「ストレスチェック」が会社のリスクを低減
近年、メンタルヘルスの不調を訴える労働者が増加しており、自殺や自殺未遂、心因性精神障害による労災申請が年間1,400件を超えています。メンタルヘルスの不調による休職者の多くは30代から40代の職場のキーパーソンであり、性格的にも責任感が強く真面目な人が多いと言われています。このような人材がメンタルヘルスの不調を訴え長期にわたって職場を離脱したり、最悪の結果となってしまった場合に会社に与えるダメージは、業務面はもちろん、他の従業員の心理面においても決して小さくはないでしょう。それが報道等により世間に知られるところとなれば、企業イメージの低下も避けられません。
また、労働契約法5条は「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と規定し、会社の労働者に対する「安全配慮義務(健康配慮義務)」を明確にしています。ここでいう安全配慮義務には、危険作業や有害物質への対策のみならず、“メンタルヘルス対策”も含まれます。安全配慮義務を怠った場合には、民法上の「不法行為責任(709条)」「使用者責任(715条)」「債務不履行責任(415条)」などを根拠に、会社が多額の損害賠償を求められる可能性があり、実際、労働者側の主張を認めた判例も多数存在します。企画立案業務に携わっていた社員が過重労働の結果うつ病になって自殺し、会社に対して1億6800万円(1億2600万円+遅延損害金)の賠償金の支払いが命じられた電通事件(最高裁 平成12年3月24日判決)は有名です。電通事件の前には、ソフトウェア開発会社のシステムエンジニアが、年間3,000時間近い労働時間と、プロジェクトリーダーとしてクライアントとプロジェクトのメンバーの間に立つことで受けた精神的ストレスにより脳幹部出血で死亡するという事件も起きています。本件では裁判所は会社に対し、3200万円の損害賠償責任を認めています(最高裁 平成12年10月13日判決)。
ストレス社会が加速する中、メンタルヘルスの不調の“未然防止”を目的として導入されたのがストレスチェック(従業員の心理的な負担の程度を把握するための検査)制度です。ストレスチェックを実施することによって、従業員は自身のメンタルヘルスに対して関心を持つとともに、抱えているストレスとの付き合い方(セルフケア)を身に付けることができます。また、会社もこれまで以上に管理職による部下のメンタルヘルスへの対応(ラインケア)に気を配るなど、メンタルヘルス対策に力を入れることで、メンタルヘルス不調者が減ることが期待されます。さらに、ストレスチェックを実施することで、上述した安全配慮義務の不履行等による損害賠償請求などの訴訟リスクも軽減されるでしょう。
ラインケア : 管理職が労働者からの相談に乗ったり、職場環境の改善に努めたりすること。
ストレスチェックの実施に対し事務的・コスト的な負担感を感じる会社も少なくないようですが、そのメリットを考えれば、経営陣としても積極的に取り組む必要があります。
ストレスチェック制度を巡る誤解
労働安全衛生法の改正により導入されたストレスチェック制度は、「常時使用する労働者が50人以上」の事業者(会社)に対し、平成27年12月1日から義務付けられ、初回のストレスチェックは「施行から1年以内」すなわち「2016年11月30日まで」に実施しなければなりません。ただし、ここで求められているのはあくまでも「ストレスチェックの実施」であり、「結果通知」や「面接指導の実施」までが施行から1年以内に求められているわけではありません。
また、ストレスチェック制度は、会社にストレスチェックを「年1回以上」実施することを義務付けるものですが、その一方で、従業員にはストレスチェックを受診する義務はありません。この点は、従業員にも受診が義務付けられている一般の定期健康診断とは異なります。つまり、会社としては、ストレスチェックの機会を従業員に年1回以上“提供”すればよいということになります。
従業員にストレスチェックの受診が義務付けられていない以上、会社は強制的にストレスチェックを受けさせようとしたり、受けないことを理由に不利益な扱いをすることはできません。例えば、就業規則でストレスチェックの受診を義務付け、受診しなかった従業員を懲戒処分の対象とすることや、面接指導の結果として労働時間の短縮が必要とされた従業員をまったく業務に従事させずに退職勧奨を行うといった対応です。ただし、上述のとおり会社のリスクヘッジという観点からもストレスチェックはできるだけ多くの従業員に受けてもらうことが望ましため、会社がストレスチェックの実施者から受診した従業員の名簿を入手するなどして、受診していない従業員に受診を勧奨することはできます。後述するように、従業員の同意がない限り、実施者から会社にストレスチェックの結果を通知することができませんが、単に「受けたか否か」を把握することについては、従業員の同意は不要です。
