに加え、取締役11名のうち社外取締役は4名であるところ、そのうち1名がメインバンク出身者であることから「実質3名」とみなされた結果、社外取締役の割合が「3分の1」に達してないと判断されたことも影響したものと考えられる。また、英国のアクティビストであるシルチェスター・インターナショナル・インベスターズ(以下、シルチェスター)が13%の大株主となっていることも、低賛成率に拍車をかけたものと想定される。

(同社の有価証券報告書より)
決算期 2021年3月 2022年3月 2022年12月 2023年12月 2024年12月
連結ROE 5.6% 8.5% 1.0% 5.5% 1.2%

シルチェスターはタダノにおいても9%超の大株主となっているが、冒頭の表中の「業績連動報酬制度の導入・改定」議案に限らず、同社の会社提案議案は全体的に低賛成率となっていることから、シルチェスターが同社経営全般に異を唱えるスタンスであることが推測される。下表のとおり同社のROEは低水準で推移していることから、報酬総額を増やす議案には特に反対票が集まったと考えられる。

(同社の有価証券報告書より)
決算期 2021年3月 2022年3月 2022年12月 2023年12月 2024年12月
連結ROE - 8.64% 1.35% 4.46% 3.59%

残るDICと江崎グリコにおいてもアクティビストが大株主(それぞれオアシス・マネジメント、ダルトン・インベストメント)であり、ともにROEが低水準で推移していることから、経営トップの賛成率が目立って低い結果となっている。このように、メインストリームの機関投資家における資本生産性基準の厳格化に加え、アクティビストの積極的な活動(会社提案議案への反対、株主提案の提起)により、上場企業の株主総会運営は一層難しいものになっていると言えよう。

2025/05/07 【2025年5月の課題】サステナブル経営を社内に浸透させるための施策

2025年5月の課題

先月の課題「サステナブル経営とコーポレートガバナンス」に続き、今月はサステナブル経営をいかに従業員目線にまで落とし込むかを課題に取り上げます。経営者の業績連動報酬にサステナビリティ要素を組み込むことは一般的となりつつありますが、サステナビリティを推進するのは経営者だけではありません。サステナビリティ経営を貴社全体に浸透させるためにどのような施策があり得るのか、考えてみてください。

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