フィデューシャリーアドバイザーズ代表
早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター招聘研究員 吉村一男
昨年(2024年)は買収提案の競合、すなわち、買収提案があると複数の対抗提案が現れる事例が目に付いた年だった。具体的には、広告・看板用インクジェットプリンターでは世界屈指のメーカーであるローランド ディー.ジー.に対するタイヨウ・パシフィック・パートナーズによる買収提案後のブラザー工業による対抗提案、低温食品物流事を得意とするC&Fロジホールディングスに対するAZ-COM丸和ホールディングスによる買収提案の後のSGホールディングスによる対抗提案、富士ソフトに対するKKRによるの買収提案後のベインキャピタルと創業者による対抗提案、そして、セブン&アイ・ホールディングスに対するアリマンタシォン・クシュタールによる買収提案後の創業家による対抗提案である。
日本では“横取り”などと報道されることが多いが、欧米では稀なことではない。なぜだろうか。これは、買収ルールの違いによるところが大きい。
米国では、判例法上、取締役は会社および株主に対して信認義務を負うものと解されており、取締役は「株主の利益」のために会社の「長期的な価値」を増大させる義務を負う。したがって取締役は、買収提案が「株主の利益」に対して「脅威」である場合には、会社を防衛することができるが、取締役がホワイトナイトを探し、当該ホワイトナイトが現金対価の対抗提案を開始した場合には、取締役の義務は、会社を防衛することから「株主の利益」のために会社の「売却価格の最大化」に変化すると言われている。これはRevlon Duty(レブロン基準)と呼ばれる。
信認義務 : 取締役がその職務を遂行する際に、会社および株主の利益を最優先に考え、誠実かつ忠実に行動する義務のこと。具体的には、忠実義務、善管注意義務、利益相反取引の禁止がある。 文責:上場会社役員ガバナンスフォーラム
ホワイトナイト : 敵対的買収を仕掛けられた際に、当該買収者に対抗して、友好的な買収を提案してくれる会社等のこと。白馬の騎士(ホワイトナイト)に例えてこう呼ばれる。通常は、敵対的買収者よりも高い価格で株式を買い取るか、第三者割当増資を引き受けることになる。 文責:上場会社役員ガバナンスフォーラム
レブロン基準 : 米国で、食品会社パントリーブライドのロナルド・ペレルマン社長が、化粧品大手レブロン社に対し、現金による全株式の買収提案を仕掛けた事例を巡り、裁判所が、会社が「売り」の状態にある場合、ホワイトナイトなど特定者に有利な防衛策は過剰な措置であって、すべての買手を差別せずに交渉を行うことで、売却価格の最大化を図らなければならないとした判決(1986年)。 文責:上場会社役員ガバナンスフォーラム
また英国では、会社法上、取締役は「株主全体の利益」のために会社の成功を促進する可能性が最も大きいであろうと誠実に考えるところに従って行動しなければならず(会社法172条1項)、ここでいう「成功」とは、株主の「長期的な価値」の増加を意味する。ただし、米国と異なり、取締役は、株主総会の承認または当局(テイクオーバー・パネル)の同意がない限り、買収を妨害する行動をとってはならない(テイクオーバー・コード 規則21・1条)。これはno frustration rule(妨害禁止ルール)と呼ばれる。もっとも、公開買付けに応募しない旨の意見を述べることや買収者への情報提供を拒むことはできるほか、ホワイトナイトの探索や対抗提案を促すこともできる。そして、取締役がホワイトナイトを探し、当該ホワイトナイトが対抗提案を開始した場合には、米国と同様に判例法上、現在の「株主の利益」のために「最高価格」の買収提案を確保・推奨する義務を負うとする見解が多い。
テイクオーバー・パネル : 英国における企業買収(M&A)に関する規制と監督を行う自主規制機関。テイクオーバー・パネルの役割としては、(1)企業買収が公正かつ透明に行われることを目的とした企業買収に関するルールである「テイクオーバー・コード」を制定し、その運用を監督する、(2)企業買収案件を監督し、テイクオーバー・コードに違反する行為がないかをチェックし、違反があった場合、適切な措置を講じる、ことがある。このように、テイクオーバー・パネルは、企業買収が公正に行われることで、市場の信頼性を確保し、投資家の保護を図っている。 文責:上場会社役員ガバナンスフォーラム
テイクオーバー・コード : 企業買収が公正かつ透明に行われることを目的とした企業買収に関するルール。(1)ある企業が他の企業の30%以上の議決権を取得する場合、すべての株主に対して同じ条件で株式を買い取る義務(全部買付義務)があることや、(2) 買収対象企業の取締役は、株主の事前承認がない限り、買収を妨害する行為を行ってはならないこと(取締役の中立義務)、(3)買収者は、買収に必要な資金を確保していることを証明する必要があること(買収資金の確認 )などを定めている。
このように、米国と英国では、買収提案を受けた場合における取締役の権限が異なる部分があるものの、取締役が個人の利益ではなく「株主の利益」のために行動しなければならない義務があるという点では共通しており、対抗提案も好意的に捉えられている。
これに対し日本では、買収における取締役の義務が必ずしも明確ではないため、「株主の利益」のために取締役が売却価格の最大化を図っているとは言えない事例が見受けられる。経済産業省が2023年8月に公表した「企業買収における行動指針」(M&A指針)では、「望ましい買収か否かは、企業価値ひいては株主共同の利益を確保し、又は向上させるかを基準に判断されるべきである」としている(2.1)ことから、「企業価値基準」が採用されていると言われている。KKRから資金提供を受けMBOする富士ソフトの取締役は、KKRの方が自社の企業価値を向上させるとして、KKRよりも高い買収価格を提案したベインキャピタルと創業者の対抗提案を拒否した。また、セブン&アイ・ホールディングスの取締役は、アリマンタシォン・クシュタールから買収提案を拒否し、創業家の対抗提案を検討している(2024年12月23日のニュース『セブン&アイの“究極の買収防衛策”、「進むも地獄、退くも地獄」に』参照 引用:上場会社役員ガバナンスフォーラム)。
しかし、M&A指針では、「取締役会は、買収者との交渉を行う際に、取引条件の改善により、株主にとってできる限り有利な取引条件で買収が行われることを目指して、真摯に交渉すべきである」「買収者との間で企業価値に見合った買収価格に引き上げるための交渉を尽くす、競合提案があることを利用して競合提案に匹敵する程度に価格引き上げを求める」としており(3.2.3)、欧米と同様に「買収価格基準」が採用されているとも読める。ローランド ディー.ジー.とC&Fロジホールディングスの取締役は、いずれも高い買収価格を提案した買収者に賛同した。
対抗提案は今後“当たり前”のことになっていくだろう。なぜなら、M&Aにおいては、「買い手」には「売り手」を探すためのコストがかかるが、株式市場で「売り手」が“セール中”であれば、これに買収提案しない手はないからである。迎え撃つ取締役は、どのように対応すべきだろうか。
M&A指針はいわゆる「ソフトロー」であり、「ハードロー」である法律ではないため、裁判が起こり、判例法が確立しない限り、取締役の義務は必ずしも明確にはならない。しかし日本では、買収の帰趨を決めるのは株主である。いくら取締役が、ある買収提案について「買収価格は高いが、自社の企業価値を向上させない」と声高に主張したとしても、別の買収提案が「自社の企業価値を向上させる」ことを株主に説明し、納得させられなければ、取締役にとって気に食わない提案をした買収者に軍配が上がるということを肝に銘じておく必要がある。