ストレスチェックの実施者と実施方法
ストレスチェックを実施するのは「人事部」ではありません。改正労働安全衛生法上、ストレスチェックの実施者は事業者(会社)とは“別”に定めることとされており、医師や保健師、看護師、精神保健福祉士等の中から会社が選任する必要があります。基本的には産業医が望ましいとされていますが(その理由は後述)、健診機関等への外注を検討している会社も多いようです。
ストレスチェックの実施方法は「調査票」によるのが基本です。国からは「職業性ストレス簡易調査票(57項目)」とその簡易版(23項目。労働安全衛生法に基づくストレスチェック制度実施マニュアルの32ページ参照)が公表されており、これらを利用することができます。また、調査票によらず、従業員自身が該当する項目にチェックを入れる「チェックシート方式」でもよいこととされています。さらに、インターネット等を活用したストレスチェックも、実施者によって検査結果が適切に保存されていることなどを条件に認められています。
ストレスチェックは、一般の定期健康診断と同時に実施することが可能です。実務的な負荷や実施しやすさ(従業員から見れば「受診しやすさ」)を考えると、同時に実施する会社も少なくないと思われますが、その場合、ストレスチェックの調査表と健康診断の問診票を分けるなど、受診する従業員がきちんと両者を区別できるような措置を講じる必要があります。
ストレスチェックにひっかかる従業員が出てきたら?
では、ストレスチェックの結果、問題のある従業員(高ストレス者)が出て来た場合、会社としてはどのように対応すればよいのでしょうか。
その前にまず押さえておきたいのが、ストレスチェックの結果の取扱いです。ストレスチェックの結果は、実施後できるだけ早く、実施者(すなわち、産業医等)から“直接”従業員に通知しなければなりません。すなわち、実施者から会社に結果を通知させることは基本的にはできないことになっています。
「従業員の同意」を得た場合には会社への通知が可能となりますが、「ストレスチェック実施前」や「検査結果が従業員に通知される前」の同意は無効とされています。また、就業規則や労働契約書等によって事前に“包括的な同意”があった場合も同様です。つまり、従業員への結果通知の前に会社が結果を知ることはできないということです。
ストレスチェックを受けた本人の同意なくして結果を知ることができるのは、ストレスチェックの実施者とその指示の下で事務を担当する者に限られます。それだけに、実施者には情報管理の徹底が求められることになります。ストレスチェックは健診機関等に外注することもできますが、外注先を選定する際には、情報管理体制も確認しておきたいところです。
ストレスチェックの結果、高ストレス者に該当する従業員が出て来た場合、「本人の申し出」を条件に、会社は医師による「面接指導」を提供しなければなりません。そして、面接指導を行った医師の意見を聞いたうえで、必要があれば、例えば就業場所の変更、作業内容の変更、労働時間の短縮、深夜業の回数を減らすなどの措置を講じることが義務付けられます。ただし、上述のとおり面接指導はあくまでも「従業員が申し出た場合」に行われるものであり、会社は対象者に対して申し出を「勧奨」することはできても「強制」することはできないという点には注意してください。
面接指導にあたっては、会社と面接指導担当医の連携が不可欠となります。厚生労働省は、面接指導の目的を、「精神疾患の診断や治療」ではなく「高ストレスの原因を把握し、職場で実施可能な対応を促す」ことにあるとしています。この目的を達成するためには、担当医が指導対象者の職場環境をよく知ったうえで指導指導を行う必要があります。それには、企業が担当医に対し当該従業員の勤務状況や職場環境について十分な情報提供を行わなければなりません。上記で「ストレスチェックの実施者は自社の産業医とすることが望ましい」と述べたのはこのためです。
産業医 : 労働者の健康管理を行う医師。労働安全衛生法上、常時50人以上の労働者を使用する事業場においては1人以上、常時3000人を超える労働者を使用する事業場においては2人以上の産業医を選任しなければならないこととされる。
従業員のストレスを減らす職場作りを
もっとも、いくらストレスチェックや面接指導を実施しても、職場そのものが高ストレスを生む環境にあれば、メンタルヘルスに異常をきたす者が再び出て来ることは避けられないでしょう。経営陣としては、今回のストレスチェック制度を良い機会ととらえ、従業員のストレスを減らす職場づくりを心掛けるべきです。
まず必ず取り組みたいのが、ストレスチェックの結果を今後のメンタルヘルス対策や快適な職場環境の構築に活かすということです。上述のとおり、従業員の同意なく会社がストレスチェックの結果を知ることはできません。ただし、会社は実施者に対し、ストレスチェックの結果を「10人以上の回答」があった部門や部・課などのビジネスユニットごとに「集計・分析」させ、それを提供させることができることになっています。
集団ごとの集計・分析方法は使用する調査票によって異なりますが、上述した職業性ストレス簡易調査票(簡易版を含む)を使用している場合には、厚生労働省のホームページで公開している「仕事のストレス判定図」を利用するとよいでしょう(「職業性ストレス簡易調査票を用いたストレスの現状把握のためのマニュアル」の7ページ参照)。ストレスチェックの検査結果を集団ごとに集計・分析することによって、どの部署や職場で“高ストレス”の従業員が多いのか傾向が明らかになります。それを受けて、問題が多いと思われる各職場に対して、産業医等による職場巡視や、管理職およびその部下へのヒアリングを行うことで、具体的な問題点を発見できる可能性が高まります。問題点が発見されれば、労働時間の短縮、有給休暇の消化の奨励、配置転換、業務の見直し・改善、管理職研修の実施といった、職場環境を改善するために講じるべき具体的な対策も明らかになるはずです。場合によっては、職場の物理的環境(整理整頓がされていない、物が多すぎて圧迫感がある、騒音がひどい、照明が暗すぎor明るすぎる、室温が適当でない――等々)がストレスの原因になっているかも知れません。
対策を検討する際には、職場のメンタルヘルスやストレス対策として実際に実施され役に立っている改善事例を日本全国から集めた厚生労働省の「職場環境改善のためのヒント集(メンタルヘルス・アクション・チェックリスト)」も参考にしながら、自社の実情に合った対策を検討するのも一案です。その際には、労働組合等と協議しながら、必要に応じて共同で対策を考えるのも有益でしょう。
また、労働時間の短縮といった目に見える仕組みの改善だけでなく、人間関係(特に管理職と部下の関係)や社員のモチベーションなどのソフト面にも気を配るべきです。実際、メンタルヘルスの異常は人間関係の問題に起因することが少なくありません。特に、人事権を背景に縦の関係にある管理職(上司)と部下の関係性は部下のメンタルヘルスに極めて大きな影響をもたらします。例えば、細かいことにもいちいち口を出し、自分のスタイルを押しつけたがる管理職がよくいますが、部下としては自分のやり方や意見が全く認められない中で業務を強いられればモチベーションは大きく下がりますし、強いストレスも感じます。
逆に、部下とのコミュニケーションが不足している管理職も見受けられます。自らの業務内容、期待される成果などをよく理解できていない状態に放置された部下は達成感を感じることができず、強い不安を抱えることになります。
また、部下への期待のかけ方もメンタルヘルスに大きな影響を与えます。ある上場企業で、管理職がお気に入りの社員をプロジェクトのリーダーに抜擢したところ、期待の大きさに耐えられず、うつ病になってしまった例を見たことがあります。人間誰しも期待されることでモチベーションが高まるものですが、期待が大きすぎれば「プレッシャー」となり、メンタルヘルスに悪影響を与えることにもなりかねません。プレッシャーの感じ方は人によっても違います。管理職には、部下のタイプによって対応を変えるくらいの柔軟性、度量が求められます。
高ストレス者があまりに多い部署があれば、それは業務内容等の問題ではなく、上司である管理職に原因がある可能性も否定できません。役員としては、そのような管理職はそもそも管理職がとしての資質に欠けていないかどうかを確認し、場合によっては配置転換なども検討する必要があります。
さらに、役員自身も、管理職を含む部下のメンタルヘルスに影響を与えかねない立場だということを認識するべきです。ストレスチェック制度を推進する陰で、部下から「あなたこそストレスの原因になっている」などと言われないよう、ストレスチェック制度の導入を機に、自らの襟を正しておきたいところです。
近年、「健康経営」という言葉が注目されています。健康経営とは「経営者が従業員とコミュニケーションを密に図り、従業員の健康に配慮した企業を戦略的に創造することによって、組織の健康と健全な経営を維持していくこと」とされています。経営陣は、天然資源に乏しい我が国の企業における最も重要な経営資源である「ヒト(従業員)」の心身の健康は、企業経営の重要な前提条件であるという意識を持ち、従業員のメンタルヘルスの維持・向上に努めるようにしてください。